心の深海は誠ですか

住人

海の深くに潜っていくと、鼓膜が破れることがあるらしい。

すると方向感覚がなくなり、どちらが上か下かもわからなくなる。水面に向かっているはずが深海へ進んでしまう。そのうち自分が何を求めて海に入ったのかわからなくなる。

最近の私は、鼓膜が破れているのかもしれない。

潜っているのか水面で溺れているのか、潜りたいのか息をしたいのか、わからなくなっているから。

それでも潜る。心の奥深くに潜っていく。
本当の感情を探して、本当に欲しいものを探して。

これは1ヶ月間満員電車の中で綴り続けた、
心の深海への旅路。

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「やりたくないことはやらないだけなんで」。最近観た『かもめ食堂』という映画の台詞。vs「やりたくないことをやるのが社会人としての常識だよ」。最近聞いた人事の言葉。

私はどっちを信じればいいですか。やりたいことをやるためにはやりたくないことにもやりがいを見出す必要があるってわかってます。今それめちゃくちゃ頑張ってます。でも時々心が折れる音がします。東京タワーが折れる時もこんな鈍い音がするんでしょうか。

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前同期と遊んだ上野駅で、人が刺されて死んだ。昨日行ったばかりの三鷹駅付近で、人がホームから飛び降りて死んだ。

東京にはこんなに人がいるのに、みんなこんなに寂しい。死の気配がすぐそばにあるのに、数多の生の息遣いがそれを掻き消していく。狂っている。

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都会の人が怖い。偏見を抱くのは好きじゃないのに、怖い。松本に住んでいた頃は、知らない人と出会うことに物怖じしなかった。居酒屋の隣に座った人と、人生の話をするのが好きだった。喫茶店のマスターと、本の話をするのが好きだった。

局所的人間不信という病は存在するんでしょうか。ほんとは私、心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく語り尽くしたい。

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最近、トー横キッズがニュースになった。あそこは彼らにとってサードプレイスなのだという記事を読んだ。背中を押してくれるサードプレイスに巡り合うことは、奇跡なんだと思った。私もよく、家に帰りたくなくて夜徘徊していたけれど、私に害を与えたのは蚊だけだった。真っ暗な夜の孤独感は、私に一つの文学を与えた。でももしかしたら、何かのきっかけで、今頃私もトー横にたむろしていたかもしれない。他人事じゃない。

誰かの居場所をつくりたいなんて、自分の居場所がないと言えないと気づいた。傘を持っていないくせに、私はずっと誰かの傘になりたいと言っている。出血しながら輸血してるみたいだと気づいた。そのうち出血多量で死んじゃう。死にたくない。最近の私はやっぱり、死にたくなくて死にたい。

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「遠くへいけと僕の中で誰かが歌っていたから遠くへ来たのに、ずっと、須坂駅の3番線ホームで立ち止まったままな気がする、あの日見た夕空より綺麗な夕空を僕はまだ知らない」

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東京に来たら「家族」という苦しみから逃れられると思っていた。でも違った。松本に住んでいた頃より苦しい。家族を悪く言いたいわけじゃない。ただ私が苦しくなった。大切なのは物理的距離じゃないんだ。

人生を否定されるのが怖い。被害妄想が止まらない。自分の感情が信じられなくなって、全部抑圧するようになった。そんな自分が一番怖い。助けて、助けて、苦しい、苦しいって言うことをゆるして。

自分の本がベストセラーになった夢を見た。目を閉じて見た夢の中で、私は怯えていた。私の文章があの人を傷つけていないだろうか、ゆるされていないんじゃないだろうか、嫌な動悸で目が覚めた。

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家族という言葉に苦しんできたけど、家族がほしい。定義なんてわからないけど、安心して帰れる場所がほしい。穏やかな生活がしたい。珈琲とホットケーキの匂いで朝目覚めたい。洗濯物を回しながら植木鉢に水をやりたい。小説を書きながら一日中ビーフシチューとか煮込みたい。

不幸の最小化と幸福の最大化がしたい。病めるときも健やかなるときも、ここに帰りたいと思える場所。私もそう言える場所。

伝えたい時に伝えたい人に伝えたいことを伝えていたい。でもその相手にだけは伝わらない。心がぐしゃぐしゃになる。私の人生はこんなことの繰り返し。伝わったという感覚に触れていたい。もう心を殺したくない。

「人の居場所なんてね、誰かの心の中にしかないのよ」

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やりがいのある仕事がしたい。私は働くのが好きだから、働いていたい。誰かのためになっているという実感を持ちたい。仕事を通じて社会と繋がっていたい。でも、仕事をする目的に意義を見いだせなくなった時、心をひどく、ひどく病む。そこに抑圧が重なると、何も出来なくなる。

就職、休職、復職を経て気づいた。「これやっといて」と言われるのも好きだけど、「これ考えておいて」の方が好きだ。信頼されている感じがして。「これ一緒に考えたい」はもっと好きだ。

仕事において大事なのは、それをやる目的と一緒にやる人だ。そしてそれが、目指したい未来に繋がっているという実感だ。気づき。やりたいことが沢山ある、私は意識混濁系。

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ある夜、考えて考えて考えていたら、本当は何がしたいのかわからなくなった。小説家になりたかったはずで、あの頃死ぬほど憧れていた「連載」を得て、応援してくれる編集者さんも現れた。ありがたい、幸せなことなのに、心の空虚が埋まらない。大学生の時、どきどきしながら友達や先輩や教授に原稿を送っていた、あの頃の方が心満たされていた。

エヴァの登場人物アスカの声が、脳内にリフレインする。「誰も助けてくれない、強くならなくちゃ、あたしはひとりでも大丈夫にならなくちゃいけないの、だから私を見て!!!」

そうだ、私は自分の大切な人に見ていてほしかっただけだ。
大切な人に言葉を届けたかっただけだ。

その地盤がないと、沢山の人に賞賛されても虚しいだけなんだ。私はちゃんとありがとうって伝えられているだろうか。つらいって言えているだろうか。伝えた時に聞いてくれる人を、大切にできているだろうか。

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考えるの疲れた。全部シャットダウンして海を見に行きたい。ハネウマライダーを流してバイクで海沿いを走りたい。ペーパードライバーのくせに夢だけがでかい。心は空を裂く号令を聞けない。

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私はすべて肯定して生きたい。誰のことも否定したくない。けれどそれは時に、「拒否できない」に変わる。否定するのが怖いからすべて飲み込んで、笑いながら泣いてる。否定したくないけど否定したい事象なんて、生きてたらいくらだってあるのにね。否定したかったら否定していいんだよという肯定がほしい。

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先生。どこまでが予期不安ですか。あの時「あなたなら大丈夫」って言ってくれたじゃないですか。私今大丈夫じゃないです。でも先生の言葉を信じたいんです。

最後に会った時、「あなたの作家名を教えて」と言ってくれましたよね。そして私の作家名を見て、「本名と同じ漢字を使ってるんだね」と。そしてこう続けました。

「あなたはきっと自分のことが、少しは好きなんじゃないですか」

そう言われた時はっとしたんです。私は自分に自信がないし自分嫌いも甚だしいけど、会いたいと思った人に会いたいと言ったり、思ったことを言葉で伝えたりする行動力があるんです。それはたぶん、自分の生き方や考え方、紡ぐ言葉を大切に思っているからだと思います。自信はないけど自分が大切にしているものだから、それを誰かに向けることができるんだと思うんです。大切な人にこそ、大切にしてきたものを届けたいと思ってしまうんです。エゴですね。高校時代組んだバンドの最初の名前を思い出します。

診察終了。QEDに至れない思考。
学生の頃お世話になった診察券は、時折お守りのように、先生の言葉を思い出させてくれる。

*

束の間の息継ぎ。
水面に顔を出す。
空から降るは細い雨。

思い描いている心の深海の風景がある。
暗闇を超えた先にふっと現れる、透き通った水色をした空間。
海の底だけど、そこではきっと息ができる。
穏やかで晴れやかで美しい場所。

そこに触れられた時、私は私の人生を取り戻せる気がする。

だから私は潜る。
潜っていく。
心の奥へ潜っていく。

耳抜きと息継ぎを、忘れないように。

苦しい。とても苦しい。
でも私は、
暗闇の先で綺麗な景色が見たい。

しづく

夕暮れと夜の狭間で息をしています。 迷子のちっぽけな小説家です。

プロフィール

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