人生深夜の分岐点

住人

  誰と出会うか、出会わないか。
  この人の行く先を変えるスイッチは何か。

           ―ドラマ「MIU404」より

人生は、誰かの人生と交錯し続けることだ。

いつ、誰と、どこで出会うか。
数多の分岐点によって、人生は変わっていく。

だからこそ、
私の人生と少しでも交わってくれたひとはみんな
幸せであってほしいと思う。

人生を振り返った時、
私の人生と混じり合っていた時期を、
幸せな時間だったと
回想してほしいと思う。

あなたと出会えてよかったと
思ってもらえる人間でありたいと思う。

とても強く。

* 

休職中
つらいことが沢山あった。

「大変だね」
「どうにかなるといいね」

そう言われる度に
孤独感に殺されそうになった。

その言葉が優しさであればあるほど
苦しくて仕方がなかった。

帰る場所なんて
自分にはない気がして
そう思ってしまう自分も嫌で

誰かといていいのか
ひとりでいたほうがいいのか
わからなかった。

「よく自殺しなかったね」
「よくグレなかったね」

そう言われる度に
自分が不幸のマウントを取っているようで
かなしくなった。

そう言われたくて
生きてきたわけじゃない。

幸せになりたくて
生きてきたのに。

「休職なんてしなければよかった」

と何度も思った。

泣きながら夜道を徘徊したり。
大切にしてきたものを侮辱されたり。
逆に体調が悪化したり。

その度、間違えたと思った。
何も考えずに働いていたら、
こんな苦しい思いはしなくて済んだ。

でも、
それでも、
私は休職してよかった。

休職したから得られた瞬間が沢山あった。
それは休職しなければ触れられなかったものだ。

出会ったひと。
もらった言葉。
見た景色。
感じたこと。

そのすべてが
休職したから得られた
大切なものだ。

選んだ分岐点は変えられない。
何を選んでも後悔はする。
でも正解に変えることはできる。

過去は変えられないけれど、
時間を越えて救うことはできる。

苦しいことが沢山あった。
それは紛れもない事実だけれど

苦しいことが沢山あったけど
その分幸せだったよと
言えるような人生を送りたい。

苦しい時期はどうしても、
なくしたものを数えてしまう。

一緒にいられなくなった人。
休職せずに済んだ世界線。
家族で円満に過ごす夏休み。

でも
今持っているものや
誰かがくれたものを
ちゃんと思い出していたい。

一緒にいてくれる人。
休職して過ごした夏。
幸せだった家族の記憶。

何かを憎むより
何かを恨むより
何かに感謝して生きていたい。

*

正直

今とても苦しい。

復職を控えているのに
不安も迷いも孤独感も
うまく拭い切れていない。

復職手続きをしながら
転職活動をして

平気なふりをして
笑顔をつくって

本当は大丈夫じゃないのに
大丈夫ですばかり言っている。

連絡も全然返せなくなってしまった。
返したいのに、話したいのに。

みんなを裏切っている気がする。

「迷惑なんだよ」

刺さってしまった言葉だけが
いつまでも抜けない。
抜こうとすると血が出て
痛くて仕方がない。

自分の言葉が
相手を傷つけていないか
苛立たせていないか
迷惑になっていないか
怖くてどうしようもない。

その感覚はとっくに
乗り越えたはずだったのに。

たぶん
大丈夫だったという経験を
重ねていくしかない。

だから今
ここで記事を書いている。

*

つらいことばかり書いてしまった。
ここからは
ありがとうのパート。

最初にも書いたけれど

私は私の人生と交わってくれたひとに
幸せでいてほしいと
強く思っている。
人生なんて
それだけでいいような気もしている。

そのためには
私が幸せで生きる必要があるのだと思う。

例えば

私が幸せに生きれば
親を毒親にせずにいられる。

私が幸せに生きれば
関わったひとすべてを大切に思える。

人間はエゴの塊だから
幸せになりたいというのは
結局自分のためではあるのだけれど

そうだとしても
私の中には

私のために、
「誰かのために」
幸せになりたいという思いがある。

*

どうしても助けてと言えない時、
おどりばのひとたちが残してくれた文章を読んだ。
ドアを叩くと、そこには誰かが「居て」くれた。
時間と場所を超えて、私に言葉をくれた。

そのことに、勝手に救われていた。

ここにいる、
あるいはいたひとたちが、
今もどこかで生きていることに。
こうして心の深層の言葉を綴って
残してくれていることに。

ありがとう、と何度も思った。

たぶん
きっと
絶対に

おどりばに入居した一年前の夏は、
私の人生の大きな分岐点だった。

*

休職中、
これからの自分の人生を考え直した。
何のために書きたいのか
誰のために書きたいのか
どんなものを書きたいのかを
真剣に考えた。

沢山の人の人生に触れた。
私の人生にも触れてもらった。

その過程で、

私は誰かの思いに触れる瞬間が好きだと思った。
その瞬間を形にしたいと思った。

私は、
私のために、
「誰かのために」書きたい。

文章を書くことを仕事にしたら
逃げ場がなくなるんじゃないかとか
嫌いになってしまうんじゃないかとか
色んなことを考えたけれど、

私は、文章を書くことが好きだ。

好きなことに、仕事と趣味の境なんてない。
「酸素」のようなもの。
そう言われた時、とても腑に落ちた。
呼吸だ。
書くことは私にとっての呼吸だ。

文章にも色々ある。
小説もエッセイも記事も、ラインも手紙も文章だ。

そのどれもが、私にとっての救いだと気づいた。
だから「書く」のひとつを、仕事として選択してもいいのではないかと思った。

誰かの物語に触れて、
それを言葉にして発信する
お手伝いがしたい。

それが私にとっての
仕事というフィールドにおける
「書く」だ。

そう思い至り、
実績も職務経歴もまともにないくせに
思いの丈を綴った履歴書を書いて送った。

こういう時の行動力は
少し褒めてやってもいい。
だめだったらその時考える。

新しく「書きたい」軸が見つかって
色んな人から書ける場所をいただけて

それだけでもう
すごく幸せで
ありがたくて
休職してよかったと
叫んでもいいくらいだ。

*

9月から、一旦今の会社に復職する。

同時に、
長野でやりたいことをやりながら
聞きたい話を聞きながら
「人の思いに触れて書く」仕事ができる世界線を
探していこうと思う。

23歳の夏がこんなにも
苦しくて愚かしくて
痛くてつらくて
どうしようもないとは思わなかったけれど

影が濃い分、光は濃くて
すごく大切な、大切な時間だったと

思えるようになりたい。

今はまだ
難しいけれど。

不安で不安で仕方がない。
今度だめになったらもうだめだとか
実家にはもう帰れそうにないとか
じゃあひとりで生きてかなきゃいけないのかとか

考え出すとどうしようもない。
誰か助けてと毎日思う。
「助けられる」の意味すら
自分でもわからないまま。

でも、生きてる。
今はまだ、生きてる。

考えなければ楽なのに
考えて考えて
自分や相手と真摯に向き合って
馬鹿みたいに傷ついて

必死で、生きてる。

大切なひとたちがどこかで生きていることが
私の救いだから
私がどこかで生きていることが
誰かの救いになれているなら

私は生きたい。

全然まとまっていなくてごめんなさい。

読んでくれてありがとう。
私の人生と交わってくれてありがとう。

恩返しをさせてください。
もうずっと言ってる。
でも何度でも言う。

ありがとう。

良い夏の終わりを。

しづく

夕暮れと夜の狭間で息をしています。 迷子のちっぽけな小説家です。

プロフィール

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。