人生終わりだ、と思ってからが文学だ

『僕はね、自分が死ぬ時に、一番美しいと思える遺書を遺すために文学をやっているんです』
3年前の冬、
人生を迷走していた私の心に、
教授のその言葉は、あまりにも深く突き刺さった。
『本が一冊あれば、僕たちは、陽のあたる野原に寝そべりながらでも、世界を学ぶことが出来る』
ああ、この教授の言葉をもっと聞いていたい。
刺さった場所から温かな血が流れるのを感じ、半ば泣きそうになりながら思った。
私が、人生の進路を大きく変えた瞬間だった。
*
私は大学で、文学に浸る日々を送ってきた。
けれど元々、文学なんてやるつもりはなかった。
高校の頃から、遠くへ行かなければならない、という焦燥感があった。とにかく実家を出たかった。窒息しそうな狭い場所から、息のしやすい広い場所へ出ていきたかった。
そのために、勉強した。
必死で勉強した。
家では心をうまく保てなかった私は、家族の誰よりも早く家を出て、学校や図書館や塾にこもるようになった。極力家にいなくていいように、終電(田舎だからそれほど遅くはない)ぎりぎりまで自習室にこもり、参考書とひたすらにらめっこしていた。
夜、街頭の少ない道をひとりで歩きながら、あまりの孤独さに泣き崩れてしまうこともあった。
「大学で何を学びたいのか?」
当時、その問にははっきりと答えることが出来なかった。
でも、漠然と――、
かつて自分が救われなかった分、誰かを救える人になりたい、と思っていた。
けれど、どういう形で救いたいのか、そもそも救いとは何か、までは分かっていなかった。
そのためには何になればいいんだろう、とずっと考えていた。心理学を学んでカウンセラーになりたかったし、教育学を学んで教師にもなりたかった。でも結局、18歳の私には答えを出すことが出来なかった。
そして私は、救われなくて泣いていた過去の自分の面影を引きずったまま、大学に入学した。
*
大学に入ってからの日々は、それはそれは目まぐるしく過ぎた。楽しくて、刺激的で、忙しくて。
けれど次第に、虚無感に襲われるようになった。
私には何が出来るのだろう、と考え始めると、結局私には何も出来ないのではないか、という結論に達してしまう。あんなにやりたいと思っていた心理学をやるべきなのか分からなくなったし、結局、教職も取らなかった。
大学1年の冬、私の心は音もなく折れた。1週間くらい、学校にも行かず友達とも会わず、部屋の中に閉じこもっていた。
もしかしたらここが、人生の終わりなのかもしれない、と思った。私は何にもなれないまま、何者にもなれずに終わるのだ、と。
その時、
――嫌だ、と思った。
終わりにするのは、せめて何かを残してからだ、と思った。
そして私は、教授の言葉と出会った。
*
選んだ比較文学という場所は、私にとって、とても息がしやすい場所だった。
皆それぞれ、大切な作家や作品を持っていた。そして、お互いの大切なものに敬意を払い、大切にし合っていた。
ここでなら、拒絶されるのではないかという不安を抱くことなく、好きなものを好きと言うことが出来た。太宰が好きでも愛読書が『人間失格』でも、安心してそう言うことが出来た。
また、まるで歩く小説のかの如く、感性と言葉が豊かなひとと沢山出会った。先輩、同期、後輩、教授、それぞれの感性と言葉が、私は大好きだった。
ここでなら、感受性を押し込めることなく、感じたことを恥じらいなく話すことが出来た。痛いと言われることを恐れず、夏の終わりの匂いのこととか、昨日見た夕空のことを話すことが出来た。
あまりひとには言わないようにしていた趣味だって、ここでは言うことが出来た。
「私、小説を書いているんです」
引かれるのではないかと思いながら、思い切ってそう言った私に、
「ぜひ読んでみたい」
と言ってくれるひとがいた。
そして、実際に読んでくれて、感想をくれるひとがいた。
「ぜひ書き続けて下さい」
私の小説を読んだ教授はいつも、感想の後、そう締めくくってくれた。
小説を書くことが、自分にとってどれだけ大切か気づくことが出来たのも、この場所にいられたからだ。
たぶんここでなければ、私はとっくに、小説を書くことをやめていたはずだから。
分からない。本当に、人生は。
厄介なことになってしまったような気も、あまりにも深く、救われてしまったような気もする。
大学4年間を通じて、私は、フランス文学と、詩と、恋愛心理(自分のこととなると話は別)と、ワインに少し詳しくなった。
そして、沢山の救いになる言葉と出会った。これからもずっと話していたいと思えるひとたちと出会った。人生をかけて大切にしていきたいことと、出会った。
*
「文学なんて、社会で何の役に立つんですか」
就活中、何回も浴びせられた言葉だ。
その度に心はへし折れたけれど、今なら少しだけ、言い返せる。
確かに文学なんて、なくても生きていけますよ。
でも、文学がない世界なんて、それこそ救いようがないんじゃないですか。
何物にも救われなかったひとに残された逃げ場が、文学なんじゃないですか。
助けてと言えず苦しんでいるひとたちの代わりに、あるいは、言えずに消えてしまったひとたちの代わりに、助けてと叫び続けるのが文学なんじゃないですか。
こんな訴えさえ、暴力ではなく美しい言葉で行うのが、文学なんじゃないですか。
書いていて思った。
たぶん、私は文学が好きなんだろうな。
元々、「なくても生きてはいけるけれど、あった方が幾分幸せだよね」と思えるものやことが好きだった。雑貨とか食器とか。文学も、その部類のような気がする。私は、文学のない世界でなど生きていたくない。そんなの無駄じゃない?と言われようが、私はそこに価値を見出していたい。
もし大学1年の冬に、別の選択をしていたらどうなっていただろうと考えることもある。
けれど、あの時の自分の判断を、後悔したことは一度もない。
何度繰り返したとしても、私は同じ道を選ぶのだと思う。
*
1月12日、私は卒業論文を提出した。
太宰治を、比較文学的観点から研究した論文だった。
「大好きな作家について、大好きな分野で、満足いくまで研究したいんです」
去年の春、半泣きになりながらそうメールを送った私に、
「あなたにしか書けない太宰論を書いてください」
教授がそう返してくれたことを、今でも覚えている。
自分を褒めるのが苦手な私が、心から頑張った、と思えるくらいには頑張れたと思う。
大学院には行けなかった分、学生の間は悔いなく研究に打ち込む、という目標は、ちゃんと果たせたと思う。
ぼろぼろになった新潮文庫版の『人間失格』を本棚に戻した時、私は少しだけ泣いた。
――太宰さん。
人間を失格していようが合格していようが、
そんなことどうでもいいと思えるくらい、
私は文学を学ぶ学生として、十分やり切ったよ。
*
誰かを救えるひとになりたい。
その思いは、あの頃から変わらない。
大学で、色々なことを考え、悩み、苦しんだ。文字通り、学びながら生きてきた。
今の私はもっとはっきりと、なりたい自分の姿を描くことが出来る。
私は言葉で、誰かを救えるひとになりたい。
誰かの傘になれるような言葉を紡げるひとになりたい。
ひとは、一つの言葉で救われることがある。
絶望のどん底にいても、一筋の希望のように差し込む言葉に救われることがある。かつての私が、そうであったように。
「ずっと生きていなければいけないと思わなくたっていい。死にたいと思っていたっていい。でも、あなたは生きていていい。あと一日くらい、一緒に生きませんか」
それが、たぶん、かつての私が求めていた“救い”なのだと思う。
そして、いつ、どこにいても、そんな風に誰かを救えるのが、言葉だと思うのだ。
学生を終えることはすごくかなしい。すごくすごくさみしい。最近ひどく感傷的になっているせいで、大学構内を歩いているだけで泣き出しそうになってしまう。もっとここにいたい。ここで出会ったひとたちとずっと話していたい。もっと、もっと――。
でも、いっさいは過ぎていく。
4月から、私はこの場所を出て、生きていけるだろうか。将来のことを考えると、不安で眠れなくなる。正直、1年後にちゃんと生きている自信がない。怖い。
でも、今までだって、
人生は終わりだ、と思ってからが文学だったじゃないか。
何度も、もう終わりだと思う瞬間があった。けれどそれはあくまで、頁の終わりに過ぎなかった。その後もちゃんと、人生は続いていた。絶望した分だけ、次の頁は少し面白くなった。
何を言ってるか分からない、と思った方、
奇遇ですね私もです、気が合いそうですね、お酒でも飲みに行きませんか。
(少し余談ですが、大学を卒業した後も、ことあるごとに会って話してお酒を飲みたい、と思えるひとと出会えたことって、とても幸せなことだと思うんです。私は酔うと「ありがとう、あなたと出会えて良かったよ」おばさんと化してしまいますが、あれは本心です。記憶は全部あるので翌朝恥ずかしくて死にそうになります。こんな私でよければこれからも何卒よろしくね)
――とにかく。
社会の荒波に飛び込んでいくのは怖いけれど、いつも心に、大切な言葉を持ち歩いていたいと思う。きっと、溺れそうな時に私を助けてくれるはずだから。頼んだぞ、太宰、ヴェルレーヌ、ランボー。
そして、
私も、誰かにとってそんな存在になれる言葉を紡いでいたい。
いつか自分が死ぬ時に、満足のいく、美しい遺書を遺したい。
そのためには、まだ時間が必要な気がするんです。
*
最後にもう一度だけ、
いつか人生に絶望するかもしれない私に向かって、言っておきます。
人生終わりだ、と思ってからが文学だ。
明日からは、第2章だよ。
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