透明な海で対話する

住人

わたしはあなたの苦しみを理解しない。あなたのかなしみを永遠に理解しない。だから、共に考えることができる。彼女の涙が、しんしんと降り注いで、気がつけばわたしたちは水中にいる。共に息を止めて、深く潜って、集中する。

わたしたちはバラバラで、同じ海の中でつながっている。

―『水中の哲学者たち』永井玲衣

わかろうとすればするほどわかりあえないことだけがわかるなんて、とっくの昔にわかってた。

人の思いや言葉を全部「それってあなたの感想ですよね」で片付けられたら、きっと楽になれる。ひとはわかりあえない。言葉は伝わらない。苦しみを完全に理解し合うことはできない。

でも、その事実を受入れるのに耐えられなかった。受け入れ方がわからなかった。諦めたくなかった。諦めないで痛かった。

私はまだ、自分以外のひとと完全にわかりあえないことに絶望する。誰かのかなしみを完全には理解できないことにも、自分のかなしみが誰かに完全には理解されないことにも。

わからない、とわかることは、わかろうとすることを諦めることじゃないよ。
「わからない」の先で、それでもわかりあえる瞬間のために、生きていたい。

*

時として言葉は意味を持たない、という言葉がある。言葉にできない感情や瞬間があるなんて、文章を書く人間が一番わかってる。それでも言葉にしようと藻掻くことを、愚かしいと思われたくなかった。

言葉が届かない瞬間に私はとても弱く、世界が崩れ落ちたような感覚に陥る。音が消える。食べものが砂の味しかしなくなる。涙が止まらなくなる。そんなに心のバランスを崩してなお、私は言葉を捨てられなかった。何をどう失っても、私だけは私を失えないのだと、深く深く感じた。

すごいね、すごいね、と言われる度、語尾に(自分にはついていけない)が含まれている気がして、自分のことを話すのがこわくなった。

若いのに、新卒なのに、まだ23なのに、色々なこと考えててすごいねと言われる度に、そのブランドの賞味期限が切れていくことがこわかった。今が人生で一番若い、同時に、人生史上最年長なんだよ。

深く潜れば潜るほど、周りの酸素濃度が変わって、気づけばみんないなくなってしまう気がしてこわかった。

そうやって徹底的に、誰かに合わせなきゃと思うほど、人生の主導権が失われていく気がした。

普通になりたいと思うほど、普通から離れていく気がしてこわかった。普通じゃない俺ってかっけえ!と何の疑いもなく言える人間がこわかった。

自分らしいってなんだろう、誰といてもどこにいても演じている気がして、舞台裏は散らかり放題で、誰にもさみしいとか助けてとか言えなくて、与えられた台本を泣きながら読んでいた。

ありのままの自分って難しい。分人という言葉があるように、ひとは接するひとによって自分を変えるから、どの自分が一番好きか、どの自分だと息がしやすいかを探し当てる必要がある。本当の自分っていうのがわからなくてつらいです、と相談した時、「どんな環境でどんなひととなら、あなたらしく安心して生きられるか考えよう」と言ってくれたひとがいたことを思い出した。

涙でくしゃくしゃになった台本を捨てた。

自分軸を取り戻すために、就活の時に書いたノートを見返した。面接攻略法とか自己分析がぶわーっと書かれたノートの隅に、「一度東京に出る」「いつか長野に帰る」と書いてあった。
長野に帰ることが、自分軸であったことに安堵した。私は長野で生きてきた日々を愛しているんだ。思い出だらけの場所を愛しているんだ。ルミネのタピオカ屋デートじゃなくて、イオンのフードコートデートがしたいんだ。

東京には選択肢が多い。ひとも多い。幸せそうなものも多い。寂しい人間も多い。ナンパされるようになれば「素敵な大人」になれると思っていた。違った。私がなりたい素敵な大人とは、自分が好きなひとから求められるひとのことを言うんだ。

そのためには、自分の好きなものをちゃんと見極めて、好きと言っていないとだめなんだ。

*

まずは「話をするのがこわい」のハードルを、少しずつ越えていった。

声をかけてくれた前部署の上司に、「ちょっとつらいので相談のってほしいです」と伝えた。上司は残業終わりに、勤務時間外なのに、電話でたくさん話をしてくれた。

仕事人間だと思っていたそのひとが、迷いながら仕事をしていたと知った。残業の多さもプレッシャーの重さも嘆いていることを知った。「僕ね自分の自伝を書くなら、書き出しは“恥の多い生涯を送ってきました”にしようと思ってるんだ」と言われた時、ああ今、すこしわかりあえたと思った。

「仕事を無理に頑張らなくていいんだよ、でもあなたはきっと何かを頑張りたいんだよね、それなら趣味でも副業でも、別の頑張りたいことを頑張ればいいんだよ、たぶんそっちなんじゃない?」
部長には内緒ね、と言ってそのひとは笑った。

「若い頃のよくわからない経験が、今なんの役に経ってるんだろうなあ」と言うそのひとに、「10年後、こうして悩める後輩を救ってますよ」と答えた。電話の最後には、「逆に僕が刺激受けたよ。頑張らなきゃな」と言ってくれた。

そのひとは私に、一冊の本を貸してくれた。強制されて読むビジネス本は大嫌いだったけど、丁寧に包まれてロッカーの中に入っていたその本を、私は素直に開いて読むことができた。

*

今の部署の先輩や部長に、自分から頼んでMTGの時間をとってもらった。休職したことを後悔したくないこと。休職してふたつの部署を跨いだことをプラスに活かしたいこと。休んでいる間、色々なことを考えて、色々なひとに助けられたこと。

「やっとあなたのひととなりがわかった、話してくれてありがとう」と上司は言った。そして、「自分の話になっちゃうんだけどね」という枕詞で、今までの人生で大変だった時期のことを話してくれた。いつもの明るい姿からは想像し得ないことだった。そうやって自分を開示してくれることが嬉しかった。

「あなたのこと知れて良かった。今までどう扱っていいかわからなかったから」先輩はそれ以降、休憩中に恋バナとかスタバの新作の話とかをしてくれるようになり、定時になったら「一緒に帰ろう」と言ってくれるようになった。

*

そして、復職して2ヶ月目にしてやっと、前の直属の上司に挨拶ができた。そのひとにだけは、こわくてずっと挨拶できていなかった。そのひとがリリースしたサービスを見る度、小さな動悸を感じていた。でもちゃんと、自分から挨拶したかった。

「ありがとうね」

とそのひとは言った。私はきっと迷惑をかけたのに。またごはんいこうよ、と気軽に言ってくれた。そして秒でスケジュール登録を済ませ、すぐ仕事に戻った。そのスピード感に懐かしさを覚えた時、過去がただしく、心の中に収まった気がした。「あの場所で頑張った日々」が、記憶の中に着席できた気がした。

強がりじゃなく素直に、ただつらかっただけじゃなく、学べたことは大きかった、感謝だ、と思えた。思いもよらぬ配属によりWEB業界に足を踏み入れ、厳しくも優秀なひとたちの元で揉まれたおかげで、サイトの見方とかデザインの考え方とか、いままで感性でしか捉えていなかったものをロジカルに捉えられるようになった(気がする)し、クリエイティブなことが好きなんだと気づけた。

ここにはいられかったことを後悔するのではなく、ここで学べたことを大切に、生きたい場所で生きられるよう頑張ろう、と思えた。

*

ああそうか。
私は、ゆれることにすらゆれていたんだ。

働き始めた時、こうして会社にだけ頑張ってしがみついていれば、安定したキャリアが手に入って、普通でいられる気がした。

でもそれに違和感を覚えて、本当に生きたい人生から目を背けられなくて、休職した。その判断をしたことすらゆれていた。

やっとそのゆらぎが、綺麗なかたちで心の中に収まった。

今の会社でないと生きていけない状態になりたくなかったんだ。会社を失っても、軽やかに、好きな場所で生きていける地盤と自信がほしかった。いつか長野に帰りたい軸があるのに、会社でがむしゃらに働いていたらそれを失いそうでこわかった。

やりたいことはたくさんあるのに、かたちになるかわからなくてこわかった。でもそれを言葉にして伝えていたら、一緒に考えてくれるひとがいることに気づけた。

明るい深海から手を差し伸べてくれるひとがいた。心が動く仕事を知った。無我夢中で文章を書いた。新しくライターの勉強も始めた。書き続けていた小説は、連載や企画に繋がった。私の言葉に絵をつけてくれるひと、歌をつけてくれるひと、言葉をくれるひとがいた。

あの時、違和感に気づけてよかった。気づかせてくれるひとに気づけてよかった。よく決めた。私は、大事にしたいものを大事にできる世界線を選べた。だからこそ得られた世界線は、私が生きたい人生に近づいている。そう思えるようになった。

ありがとう。

話を聞く。これやってみたいと口にする。そのために何ができるようになりたいか考える。その方法を探す。あるいは聞く。そうやってすこしずつ、かたちにしていくことが大事なんだ。

自分で稼げる状態じゃないと安心できないなら、その状態を作るために動けばいい。休みたくても休んだら生活できない状態がこわいなら、会社に依存しなくても生活できる働き方をするために動けばいい。

好きなことや心が動くことに関しては、仕事と趣味の境目がなくなる。でも楽しい。思いがかたちになっていく瞬間は尊い。人の思いに向き合ったり、その過程で自分の思いに向き合ったりする時間は美しい。

誰からも求められるひとというより、自分が求めたいひとから求められるひとでいたい。

*

色んな場所で色んなひとの話を聞いて、みんな漂流途中なんだと思った。誰も彼も迷いながら生きてる。手越祐也にもきっと死にたい夜はある。それでも、色んなことを自分で選びながら生きている。

私も、大丈夫になったり大丈夫じゃなくなったりを繰り返している。不安に潰されそうになるし、生活は苦手だし、東京こわいし長野帰りたいし、やりたいことにできることが追いつかなくてもどかしいし、寒いと布団から出たくないし。

でも休職前より、今の世界線のほうが好きだ。

自分の心に素直に漂流して、できるだけ機嫌良く過ごしていくしかないんだ。期待は自分にするものだ。それは周りのひとを信じないという意味ではなく、自分が大切にしたいひとたちを大切にできる自分のことを信じる、という意味だ。私は自分が大切に思えるひとたちのことが好きだ。

漂流していればきっと、遠ざかっていくひとや、流れの分岐で離れてしまうひともいる。かなしいしさみしいし、繋いだ手を離す瞬間はこわいし、途方もなく孤独を感じる。ひととの関わりの中で傷つけたり傷ついたりしてしまうのは、流れの中で、別の人生が交わっているからなんだ。誰も傷つけたくない、もう1ミリも傷つきたくないと思っていたけど、それでも私はひとと関わって生きたいんだろうな。

でも、たとえ離れてしまったとしても、一度交わったひとに対しては、私の流れと交わってくれてありがとう、と思う。どこか別の流れの中で、溺れず幸せに生きていてほしいと思う。自分らしく流れていればきっと、同じ酸素濃度と速度の場所で流れているひとと出会える。あるいは流れ着いた岸辺で、同じペースで息継ぎしているひとと出会える。出会ったり別れたりまた出会ったり、失ったり得たりまた失ったりして、ひとは生きていく。私だけは私を失えないことは、見方を変えれば希望だった。

半泣きでヘルプを出した時に親愛なるお姉さんからもらった、強くしなやかで美しい処方箋を握りしめる。あの時の言葉の意味を、ゆっくり時間をかけて咀嚼する。

ありがとう。

*

「やまない雨はない」という。実際雨はいつか止む。

でも、長い雨の最中で人生を終わらせてしまったら、その人にとって雨は「やまなかったもの」になる。
だから傘が必要なんだ。差し出された傘に気づけるひとでありたいし、借りたままでいいよと手元に残った傘を、濡れている誰かに差し出せるひとでありたい。見上げたら心が救われるような、綺麗な夜空みたいな傘を。

*

自分だけは自分を裏切らない。自分の人生をすべて知っているのは自分だけ。

だけど、だからこそ私は、誰かの人生に触れたいと思う。誰かに触れてほしいと思う。お互いの人生をそっと交換しあって、この時どうだった?とか、この時何が好きだった?とか、そんなことを、狭い居酒屋とかで語り合っていたい。一晩あってもわかりあえない人生のことを、それでも大切に語り合っていたい。

すきあらば自分語り、いいじゃないか。あなたの人生を聴かせて、聴きたい。私も話したい。

その時間を私は、対話と呼びたい。

*

生活に余裕ができたら、語彙がありがとうしかなくなっちゃうくらいの忘年会がしたい。今年のことなんて、きっと忘れられないだろうけど。

恥の多い、失ったものも多い、でも得たものも多い、大切な大切な2021年が、もう少しでおわる。

しづく

夕暮れと夜の狭間で息をしています。 迷子のちっぽけな小説家です。

プロフィール

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