オートマのジレンマ

住人

自動車免許をとるとき、一般的にオートマ限定免許とマニュアル免許のどちらかを選ぶことになる。これは私がマニュアル免許を取得するまでの、ちょっと歪な日々との格闘録だ。

簡単にオートマとマニュアルについて説明しておくと、変速操作を車にやってもらうのがAT(オートマチック トランスミッション)、変速操作を自分でやるのがMT(マニュアル トランスミッション)となっている。

具体的な操作として、マニュアルの場合、アクセルやブレーキの他にクラッチペダルというペダルを操作する必要がある。手元でギアチェンジ、足元でクラッチペダルを操作する手間が増える分、マニュアルの方が運転は難しい。

最近はオートマ車がガンガン増えてきている。そうした背景もあってか、オートマ限定の免許をとる若い世代が多い。私もその一人「だった」。

そんな私が、何の因果かマニュアル免許をとることになった。事の始まりは10月20日。台風19号が私の暮らす長野県を襲い、1週間が経過した頃のことだ。

台風が上陸してから1週間の間、私は未曾有の情緒不安定に襲われていた。

私の暮らしている諏訪地域は幸いにも大きな被害は出なかった。しかし、縁の深い長野市や千曲市、上田市など千曲川流域の被害は甚大なものとなってしまったのだ。

日々報道される凄惨なニュース。各地からの情報が氾濫するSNS。「おいでよ長野」というSNSメディアを日常的に運営している手前、キャパを遥かに超える情報量が脳に流れ込んできていた。

交通情報は、ボランティアは募集しているのか、だとすれば条件はどうなっているのか、募金は、催事は…何かに取り憑かれたように、ひたすら情報が脳に吸い込まれていく日々。

同じ県内でも、諏訪地域から長野市までは100km。気軽に様子を見に行ける距離でもなく、行ったところで迷惑にしかならないのならば、正確な情報収集に徹する他ない。これが、情緒不安定になってから最初に出た結論だった。

しかし、頭では分かっていても、どうしても無力感を感じてしまう身体。現地に行きたくても行けない中で何が出来るか頭を抱えていた。その時に飛び込んだ新聞の文字列が、「被災地で軽トラ大活躍!」だった。

ちなみに実家にある軽トラは、全てマニュアルだ。しかし、だからと言って普通はここで「じゃあ、軽トラを運転するためにマニュアル免許をとろう」とはならない。貢献のための効用が遠回りすぎる。

しかし、当時は情緒不安定で冷静な判断力が麻痺していた。今のままでは、もし現場で軽トラを活用したくても活用できない。このままでいいのだろうか。否、よくない!という思考回路が脳を支配した。

そんな思いを父に漏らしたところ、「じゃあ、やった方がいいぞ。やるなら早くやれ。今からすぐに、教習所に電話しろ。金は俺が持つから。」と速攻で背中を押され、速攻でやることになった。この親子、やるとなったら行動が早いのだ。

もどかしい気持ちを持て余していた自分にとって、大学4年秋におけるスキマ時間のミッションが決まった。「マニュアル免許を、とる。」熱量が少し変な方向に向かっていたと気付くのは、もう少し後の話だ。

早速、地元の自動車学校に申し込んだ。6万弱という決して安くはない額を振り込み、マニュアル運転のための教習に繰り出した。

が、ここで悲しくも判明する。私はマニュアル運転が本気ですこぶる下手だ、ということに。

まず、クラッチ。微妙な足の操作に慣れず、何回やってもエンストする。2mmくらい爪先を動かして〜の意味が分からない。繊細すぎる。なんでそんな微妙な操作で車を動かせるんだ。ギアチェンジのタイミングもイマイチ掴めない。明確な基準はないものか。何度も指摘を受けた。

これまでのオートマ運転生活が2年ほどあったために、それが身についてしまっていて逆にマニュアル運転に慣れないというジレンマ。自分の不器用さに打ちひしがれ、初回は失意のままに終了した。

マニュアル運転を知ると、オートマ運転がとてつもなく楽に感じる。自動の変速、エンストなし、クリープ現象での微調整。全て当たり前だと思っていたことを、自分の力で決めていく。それがマニュアル運転というものだった。

自分で決める。自分で動く。自分で調整する。自分で止まる。今まで「おまかせ」でやっていたことを、自分でやる。

これまで自分が知らない水面下で動いていた仕組みを、自分がキチンと理解して、自分の力で動かしていく。それが、どんなに難しいことか。

マニュアル運転と戦う日々の中で、私はマニュアル向きの人間じゃないことを痛感していった。

日は過ぎていき、現地の情報が正確に把握できてから実際にボランティアに参加してみた頃だ。もどかしい気持ちが行動によって徐々に安定していき、冷静さが思考回路に蘇ってきた。

蘇ってきた思考回路で分析したところ、「動くなら、誰が動かそうと、何でもいいじゃん」な今の思考ではなく、「何で動くのか。どうやって自分で動かすのか」に興味を持てなければ、マニュアル操作は上達できないことに気がついた。

当たり前のことだが、人任せではダメなのだ。今回の挑戦のように、ガソリンとなる原動力こそあれ、父に言われて動き出すような「オートマ」な思考でアクセルを踏み出すような姿勢ではマニュアルは習得できない。

これまでの「オートマ」な思考回路の自分からの脱却。それこそがマニュアル習得の最短の近道なのではあるまいか。

オートマ脳で麻痺した、自己決定力。オートマ脳は楽だけれど、自分で判断する能力を失わせる。このオートマのジレンマを乗り越えて、自己決定力を身につける。これからはマニュアル脳になるのだ。

よく考えてみれば、これまでの人生の中で「自分の決断だ」と断言できる決断が1回でもあっただろうか。自分の決断だと思い込んでいるだけで、誰かに決断の責任を少しでも押し付けてはいなかっただろうか。

マニュアルと戦う教習所の待合室で、私はこれまでのオートマ脳を克服する自問自答の戦いに挑んでいた。

この戦いは、単にマニュアル免許を取得するための戦いではない。大学生と社会人の狭間、大学4年生という「おどりば」で、オートマのジレンマを乗り越えて「マニュアル人生」を送るための戦いなのだ。

何度も何度もエンストして、やれやれといった顔で教習官にアドバイスを受けながら、「オートマ脳」を少しずつ壊していく。

左右バックの確認、アクセル、ブレーキ、クラッチ、ギアチェンジ、ウィンカー、ハンドブレーキ…

次から次へと襲ってくるマルチタスク。少しでも気を緩めればエンスト。一つ一つ丁寧に、しかし素早くこなしながら、マニュアル脳を育てていく。

社会人になれば、こうしたマルチタスクを全て自分の力で判断して、ドライブしていかなければいけない。進む道だって、カーナビではなく、自分の判断で決めていかなければいけない。

マニュアル運転では、0か100かという力の入れ方からも卒業する必要がある。ギアチェンジの際、クラッチを緩めながら徐々にアクセルを踏んでいく「半クラ」の状態を作り出さなければ車は前に進まないのだ。

社会人生活だって、きっと同じだ。急に思い立ち、急に行動し、急に立ち止まり、急に戻るような、今までの行動パターンには限界がある。だんだんとアクセルをふかし、ギアを状況に応じて段階的に上げていくマニュアル脳は、まさに今の自分に必要な思考回路なのだ。

マニュアル免許との戦いが進んでいく中で、私はマニュアル運転から多くの学びを得ていた。そしてある日、いつの間にか就活生時代に出なかったとある問いの答えが生まれていたのだった。

「学生と社会人の違いとは何か」。

かつて、就活中に某企業のグループディスカッションで出された題目。これに対して、今、自分なりに答えるならば「学生と社会人」の違いは「オートマとマニュアル」だ。きっと、この回答を面接会場で披露したら全員が「???」となるだろうけれども。

今の私なら理解できる。自分で決める苦しさと同時に、自分で決める楽しさをもつ。自由への道は険しくとも、自由を操れることができる。それが社会人なのだ。

学生時代は、学費も親に負担してもらえた。決定も周囲に身を任せることが多かった。少なからず、誰しもがそうだと思う。夢を語り、好きなことを好きなだけ楽しむ中で、現実を支える作業は水面下で全て社会人がやってくれた。

例えば、あれだけ気楽で自由だった修学旅行だってそうだ。今なら分かる。水面下には、行先を決める先生、バスの運転手、水族館の従業員、お土産売り場の店員…掘り進めれば、バスの整備士、水族館の建築家、土産の製造会社など。どれだけの人が、あの修学旅行を水面下で支えていたか分からない。

大学生活はゼミやインターンや就活で、その「水面下」を学んだ。それを考えると、大学生活は半クラ期間なのかもしれない。夢と現実を、少しずつ、すり合わせる時期。その時期は、遅かれ早かれ誰しもが経験するものなのだと思う。

半クラのことを、ここまで考える大学生なんて他に中々いないだろうなと思いながら、いつの間にか半クラの感覚は掴めるようになっていった。

4度の補習を経て、遂に卒業検定の時がやってきた。坂道発進、踏切発信、速度維持、停止、S字クランク、L字クランク、バック駐車…今まで学んできたマニュアル脳の全てを一瞬一瞬にぶつけていく。

終わった時、気がつけば汗はびっしょり、喉はカラカラだった。1度エンストはしたものの、何とか立て直して卒業検定は終了。教室で結果を待っていると、何度もアドバイスを受けた教官の方から笑顔とともに「よくやったね。マニュアル免許取得、おめでとう」という言葉が運ばれてきた。

これにて、私のマニュアル免許取得までの格闘記は終了となる。

教習時間も伸びてしまったし、未だにマニュアルを使いこなしているわけでもない。けれど、マニュアル免許取得を通じて得られた学びは、この上なく大きい。

オートマのジレンマを乗り越えてマニュアル免許という自由を手にした私は、少しだけ晴々とした顔でボランティアに向かう。長野市に向かう高速で、ラジオからはエレファントカシマシの「自由」が流れていた。

山吹

ペンネーム。note→https://note.mu/fukujin 連絡先→yamaoide@gmail.com

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