22歳、冬の価値観

住人

『幸せとは何だと思いますか』
 街頭で青年に尋ねられた。
 細かい雪がぱらぱらと降っていた。指先が冷たくて仕方なかった。彼の睫毛は凍っていた。
 
 私は答えた。
『あなたも私も、今すぐ暖かい場所に帰るべきです』
 彼は少し驚いたような顔をして言った。
『それが、問いへの答えですか』
 私は手に舞い落ちる雪の冷たさを感じながら答えた。

『私の幸せを知ることが、あなたの幸せなんですか?』

 鋭利で透明な、冬の夜のことだった。

 今年は、「価値観」について、深く深く考えた年だった。
 どんな生き方をしたいか、何を大切にしたいか、どんなひとと一緒にいたいか。色々なことを、色んな所で、色んなひとと考えた。

 その過程で辟易としたのが、勝ち組、負け組論争だった。

 勝ちって何ですか。
 いい大学に入っていい企業に勤めて、程々の年齢で結婚し子供を産み、高水準の人生を与えてやることに力を注ぐ。
 所謂、こういうことですか?なるほど。
 じゃあ負けは何ですか。全部ひっくり返してみますか。
 志望大学には入れず就活は全敗し、婚期を逃しずっと独身で、幼稚園ではしゃぐ子供たちを横目に静かに年を取っていく。
 これは、負けなんですか?なるほど。

 ――いや。

 そんな基準で、勝ち負けが決められてたまるか、と思った。
 そんな勝ちなら私はいらない。
 勝ちたいなら、勝ちたい人だけ勝手に勝っていればいい。お、高度な韻踏んだ。
 
 つまり私が言いたいのは、先に述べたことに価値がないとかそういうことではなく、勝ち負けとか幸せの基準を、誰かに決められてたまるか、ということです。環境の大切さもお金の大切さも分かっているし、公園で遊ぶ家族を見ると素敵だなあとも思うけれど、それらを得ること=勝ち組、みたいな考え方が、どうしても肌に合わなかった。結果論じゃないですか、すべて。人生を勝ちとするのも負けとするのも、自分にしか与えられていない権利なんじゃないですか。
 
 じゃあ私にとって幸せとは何か、という、ありきたりだけれど答えるのが難しいことを、ぐるぐるぐるぐる考えた。考えているうちに死んでしまうんじゃないかとさえ思った。私は死にたがりだけれど、今死ぬのはちょっとかなしい――そう思った時、ああ、そうかと思った。

 どうせ、いつ死んじゃうか分からないんだから。
 幸せだ、と感じる瞬間が沢山あった方が、幸せなんじゃないか。
 それが、今の私にとっての、幸せとは何かの答えのような気がした。

 私は決して前向きな人間ではないから、色んなことに対しすぐに不安になるし、先のことを考えすぎると動けなくなる。

 だからこそ、小さな幸せを溢さず拾い上げられるひとでいたいと思う。夕空がカクテルみたいな色をしているとか、今夜の三日月は何だか美人だとか、アパートの駐車場で猫に会ったとか。そういう一つ一つのことに、幸せを感じられるひとでいたい。

 そして、自分にとって幸せとは何かを考えることは、どんな人と一緒にいたいか、ということを考えることでもあった。友達とか上司とか恋人とか。
 特に最後について。AI婚活という言葉にもマッチングアプリという言葉にも辟易としたし、恋愛に対する価値観の多様さにくらくらしたし、地雷のような考えも沢山踏んで何度も大怪我をした。
 だからここから少しだけ、私の恋愛論を語らせて下さい。許して下さい。邪推はご遠慮致します。

 では、どんなひとと一緒にいたいか、あるいは、どんなひとが好きか、という問への答えとして。

 私は、どんなに強く手を繋いで眠っても、同じ夢は見られないという寂しさを、分かっているひとが好きだ。
 迷子になった時、手を引いてやる、じゃなくて、一緒に迷おうか、と言ってくれる、あるいは開けた場所に出られるまで見守っていてくれるひとが好きだ。

 でもたぶん結局は、好きになったひとのことが好きだ。

 そんなひとと、寄り添って静かに本を読んだり、お互いの好きな映画を観たり出来たら幸せだ。お腹が空いたら近所のコンビニまで歩いて、おでんを食べながら帰るのも幸せだ。
 デートがサイゼリヤでも、高級イタリアンでも、
 「しょうがないなぁ奢るよ」という日も、
 「今日はちょっといいとこに食べに行こう」そんな日も、
 このひとと一緒になら何だか楽しい、と思えたら素敵じゃないですか。

 俺が守ってやるよ、幸せにしてやるよ、そんな言葉は地雷なんです。絶対も永遠もこの世には存在しないのに、あなたの自信は一体どこから来るんですか。鼻からですか?
 私は、幸せにしてもらうのではなくて、一人でも幸せを拾い集めることが出来るけれど、それでも、あなたといたらもっと幸せだなあと思えるひとと一緒にいたいと思うんです。どちらかがどちらかを幸せにするという考え自体、違和感を感じざるを得ないんです。幸せって、「なる」ものなんじゃないですか。ふたりで。

 話が逸れました。恋愛小説を専門に研究する教授の下で学生時代を過してきましたが、恋愛論なんてまだ書けるはずないですね。いつか書いてみたい気もします。下書きばかりが溜まります。
 これが、私の一つの価値観です。現段階での。

 2020年に得た、価値観についての知見。

 勝ち負けを決めるものさしなんて、どこにも存在しなかった。
 あなたの勝ちもきっと正しいし、私の勝ちもきっと正しい。
 何が幸せかなんて、ネットのどこにも載っていなかった。
 あなたにはあなたの幸せがあり、私には私の幸せがある。
 あなたはあなたの人生を愛すればいいし、私は私の人生を愛する。
 お互いのエゴが穏やかに重なった時、ひとはこのひとと一緒にいたいと思う。Q.E.D.
 
 ……すべて現段階での、です。

 最後に、価値観とは何か、という問への答えとして。

「100万円あったら何に使う?」という質問があった時。
「服を買う」「車を買う」「貯金する」「旅行する」、等々、この答えの一致がきっと、
 かちかん、の一致なんじゃないでしょうか。

 そして、
 価値観の一致を大切にするのも価値観。価値観の違いを大切にするのも価値観。
 好きなものが同じなひとと一緒にいるのも価値観。許せないものが同じなひとと一緒にいるのも価値観。
 なんじゃないでしょうか。

 ちなみに私は、100万円あったら、毎日夕飯の後に美味しいケーキを食べて、ちょっとした幸せを一日にプラスしたいです。100万円あったら一体何日、「ちょっと幸せ」になれるんでしょう。うへへ。幸せならカロリーゼロです。
 でも、急に何かが欲しくなったり、旅行に行きたくなったりもするかもしれない。その時はその時です。人間だもの。

 これが私の、22歳、冬の価値観です。And you?

P.S

 メリークリスマス。

しづく

夕暮れと夜の狭間で息をしています。 迷子のちっぽけな小説家です。

プロフィール

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。