誰も見てない

住人

吐く息が少し白ばむ頃。
孤独になりたい欲求がつのっていた。
つながりというつながりを絶ちたくなり、
携帯を捨てたくなる衝動に駆られる。
ゴミ箱をしばし見つめる。

「人と関わることで豊かになる」
関わる相手との相性にもタイミングにも内容にもよる。
し、豊かになる方法は他にもある。

最近外に出て人と関わる機会が増えて。
内から外へ、チューニングしようとして、しすぎた。
ストレス、ホルモンバランスの乱れ。崩れてはたと止まる。
疲れたみたいだ。
あくまでアクティヴであることを是とする空気に。
空気圧ばかりじゃない。内圧もある。
「誰かと豊かさを共有したかった」
そのいっぽうで「目にもの見せたかった」誰に?
僕を見て苦笑いする奴に。
純粋に殴りたいがそうすると自分の手が汚れるし痛い。
それに怪我は負わせてもいずれ治ってしまう。
せっかくなら忘れ難い夢を見せてやりたい。百花繚乱毒花畑。
幸福か、報復か。

内圧の内訳。
「共有したい」、「目にもの見せたい」、「影響を与えたい」、「評価されたい」
引きこもりもまた社会的動物に変わりはない。
「誰かのためになることが、自分のためにもなる」とはよく聞く。
たとえばネット上の記事は、ピザやケーキのように有限に分け合うものじゃない。
それは拡散できる<情報>だから。
だから誰に渡ったのか見えない。
見えなさが想像力を掻き立てる。
自分のためにしてることが、偶発的に誰かのためになってるかも。
それとも逆に、
何の気なしにジャンプしようとして、思いがけず誰かを踏み潰してるかも。
だから後ろめたくなる―「申し訳なくなる」
叩かれる前に泣きべそをかいて、涙声ですまなさをアピールする。
そうすれば叩かないでしょ。手を振り上げてでもみなよ、どんなに酷い奴と写るか。カメラ回ってるよ、記録されてるよ。
「罪名、甘え。それで、どの刑に服すればいいですか?(ウルウル)」
こうして首尾よく牽制することだけ習得した。
不毛布団で睡眠不足になった。

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おどりばで。
記事を投稿する前、「反応はないものと思っておこう」とした。
勝手にやってる…やらせてもらってること。目を向けられなかったとしても自分が崩れないように、予防線を張る。
しかし反応は来た、その刺激は僕の脳内、腹側被蓋野A10神経から側坐核へ、前頭連合野へ達し、鼠花火のような勢いで、ドーパミンシャワーを浴びせかける。

おたおたしてる間に、セロハンテープの予防線はペロロロンとぜんぶいっきに剥がれ落ち、投げ出される無防備なもぐらもち。
自覚できる 〔 危険 〕 まずい状態

おどりばはじまって以来のテーマ「自己肯定感」
SNSをしていない僕は、「自己肯定感を高めるために、見えない他者からの評価=<数>を気にする」ことなんかないと―あんな罠には嵌まるまいと―
白状すれば、対岸の火事と笑っていた。
しかし
白状します、WordPressの管理画面から記事の閲覧数を確認してました。
他の人と較べ、相対的に自分の記事がどのくらい読まれているのか―気にしてました。
数はいっこうに数でしかない。無個性。10と表示されても、10のひとつひとつの反応は不可視。
つまらなかったかもしれない。おもしろかったかもしれない。
開いてスクロールしてみて、うわ長っと思って閉じたかもしれない。
なんともなかったかもしれない。わからない。
無限に想像できる――つまり意味のある想像はできない。
<数>はあくまで目に見えるだけの指標。
閲覧数の確認は苛々する習慣で、まもなくげんなりしていった。
以前僕は記事の中で、「承認されることにビビった」と書いていた。
「評価されること/されないこと」の耐性がなかった僕にとって、記事の公開は洗礼だった。
おどりばという限定された規模の、競争を避けるトーンの場でさえ、 承認中毒になれてしまうのだ、と。

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WordPressの管理画面。
投稿一覧から、文字検索をかける。
「自己肯定感」
おどりばで公開済みの140の記事(11/18時点)のうち、 12の記事に 「自己肯定感」という単語が含まれていた。
140分の12 ― 約8%
日付を見ると、7月からは毎月誰かが記事中にこの単語を書いていたことがわかる。
この使用頻度をどう捉えるか。
「自己肯定感」
僕はおどりばではじめて聞いた。
それ以前に使っていた言葉から、「自尊心」が相当する意味合いかなと思ったが、しかしどこか違う。
「自己肯定感が低くて…」「自己肯定感を高めるには…」
何度も重ねて聞くにつれ、なんだか…
なんだかちょっと吐き気がしてきた

自己肯定感を上げるのはいいこととされて、
誰もが自撮りして、誰もが発信者、表現者の時代。
自己陶酔(narcissism)は自尊心(pride)として正当化されたかのように、
それは疾うに、醜いものでも嘲われるものでもなくなった。
街を歩けば、みんなおしゃれで。水準が高く、平均が高い。
僕は怯えた。
どうやってこの中を歩けばいいんだろう?
顔を伏せて 目立たないように 自分を消して
だって見下されてしまう ゴミを見る目で
―見られてなどいないよ、みんな自分に夢中で
―いや、排除すべき異物がいることは、素早く察知される

底上げしている―自分も基準に達しなきゃと思わす、透明で病的な圧力。
おそろしい?どうしたらいい? ―簡単だよ、同化すりゃいい。
―――したくない
おやおや、ゴミさえもがプライドを宿す始末。
自己肯定感低いもの勝ち。
(敗者による敗者のためのゲームでも作ろうか?)
街を見回すと―
自画自賛は許容されるか、むしろ奨励される風潮にある。
いっぽう卑屈であること、自虐的であることは「ダサく」て歓迎されない。

じどりばで

「「「僕のことを見てよ!」」」

narcissism(自己陶酔)
selfish(利己的)
ego maniac(自己偏執狂)


一過性の快楽
(注目された。うれしい!もっと注目して!)
(もっと、もっと…まだ?もっと…えっと…どこまで?)

ヘドニックトレッドミル現象
人は幸福感にすぐに慣れてしまい、時間が経つにつれて幸福感が失われてしまうことを指す。 ランニングマシン(トレッドミル)でどれだけ走っていっても元の場所に留まっていて、目的地である幸福には到達しないことになぞらえてこう呼ばれている。

逆?
自分が好きだから自撮りするんじゃなくて、
自撮りできるようになってから自分を好きになった?

つまり、新しいテクノロジーは人間の社会に対しても、個々人の感覚に対しても、新しいスケールやペース、パターンを持ち込むということ。姿形こそ変わらないが、インターネット以前のわれわれとインターネット以降のわれわれは物の感じ方や考え方、行動様式がまったく違う。

最近、ターコイズブルーのセーターや紫いろのサスペンダーを選んだりしているのは(なんで?)(なんで僕はこれを選んでるんだ?…)(前はこんな彩度高い色、選ばなかったのに?)
(この色が好きだから?)(それとも)(人に見られたいから?)

ある寂しがり屋に辟易した。
その人は無限に自分語りのできる人だった。
たぶん、話す相手は誰でもいいんだろうなと思った。
僕はかわいいテディベアを代わりに席に座らせて、その場を去った。
声はまだ同じ調子で響き続けていて、やむことを知らないようだった…

僕も、君も、
本当に自撮り、できているんだろうか。
本当に自分が、見えているんだろうか。
君は「自分が嫌い」だと口では言う。本当にそうかもしれない。
自分で自分を誉めてみても、すぐにまた虚しくなっているようだから。

僕は?
本当に満たされるのって、どんなとき?

…日光浴びて歩いたり…カラスが飛ぶのを見つめたり…相性のいい古書店見つけたときとか…コーヒーおいしく淹れられたとき…本を読んで頭が溶けるとき…哲学カフェで問いが深まるときとか…音楽に全知覚もってかれるときも…映画に没入してるときも…

――わりと素朴だ

文章をしっくりなぞりだせたときもそう。
心地いい疲労感があって。よく眠れる。

「集中すると幸福感を感じる」
一神教の信仰も似てる。
絶対の一点、神に集中することであたりのノイズは消え失せる。
アイドルのヲタだったときの幸福。あれはハイだった。副作用もあった。(推しメンをディスられると秒で敵対してしまったり)
以前飛行機に乗ったとき。隣に乗り合わせた人が神を紹介してくれたことがある。
その神様はB5サイズくらいの紙に書かれた神様で、安全のためカバーを装着していた。
彼女は静かに神様と見つめあった。それが日課なのだ。
彼女と、彼女の神。一対一。空中で。

日本の神道には八百万の神がいる。アイドルも無数にいる。
相対的価値。誰が誰だか、どれが私の神か、わからない。
わからないのは困るから、とりあえず目に付いたのを手に取る。手に取ると、それな気がしてくる。疑念と焦燥。不安と暗示。早くノイズから逃して。早く。
早く、ただひとつの絶対を、ちょうだい
と諸手を挙げて押し寄せる信者志願者の波。
どこかしらポリアモリックな雰囲気もある。
「あなたに向き合うときは、あなたの神になるよ」
「君の名前は知らないけど、君たちを愛そう」
一人一人を愛せるのなら、愛する相手が複数いてもいい。
[複数の絶対]という発明。
みんなもれなく博愛の名のもとに飲み込まれる。

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公園を散歩する
あたりいちめん日光に満ちていて
うすいまぶたにいちばん感じる
とじてみると、静かな白熱
風の音が聴こえる
鳥の声もする 落ち葉が流されていく音も ……

ベンチでは
風の冷たさと、日の照らす温かさが、同居する
まぶたをひらくと、葉が飛ぶ影
蟻が何か運んでる
白い小さな蜘蛛がうずくまってる

一陣の風
葉っぱの群れが舗道のうえを
色んな色で、回って流れ去る
あちこちから、織り重なるように鳥の声

ぼーっとしていて、飽きない
空っぽになっていく感覚
空っぽに…

——————————————-

集中すると空っぽになる

芝居するとき、歌うとき、絵を描くとき、文を書くとき、
空っぽで、そして幸福だった

<社会人>でもない、<男性>でもない、ってだけで
僕は外に出られなくなり引きこもった
映画の中へ、本の中へ、頭の中へ、夜の中へ――逃避
わきあがり、あふれだす、無色透明の――灯油
痺れていようが燃えてみようが、僕は、

誰も見てなければ
誰からも認識されていなければ
存在しないも同然

(もう死んでもいいのに)と思ったのは、
自分を無価値に感じて辛いとき―ではなくて、
ありとあらゆる神がビッグクランチしたかのような、ぶっちぎ…ぶっやおよろずぎりの”美”に遭遇したとき。
そんなとき、どうでもよくなる
陶酔。放心。
生きてきた時間すべてが、一点に収束
終わってもいい…のにまだ、息をしている。なぜかまだ、意識がある。
この宇宙に還元されるまでの時間が、まだ残っている…

それを思うと息が浅くなってきて、ややもすると、忘れる

おどりばでオートという名前をえて生きはじめた。
片隅であっても、可視化される感覚はときどき鮮烈すぎた。
だれかの視線が、思念が、エクトプラズムのように作用
輪郭は膨らみ 像は継ぎ接ぎ
謎のぬるい透明液が流れだし 濡れたとこから感光
ひりひりと 貌が浮かびあがる
ふらふらと 冬が来てしまう
なにか痕跡を残さないと、
息を忘れないように息ないと、
窒息してしまわないように

——————————-

人は苦痛から解放されるために、昔から試行錯誤を試みてきた。
瞑想も原始的な実践のひとつ。
現代ではバイオテクノロジーによる感情の進化が議論されている。
つまり、もう、嫉妬にも不安にも怒りにも嫌悪にも失望にも、
飽きたということだ。
それらの苦痛が「人間であることの証」だという主張を、
そうした「人間」の定義を、この先永劫受け入れていく気はない。
はるか過去、先祖が環境へ適応するために必要だった信号、それが感情。

遺伝コードを書き直せるようになったら?
パーマネントマッチを擦っているうちに
インターネットが僕たちを変えたように


未来はまだ、
天国はまだ、

誰も見てない

オート

Xジェンダーのゾンビでコーヒー淹れたがりのカラスラヴァー。

プロフィール

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  1. ゆうりゆうり

    わたしは、オートさんの記事、毎月楽しみにしていて、拝読していますよ。うふふふふふ。
    全部、本当にぜーーーんぶが面倒に思えて、もういいやーって途中で投げ出したくなる。人との関わりも、生きることも。
    でも、わたしは知りたいです、読みたいです、オートさんの考えや、文章。
    自己肯定感、自己肯定感、自己肯定感。書きすぎて、わたしもおかしくなってきました。もはや、それ、なに?美味しいの?みたいな。
    でも、それが無いと、大切な人に迷惑が掛かることも学びました、最近。おどりばには書けない話なので、いつかオートさんに、こっそり聞いてもらいたいです。
    わたしは博愛が出来なくて、めちゃくちゃ偏愛だから、みんな平等とか出来ない、みんなのことを受け入れられる人、すごーいって思っちゃいます。
    オートさんは素朴っておっしゃるけど、オートさんの満たされる時、ステキだなって思ったし、満たされる時を自分で分かっている、それもステキだなって思います。
    いつもハチャメチャなコメントでごめんなさい。

    • オートオート

      ゆうりさん。
      今回も読んでくれて、コメントを残してくれて、ありがとうございます!

      記事の中で書いた<数>の表示とは違い、コメントは、言葉は、目に見える「声」です。
      書きだせばその人の固有さがあらわれる。
      サイレントな空白に、気持ちや考えを具象化してくれて、
      しかも僕が読めるようにゆうりさんの声を届けてくれること、そのことがうれしいです。
      僕のことを読んでくれて、知りたいと思ってくれて、ありがとう。
      ゆうりさんのうふふふふふ。に、首元をそっと素手で掴まれたような、ちょっと怖いような…気持ちいいような笑

      自己肯定感がなさすぎても、ありすぎても安定しないのかもしれませんね…
      よければいつか、お話聞かせてください。そのときは一緒に、自己肯定感のゲシュタルトクラッシュパフェでも食べましょう!

      前に哲学カフェで、「好きな人はどうして一人に絞らないといけないのか?」というテーマになったことがあります。
      そのとき、「自分は複数の人を愛したいけれど、相手にとっての自分はオンリーワンであってほしい」という意見が出ました。
      身勝手の極みだけど、わりとみんな黙ってうなすいてました笑
      っていう僕も愛されるなら偏愛じゃないと信用できないところがあります。
      博愛されるうちの一人なら、じゃあ僕一人消えても惜しくはないねって光の速さで退く。そして日光浴に行きます。
      だからゆうりさんも、アメリカーノな博愛なんか出来なくていいです。
      これからも好きな人や好きなことに、めちゃくちゃ濃いダブルエスプレッソかっっってくらいの偏愛を注いでいってください!

  2. しぶや

    細かなガラス片がばら撒かれた砂浜を、
    裸足で歩ってしまったような感覚。

    以前、しえさんがオートに残した感想。
    (あんまり見事にとらえるので、うれしさとジェラシーでキュンとなった ずるいよー(*´▽`*))

    オートの作品はまずお腹で読みます。
    胃に残る不燃未消化物をそのまま味わう

    つぎに脳内再生 
    内耳で聴いて音楽とノイズを愉しむ

    そんで最後に頭で考える
    わからないこともいっぱいある
    そうゆうとこ好きです

    そのせいかな?
    いつも内容に寄り添った感想にならない…
    ほんとごめんなさい

    さてさて今回のお話はどうやろ?
    砂浜ジャリジャリかなーw
    めっちゃ熱くてヤケドしちゃうかなー♬
    期待度MAXで1歩踏み出す

    あれ?砂浜常温…
    あれあれ?砂サラサラやん

    すごく読みやすいんです
    頭に入ってくるんです!

    オート大人になっちゃったのかな?
    普通のこと書いてたらマジでどうしよう…

    不安で指先がヒリヒリしてきた
    いつもよりゆっくりスクロール 
    スクロール..

    失礼しました。
    すごくいいっす!

    なんか文章キレイ
    リズムいいなあ
    ———–で区切られた場面転換が
    ショートカットの映画みたい
    抑制が効いていて一見常温→
    地下熱量がグラグラ

    公園を散歩する~はクラクラしました
    コントロールされたリズムが縦軸を整え
    選びぬかれた素朴なことばが横軸を彩る
    主張が削られると意味合い無限にひろがるね

    とじてみると、静かな白熱 ここたまらなくすきです(>_<。

    この詩から連想したのはbonobos「三月のプリズム」
    よかったらYouTubeで聴いてみてくださいも

    この詩以降は最後まで本文でありながら詩のようで、
    いつの間にかラストまで運ばれちゃうね。

    だめだあ
    書き切れない
    また会った時に直接伝えさせてください。

    あと ぶっやおよろずぎりの”美” なんだろう
    すごく気になる…
    よかったらそれもその時教えてください(ゝω・)

    • オートオート

      しぶやさん

      とっ―――…っても遅くなってしまいましたが、コメント返しさせていただきます!

      コメントを読んで、五感で味わっている臨場感が伝わってきて、僕のほうが生唾を飲み込んでいました笑

      書きたいことが多くて、でもすべて(僕の中では)つながるエピソードだったので、シーンを分けてつなげました。
      振り返れば、おどりばの記事は毎回多かれ少なかれこの手法を用いていたような気がします。それにしてもこの回はごったですね。

      <不燃未消化物>っていう字面は、いいですね。<吐瀉物>よりはるかに詩的でセーフです←

      リズムを整えるには、本当は音読するのがいいそうです。
      僕は声に出すのとか恥ずかしくて、内心で静かに反芻するくらいですが…
      月イチだと時間があるぶん、無意識に調整してたのかもしれません。
      素朴さを意識して、サラサラの蟻地獄を作ろうとしてたのかもしれません。
      縦軸と横軸… whoa… そう喩えられるとなんか、、すっごく意図的に読めてくる…!!
      いや、またコメント負けしてますw
      これはあれです。しぶやさんがアマゾンレビュワーだったら買っちゃうやつです。

      興奮をありがとうございます!
      また会いましょう!