「こんなはずじゃなかった」の先で

住人

久しぶりに定時退社した日。
くすんだビル街に、くぐもった音で、宇多田ヒカルの歌が鳴り響いていた。

雨に濡れた東京は、穏やかな悲哀に満ちている。

社会人になって1ヶ月。

文学を読み、詩を書いて生きてきた私は、
WEBディレクター(見習い)になった。

傘を広げ、狭い空を見上げながら思った。

「あれ、こんなはずじゃなかった」

*

部署配属されてから、激務の日々が始まった。
WEB系の知識がゼロの私には、覚えることが山ほどある。話の内容が8割理解できない会議がとめどなくある。指導してくれる先輩は定時が終わっても一向に帰らないから、私も全然帰れない。

帰りの電車の中で、ぷしゅう、と音を立てて頭から煙が出るのを感じながら、教えてもらったサイトを読もうとしては乗り物酔いする毎日だった。

大丈夫かな私。
希望の部署に配属されたはいいけれど、近いうちに潰れないかな。

あれ、こんなはずじゃなかった。

定時を1時間過ぎたあたりで心がみしょっと折れるし、満員電車で座れないと泣きたくなる。夜遅く家に帰っても、ごはんはないしお風呂も湧いていない。それでも朝は早い。つらい、と弱音を吐きたくなる。でも社会人なんて皆こんなもん?もっとつらいひとだっている?いや、つらさの指標は自分にしかないんだ。私がつらかったらつらいんだよ。と、半泣きで半額のお弁当を食べて眠る。

大変だ。とても。
でもこの大変さは、大丈夫な大変さだ、とも思える。

どうしてだろう。

先輩が美味しいランチのお店を教えてくれるからか。新卒を取るのが初めてだという部署で、期待されている分応えたいと思うからか。あるいは、働けばお金がもらえるからか。

いや、どれも、少しずつ違う。

*

最近、初めて案件を任せられた。
一から企画を立てて、社長の前でプレゼンをして、実際に周囲を巻き込んで、一つのものを作る案件。

「あなたの考える力と書く力を、生かしてほしい」

部長からそう言われた時、ぶわ、と心が浮き立つ感じがした。

それは、身に覚えのある高揚感だった。

この感覚を初めて抱いたのは、小学2年生の小説を作る授業の時だった。好きに考えて好きに書いていいんだよ、と言われた時の、心に羽が生えたような感覚。当時8歳の私は、夢中で物語を考えて、ひたすらに書き綴って、担任の先生がたじろぐほどの長編小説を完成させた。やれやれな児童だ。

私はやっぱり、考えることと書くことが好きなのだと思う。

だから、それを生かせる部署での仕事に、やりがいを感じているのだと思う。

あれ、気づいたら私、好きなことを仕事にできている。

「こんなはずじゃなかった」

*

去年の今頃は、就活の暗黒期だった。
文章に携わる仕事がしたくて、出版社を片っ端から受けては落ちまくっていた。祈られすぎて神にでもなったかと思っていた。

履歴書を書くのも面接も大嫌いだった。紙切れ一枚と数十分の面接だけで、私の一体何がわかるんだと思っていた。

けれど就活をしないわけにはいかなかった。何とかしてどこかから内定を取らないと、来年から本当に生きていけなくなると思っていた。毎日何かに急かされ、切迫していた。

実家にも帰れず、体調を崩しても誰にも頼れず、結局倒れて入院までした。休みなさいと言うお医者さんに、じゃあ来年から私の人生の責任を取ってくれるんですかと言い返したくなるのを抑え、病院内のTULLY’Sで必死に履歴書を書いていた。

夏を目前にして、最終選考に進んでいた出版社と新聞社、ふたつ同時に祈られることなく落とされた時、私は文章に携わる仕事をするのを諦めた。

人生のどん底だった。学生最後の夏を、こんなに苦しいものにするはずじゃなかった。

それからの私は、なりふり構わず多種多様な会社にエントリーした。内定がひとつでも出れば人生は安泰だと思っていた。でも、全く行きたくない会社から内定をもらってからが、本当の地獄だった。

この会社には行きたくない。
けれどもう、就活なんて続けたくない。続けられない。

内定があるんだから、と元気なふりをしながら、毎日絶望して泣いていた。誰かに助けてほしかった。でも、自分を助けられるのは自分しかいなかった。

死にたくて仕方ないはずなのに、どうしたら生きていけるかを必死に考えていた。
少しでも自分のいやすい場所で、仕事をしたかった。
そのために、自分が納得できるまで足掻き続けた。

ずたずたになり迷い苦しみながら、結局秋の終わりまで就活を続けた。そして辿り着いたのが、今の会社だった。

でもその会社では、文章を書くことを仕事にできるとは思っていなかった。それは仕方ない。与えられた仕事を好きになるしかない。そう思っていた。

けれど部長は言った。

「あなたは書くことが得意なんだから、その力を伸ばしていけばいい」

*

人生は「こんなはずじゃなかった」の連続だ。
けれどそこに含まれているのは、後悔の意だけではない。

春先に内定をもらえていたら。あるいは途中で就活をやめていたら。今の会社で、好きなことを生かした仕事をすることはなかった。

就活で苦しむことがなければ、おどりばのドアを叩くこともなかった。おどりばに入ったから出会えたひとが沢山いる。運営の方。愚痴聞き屋さん。住人の方々。その中には東京で会ってくれた方もいる。私にとってはそのどれもが大切な出会いだ。ここだから書けることも沢山あったし、これからもきっと沢山ある。

東京に来なければ、ビルに挟まれた淡い夕空を見ることも、夜の東京駅でスタバの新作を飲むこともなかった。そして、生まれ育った長野のことが大好きだと感じることもなかった。帰りたい場所があることに、気づくこともなかった。

自分の状況を、100%これでよかったと思うことは難しい。
ずっと今の場所にいるべきなのかもわからない。
たぶん本当に望んでいるのは、仕事で成果を上げることではない。優しい小説を書き続けることであり、誰かの「大丈夫」になることであり、そのためにはまず自分が大丈夫になることだ。

そのためには今、何が出来るだろう。どこで、誰と、何をするべきだろう。私はどうしたいんだろう。ずっと考えて動いている。「こんなはずじゃなかった」と「これでよかった」を繰り返している。

迷うことは苦しい。はたから見たら痛々しいことかもしれない。
だけどとても、美しいことだと思う。

「こんななずじゃなかった」と感じることは、後悔と同時に希望を抱くことだ。

だから、

その先にあるのはきっと幸せだと、信じている。

しづく

夕暮れと夜の狭間で息をしています。 迷子のちっぽけな小説家です。

プロフィール

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