思い出が消えていく

住人

 

思い出は、心の中に残るものなのだろうか。
思い出の場所や、思い出のもの、思い出の写真が消えてしまったとしても、
自分の心の中からはずっと消えずに、残っていることができるのだろうか。

先日、僕のおじいちゃんおばあちゃんの家が売りに出された。
そして、もうすでに知らない会社が買収したことを知った。
ちょうど一年前、このおどりばの記事で書いた、
犬のリードを追った僕」に出てくる、駆け出した犬がいた家だ。

もうかなり昔に犬は亡くなっているし、
おじいちゃんもおばあちゃんも亡くなっている。
僕の思い出は、確実に自分の心の中だけのものになっていった。
そして、ついに、この家までもが無くなってしまうことになった。
もう、あの空間を感じることはできない。
目を閉じて、玄関のドアを開けると、家の中をしっかり思い出すことができて、好きなところに歩いていくことができる。
でも、もうそこに自分が存在することはできない。

 

こうして、自分の思い出が、確実に現実世界から存在しなくなっていっている。
先日、長野市のイトーヨーカドーが閉店した。
このイトーヨーカドーのゲーセンで、歩くパンダの乗り物に乗るのが好きだった。
パンダはゲーセンから飛び出し、付近のそば屋やファミレスがある通りまで、歩くことができた。
僕は、この時、小さいながらも精一杯の自由を感じていた。
周りの大人も、パンダに乗る自分のために道を空ける。
大人たちの日常の世界をぶっ壊しているようで、とても気持ちが良かった。

僕のおばあちゃんは、このイトーヨーカドーのおもちゃコーナーで、星獣戦隊ギンガマンの5獣フィギュアセットを僕に買ってくれた。
5色の動物たちがすごくかっこよくて気に入っていた。
積み木やブロックやトミカを使って街を作り、よく戦いごっこをしていた。
大学生くらいまでは大切にしまって持っていた記憶がある。
家の建て替えをした際に、おそらく処分してしまった。

 

おじいちゃんは、実は、家に併設し会社を構えていた。
奥山印刷という名の、印刷会社である。
僕が小さい頃に描いた、たくさんのポケモンの絵や、スマッシュブラザーズのキャラクターの絵を、そこでカラーコピー印刷してくれた。
僕は、絵が何よりも大好きだった。
既存のキャラクターを使って描いたオリジナル漫画がたくさんある。
描いた絵が地元舞台の映画のセットに使われたこともある。嬉しかった。
いつからか、描くことをやめてしまっている。

おじいちゃんの印刷会社は、おじさんが継いでいた。
善光寺門前にあるコミュニティで発行していた、長野の街の風景や人々の営みを大事に大事に記録した小冊子を、奥山印刷が印刷していたことを、一昨年の12月に知った。
僕が無職の時に、人の縁で誘われた演劇ワークショップで、その界隈の人たちに出会い、教えてもらった。

僕はなんだか誇らしいような、不思議な気持ちになった。
僕の思い出が、
今も別の形で、今自分が生きている現代で、
残り続けている気がして嬉しかった。

しかし、これでもう印刷物は新しく世に出ることがない。
形を変えた僕の思い出も、どこかでまた消えてしまうのだろうか。

 

思い出は心の中に残るものなのだろうか。
思い出の場所や、思い出のもの、思い出の写真が消えてしまったとしても、
自分の心の中からはずっと消えずに、残っていることができるのだろうか。
そんなことは分からない。だから、今を生きようと思う。

soshi

1991年生まれ。長野市出身。 大学の専攻はジャーナリズム。休学し9カ国放浪後、地元市役所に入る。福祉部門に配属となり、障害者のソーシャルワークなどを行なう...

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