思いつく限り眩しい明日を

2ヶ月の休職期間を終えた。
新しい上司に挨拶をし、早速業務が始まった。
復職ってこんなにあっけないんだ、と呆然とした。
前日全く眠れなかったのに。あまりに激しく動く感情を覚えておきたくて、血を吐くように書きながら覚悟していたのに。
https://note.com/shizuku_yuzora/m/mb4cdd6b76efb
無理やり押し込んだコーヒーのせいで、一日中胃が痛かった。
定時になった途端、きりのいいところで帰っていいよと言われた。
怯えた。
まだ8時間しか働いてないのに、帰っていいの?
あんなに残業がきつかったはずなのに、早く帰れることが虚しかった。かなしかった。
わからなかった。
これでいいのか、わからなかった。
会社に戻ると決めたこと、別の部署に移ったこと、何もかも、「これでいい」と思うことが難しかった。
もやもやしたまま電車に乗って、例の如く座れなくて、よろけて隣のおじさんの靴を踏んだ。
帰りに寄ったスーパーでは、まだお惣菜が値下げされていなかった。
*
休職中、沢山の「選択」を迫られる機会があった。
どの部署に復職するかもその一つだった。
人事の方から「本当に戻ってやれるの?」「次はないよ」と言われ、「絶対大丈夫です!」と答えられる自信と意思がなかった。
その時期はとある企業との選考中でもあり、その結果がどう転ぶか分からなかったし、気持ちの整理もついていなかった。復職手続きをしながら転職活動をするなんて、誰に対しても不誠実で、精神的にもきつかったけれど、私も私なりに私の人生のことを考えて精一杯だった。
泣きながら「戻りたいけど怖い……」としか言えなかった。結局文面で「別の部署で頑張ります」と送った。
嫌だと思って休んだ部署に、すごく戻りたい。この感情を因数分解しなければならないと思った。もしかしたら、時間が経って惜しくなっただけかもしれない。一度手に入れたものを手放すのが怖くなる性格由来の感情かもしれない。それだったら、同じことの繰り返しになるじゃないか。
「企画やWEB制作の仕事は好き、もっと勉強したい」
「でもこの会社でそれを続けたいのだろうか」
「私が本当にやりたいのってこういうことだっけ」
「私はどこで生きたいんだっけ」
迷いが生じた途端、何のために頑張っているかわからなくなった。
だから、純度100の気持ちで「戻りたい」と言えなかったのだ。
*
新卒なのにすごいねと、厳しい環境なのにえらいねと言われながら、頑張っている自分が好きだった。それが自己肯定感に繋がっていた。
でも、東京で生きていく想像ができなかった。東京には東京のいいところがあるけれど、ずっとはいられないような気がしていた。いつか長野に戻りたかった。そんなことはタイミングによって変わるから考えても仕方ないのに、生きる場所はすごく大事な選択な気がして、考えるのをやめることができなかった。
色んな世界線―結婚する、家族を持つ、ひとりで生きる、誰かとシェアハウスしながら生きる―を考えたけれど、そのどれを選ぶにしろ、私は何かしらの形で長野と繋がっていたかった。
でも、今ここで長野に戻ることへの迷いもあった。長野との繋がりは絶ちたくないし、いつか戻ってきたいけれど、その時期を焦りすぎではないかと。
去年、初冬まで就活を続けてまで手に入れた東京行きの切符。それを、まだどこにも行けていないまま破り捨てるような感じがして。
一度東京に出たことは無駄じゃないと言ってくれる人が沢山いた。でも自分が一番、「もっと沢山のものを持ち帰りたい」と思っていた。まだ私は夜の東京タワーを見ていない。
家族との向き合い方に対する葛藤もあった。休職中に致命的な喧嘩をしてしまい、背水の陣意識というか、私は働けなくなったら終わりなんだという思考が強くなった。長野に戻ったら家族がいると思うと怖くてどうしようもなくなった時期もあった。
でも私は家族から逃げたいというより、適切な距離で向き合って生きたかった。家族は大切にしたかった。その方法を見つけたかった。
そのためにはまず経済的にも精神的にも自立したいと思ったし、そういう状態でないと帰れないような気がした。
沢山考えて、悩んで、色んな人に話を聞いてもらって、最後は自分で、
選考を受けていた企業には行かないと決めた。
部署を変えて、会社に戻ることを選んだ。
*
復職して一週間は、「何も選べなかったじゃないか」と後悔しそうになるのを止められなかった。「ちゃんと選んだんだよ」と無理矢理言い聞かせていた。正直、ポジティブにならないと潰れそうだった。悲観的になったら死ぬような気がした。
元の部署の方には、連絡ができなかったお詫びと、部署異動になった報告と、今までの感謝と、これからもよろしくお願いしますという旨をしたためたメッセージを送った。
返ってくる言葉は優しかった。
「戻れてよかった」
「無理せずにね」
「またオンライン飲みしようよ」
厳しい部長さえ、「君のその真面目さはどこへいってもポジティブに働くよ」と言ってくれた。
新しい部署の方も優しかった。丁寧に仕事を教えてくれるし、定時には帰そうとしてくれる。流れる空気もゆるい。
心がぐちゃぐちゃになった。
どうしてそんなに優しいんですか。
打ちのめしてくれてよかったのに。
お前を教育するのにどれだけコストがかかってるかわかってんのかって、怒鳴ってくれてよかったのに。
そうしたら何の迷いもなく、部署を、会社を、切り捨てられるのに。
たぶん私は、やりがいを感じられることであればいくらでも頑張りたいタイプなのだと思う。だから、何のために頑張っているかわからなくなった時、変に時間が空いた時、とても弱る。
自暴自棄になりそうだったので、残業するはずだった時間に何が出来るかを考え、自分のキャリア展望やこの会社でできることをまとめた企画書を作り始めた。いつ誰にどうやって渡そうか考えながら。でもこれ以上目立つことをしたくない気もする。ただでさえ、初めて採る地方出身の新卒で、初めて中枢部署に配属された新卒で、新卒採用開始以来初めての休職経験者兼、復職経験者だ。
人生の頑張り方が、定まらないからつらいんだ。
東京で頑張っていたら誰か見ていてくれるかなとか、長野に戻る時に居場所がなかったらどうしようとか、でも本当にやりたいことって文章だよなとか、ぐるぐるぐるぐる思考が巡って。
やりたい仕事と、生きたい場所と、本当にやりたいことが、少しずつずれているからつらいんだ。
今の会社が長野にあったら。あるいは長野で好きだあああと思う人たちがそばにいたら。たらればを考えてしまう。どうしようもないのに。
でも、落ち着け。
長野に帰れないからって、長野は逃げないじゃん。
繋がってくれる人が、見ていてくれる人が、一緒に何かしようと言ってくれる人がいるって、休職中、沢山感じられたじゃないか。
あとは私が、その繋がりを信じるだけだ。
*
だから私は、もう少し東京で頑張ることを決めた。
そうと決めてからは、やりたいことを一つずつやっていくことにした。私の心を最も蝕むのは、「何も決まらない」という状況だから。
まず、東京だからできること(このあたりの言葉選びも、できるだけポジティブなものに変えた。「東京でしかできない」だと、ちょっと悲観的な気がして)。
①私に生きるきっかけをくれた人と一緒に、表参道の美容院に行く。
②三鷹を散策して、太宰治の行きつけだったそば屋でそばを食べる。
③同期とカフェで綺麗なケーキを食べる。
①は昨日実行した。
忘れがたい日だったので、このことは近いうちに詳しく書こうと思う。
そして、個人的にやりたいこと。
私はいつか、WEBサイトをつくりたい。
そこにはいくつか小説を載せて、その登場人物にお手紙を依頼できる仕組みにしたい。
誰にも、忘れられない人、もう会えなくなった人、思いを伝えることがかなわない人がいる。私はその誰かになることは出来ないけれど、その誰かを投影できるようなキャラクターであれば、生み出すことができる。そういう存在からのお手紙が、誰かの小さな救いになれないだろうか、なんて考えている。誰かの人生の物語をそっと寄せ集めるのもいいなあと思う。生きていると訪れる文学的瞬間を、物語として残しておけたら素敵じゃないですか。まだ頭の中でしか、企画書を書いていないけど。
こうしてやりたいことを考えていると、会社ってうまくできてるんだなと思う。
企画する人がいて、制作する人がいて。どんな人とやるかを決めるために人事が必要で、スケジュール管理するディレクターが必要で、金銭面を任せられる人が必要で。営業も広報もマーケティング部も必要で。ビジネス本は読めないけど、社会に出てから身を以て、世の中の会社の仕組みとやらを学んでいる気がする。
自分が好きだなあああと思う人たちと、自分が好きだなあああと思うことを形にできたら幸せだなと思う。高校の頃の文化祭を思い出す。いつか出来たらいいな、は叶えたいと思って生きているので、いつか叶えたいです。
*
決めたら、あとは進むだけだった。
今選んだ世界線を、肯定するだけだった。
私に必要なのは、自分を信じてあげること。そうすれば、自分の選択に自信が持てる。自分の信じたい人を信じることが出来るようになる。
信じるってすごくエネルギーが要る。絶対なんて存在しないということだけが絶対で、だから心のどこかでそれを覚悟をしていないといけない。
その上で、自分が信じたい人を信じたい。
どんなに人を信じられなくなっても、おどりばから飛び降りる寸前で、手を掴んでくれる人たちがいた。
その温度を、忘れたくない。
今私が住んでいるのは、東京と長野の間。迷いながら生きることを選んだ私の着地点。
きっと全部は選べない。いくつもの選択肢の中から、自分で選んでいく。社会との繋がり方や、好きな場所との繋がり方を。それがすなわち「生き方」を選ぶということだ。
おかえり、と言ってくれる人がいる場所で生きたい。あとは、自分が、どこの誰に「おかえり」と言いたいかだ。
*
迷って、今いる場所を決めたのは私だ。
迷うことを選んだのは私だ。
迷いながら、自分が仕事をめちゃくちゃ頑張りたいのか、仕事は程ほどに別のことを頑張りたいのか、緩やかに決めていくと決めたのは私だ。
私は、逃げてない。
向き合ってる。だから悲観的にならない。
チャンスの神様には前髪しかないらしいけど、目の前を通り過ぎたとしても、服の裾を掴んで絶対に振り向かせる。神様も服くらい着てるでしょ。
一つずつ、選んだことを肯定していく。
厳しい部署で頑張ったことも、
休職したことも、
休職中得た経験も、
別の部署に戻ったことも、
私は後悔しない。
あの選択があったから、
今幸せだよと言える未来を
私は信じている。
楽な人生じゃない。
苦しいことも多い。
強がっては一人で泣いて、
でも時々晴れ間が見えて。
今日も祈るように描いている。
思いつく限り眩しい明日を。
この記事へのコメントはありません。