誰も不幸にならないで

前置き
を書かないとこわくて文章が書けないのが、今の私です。すこしだけ聞いてください。
私は今、誰かを傷つけてしまうことが病的にこわくなっている。生きることで、書くことで、誰も傷つけたくない。誰にも傷ついてほしくない。ただ、自分の大切なひとのことも、もしかしたら届くかもしれないひとのことも、ひとりで泣いていた自分のことも、叶うなら救えるような文章を書きたいと思う。神様ぶるなって思われるかもしれない、こういうところが嫌いなひとだっているかもしれない、でもそう思っている、ずっと。
誰も傷つけたくないと強く願っているけど、それは完全には叶わない。もう痛いくらいわかった。誰かにとっての救いは、誰かにとっての刃物になる。
そして、自分が傷つくことで誰かを傷つけてしまうこともある。全部こわい。
生きていると誰かを傷つける、そのことにすら傷ついてしまう私が、こんな導入でしか書けない、傷つきやすさの話をさせてください。
誰に向けたわけでもない、でも届いた先に誰かがいてくれるなら、どうか傷つかないでいてほしい、幸せでいてほしい。誰に届いても、届かなくてもいい。私はただ、自分と関わってくれるひとたちを大切にしたくて、その過程でつけあう傷で不幸になりあいたくなくて、どうか私とかかわってくれたひとみんな不幸にならないでという願いを、言葉で残しておきたいだけです。
今回は痛々しいかもしれません、病的かもしれない。いい文章なんて書けないかもしれない。
でも、元々ここは、いい文章を書く場所ではなく、自分と向き合って言葉を綴っていい場所。
それを思い出したから、書きます。
書かせてください。
*
傷つきやすさは透明な凶器だと思う。
私はその凶器を外に出さないよう、自分に向けた状態で抱えて生きてきた。
今でこそHSPという言葉があるけど、そんな概念を知る前から、繊細さん診断なんてオールAだった。
傷つきやすいこの性格は、「傷ついてしまう」ゆえに、ひとを傷つける。特に、関係が深くなればなるほど。
「あなたはすぐ傷ついてしまうから、何を言えばいいかわからない」
昔言われた言葉が時々首を絞める。ああそうだ、傷つくからいけないんだ。人を傷つけないように、傷つかないようにしなきゃ。傷ついてもそれを気づかせないようにしなきゃって、ずっと必死だった。
相手がどんな意図で私と接してくれたとしても、ひとの数だけ真実はあり、私が傷ついた時、私の中には「傷ついてしまった」という事実だけが残る。いつからだろう、傷つくことに恐怖を覚えるようになったのは。傷つくことで誰かを傷つけるのがこわい、と思うようになったのは。
私が傷つくと、相手は「私を傷つけたひと」になってしまう。自動的に、私が被害者で、相手は加害者になってしまう。相手を悪者にしているみたいで、そんな自分がゆるせなかった。傷つけられた、という受動態が嫌いだった。勝手に傷ついてしまったのは私だ。ごめんなさい。でも、それすら被害者面しているようで、ああ、
頭の中を色んな言葉が巡る。
お前だけちやほやされてむかつく、
あなたが邪魔だ、
あなたさえいなければ、
ざわざわざわざわざわ、
思い出すな思い出すな思い出すな、
全部全部、私がつくりだしたフィクションだ、嘘だ、小説だよ、違う、あれ、
ざわざわざわざわざわざわ、
元々頭いいひとはいいよね、
あなただけいいよね、
あなたはいいよね、
どうしてあなたなんだ。
ざわざわざわざわざわざわ、違う、違う違う、違うよ、違うのに、
私そんなうまく生きてない、勉強しないとテストの点だって取れなかった、相手のことを考えないとひとと付き合えないんだよ、毎朝、毎晩、必死で、考えて、悩んで、それでも私は、努力したくて、努力しかできなくて、
あれ、何だこれ、私は何なんだ、これはなんだ、この感覚は何だ、知ってる、ずっと忘れていたけど、知ってる。
誰かに強く忌み嫌われているかもしれないという脅迫。
誰かから嫌われているかもしれないという病的な恐怖感。
幸せに生きようとすることは、私が不幸になることが幸せなひとにとっては、不幸なことじゃないか。
私が生きることで誰かを不幸にしている可能性があるじゃないか。
お前だけ幸せになるのはゆるさない、という刃物。
ああそうか、
気づいたら、そういうものから遠い世界で生きていたんだ。
優しくて、ひとのことを安心して信じられる、そういう場所で生きていたんだ。
残念だったな、世界はそんな場所じゃないよ、という声がして、
がしゃん、と視界が崩れた。
*
元々持ってるものなんて何もなかった、あるのは、生きていくには邪魔な感受性だけだった。だから今私が持っていると言われるものは、後天的に必死で身につけたものでしかない。何もなかったから、ずっと努力しかできなかった、努力する努力しか。
勉強だって何もしなくてできたわけじゃない。家の本棚に文学全集なんてない。だから必死に勉強した。熱帯夜、3枚の冷えピタ、どこか早く遠くへ行かなくちゃという焦燥。へらへら笑いながら、ずっとひとりでたたかっていた。
ひとと関わることも、得意だったわけじゃない。でも人見知りだと言うと信じてもらえない。コミュ力高いよねと褒められる。違うんだ、違うんだよ、全然違う。
ひとが好きだけどひとはこわい。いつも緊張する。自分が好かれる自信がなくて、どんな言葉なら傷つけないか、相手は今どんな言葉がほしいかをすごく考える。でも八方美人だ、誰にでもいい顔してるだけだ、と言われてしまえばそれまでなんだ、それに、私の中に「こうすれば嫌われない」完全な解なんてなかった。
でも、嫌われないようにひとと付き合っていた私は、いつの間にか、ただ自分と関わってくれるひととは誠実に向き合いたいと、私の人生と交わっているこの時間だけでも、幸せを感じていてもらえたらいいなと思うようになった。純粋に、好きなひとたちと一緒にいる時間が好きで、そう思えるようになったのに、
がらがらがらがらがら、
こわいこわいこわい、
いつの間に私は、「誰からも嫌われない」と錯覚していた?
今までが恵まれてただけだ。大事にしてくれるひとがそばにいてくれただけだ。でも大事なひとを大事にしていても、相手からすればそれは「大事にされている」と思われないことだってあって、ああ
いつもキャパがいっぱいになる。返したいのに、全然返せなくてごめんね。Twitterにはいるのになんだよと思わせてしまってごめんね。ひとりひとりに向き合いたいから、適当に返せないんだ、ごめんなさい。みんな大事なんだ、優先順位なんかないんだ、私がいっぱいいっぱいで、いつもごめんなさい。
大事にしたくてもどうしても返事ができないことがあって、ひとりにしてほしくてでもひとりになりたくなくて、深夜3時のTwitterに縋ってしまってごめんなさい。死にたいとか呟いても誰も見ない。時々ぽん、といいねがくると、暗い居酒屋で相席しているみたいな気持ちになってすこしだけ安心するんだよ。
生きたくなると、死にたい私が好きだったひとたちは離れていってしまうんだ。ずっと死にたいままでいたら、誰も何も傷つけずに済んだ?
私は、これからどう生きたらいい?私は、誰も傷つけたくなくて、それだけなのに、それは生きている限り叶わない。
*
急に、助けてと言うことがこわくなった。今までは「迷惑をかけるのがこわい」という理由だったけど、最近は「私が助かろうとすることで、別の誰かが助からない可能性がこわい」という理由で。
大学生になる前の春、物件を契約した日のことを思い出す。私が内見した部屋は、元々別の人にキープされていた。でもその人は不合格で、契約できないことが決まっていた。だから私が契約できた。あとから見に来た私が。
その時私は、「でも、その人に申し訳なくて契約できない」と言った。不動産のお兄さんは朗らかに笑いながら「そんなこと気にする必要全くないですよ」と言った。4年間全く思い出すことなかったのに、急にぶわっと思い出して、こわくなった。
幸せは誰かの不幸の上に成り立っている?
この世は椅子取りゲームで、私が座っていることで、座れないひとが存在する。
私が誰かに助けてと叫ぶことで、その誰かが助けられたかもしれない誰かを切り捨てしまう。
お前だけ大丈夫になるのはゆるされない。
そんな声が朝も昼も夜も頭の中いっぱいに響いて、うまく息ができなくなった。
大丈夫になりたくて、助けようとしてくれるひとだってきっといるのに、一方で、助かろうとする私のことが憎いひとだっているんだということを思い出してしまった。でもそう考え始めたら、見動きが取れなくなった。
幸せそうな人間が憎い、という刃物は、そこらじゅうに転がっている。私だって拾う。でも誰かに向けたくなかった。自分が向けられたくないから。向けたくなる時は、そう感じてしまう自分に刺していた。
私は誰も嫌わないし憎まない、そうやって生きてきたけど、その生き方は辞書的には「八方美人」と定義される。誰のことも嫌わないと決めていても、嫌われることも憎まれることもきっとある。
じゃあ、今までやってきたことは?
こわくなった、頑張ること、結果を出すことすべてが。そうだ、成績がよくなるほどうらまれる世界線、頑張れば頑張るほど「お前だけ何なんだよ」と忌み嫌われる世界線なんて、ずっと前から存在していたじゃないか。
たとえば創作界隈でも、そういう世界線によく触れる。元々自分がしていたことが、あとからやり始めたひとに追い越されるなんて当たり前だ。その度にマイナスな感情は抱きたくなかった、素直に幸せを願えるひとでありたかった。時間をかけて、嫉妬という感情は消してきた。そんな世の中だったら、私は生きていけないと思ったから。頑張ろうとするひとが潰され、かわいそうな状態でしか優しくされない世界では、生きられないと思った。
でも、どんなに相手に刃物を向けずに生きていても、相手によっては向けられていると感じさせてしまうこともある。私も、刺されたと感じてしまうことがある。刺される、は被害者みたいで嫌だ。みんな幸せに生きたいだけだ、それが刃物のかたちになることがあるだけで、誰も、何も、悪くない。
でも、私はこれからどうすれば、どうすればいいんだろう、寝ても覚めても動悸がとまらない。刺したくない、刺されたくない、そして傷はどうしたらいい。
誰も不幸にしたくない。私も不幸になりたくない。
*
そんなことを考えていたある朝、出勤中電車のなかで、ひとがこわくて頭がいっぱいいっぱいになって、急に吐きそうになった。半分嘔吐した状態で途中下車した。隣のおじさんに迷惑そうな顔をされた。トイレに駆け込んで吐いた。動悸がして涙が出た。ひとりで大丈夫じゃないのに助けてというのがこわくて、何もゆるされない気がして、苦しくて苦しくてどうしようもなかった。届くはずのないSOSをTwitterに書き込んで、また苦しくなって、遅延になった電車を一時間待っていた。
病的だ。今私すごく病的になってる。ひとから嫌われるのがこわい、が臨界点に達して、一挙一動が不安でこわくて、会社に行けなかった。会社に送るメールすら20分かかった。自分の発する言葉に自信がもてなくて、会話の最初に動悸を感じてしまって、何をどう話せばいいかわからなくて、どうしよう、全部なくす、こわい、誰かを傷つけるくらいなら私が死にたい。でも死にたくない。こわいこわいこわいこわい誰か助けて。
ひとのことを考えてしか言葉を発せないんだ、でもそれはもしかしたら、ただ弱くてずるくて八方美人なだけで、誰も私のことなんか好きじゃなくて、心の底では「早く死ねよ」って思ってるんじゃないかって思う、違う、違くない、違う違くない違う、違くない、あれ、
過去と今をごっちゃにするな、不幸になるな。私と関わってくれたひとごと不幸にしちゃうから、不幸になんてなるな。傷つくな。はやく平気にならなきゃ。会社行けなくなってる場合じゃないんだよ。死ぬな生きろ、病んでる場合じゃないんだよ。でもだめだった、どうしてもだめだった、もうだめだ、
混濁する意識のなかで、誰に向けてかもわからないけど、不幸にならないでくれ、と思う。どうかみんな、みんな、不幸にならないで。
ゆるすからゆるして、大丈夫になろうとすることも頑張ろうとすることもひとを大切に生きることも、みんな、ゆるして、お願いします。
*
私を好きな人も嫌いな人も、生きていてほしいと言ってくれる人も死んでほしいと思っている人も、どうかみんな不幸にならないで、お願いです。
私は私を立て直すから、大丈夫だから、大丈夫だよ。私は誰のこともどんなことも嫌ったり憎んだりしないです。できないんです。苦しいけど、そうすることでしか生きていけないんです。
でも、神様みたいないい子でした、で終わる小説のタイトルは『人間失格』っていうんです。
私神様になりたいわけじゃないんです、人間でいたいんです、でも、どうすればいいかわからないんです、生きたい。生きたい私が嫌いなひとを不快にさせてしまうかもしれない、ごめんなさい、でも、生きたくなってしまった、私死にたくない。
ひとりにさせて、ひとりにしないで、誰も見つけないで、嫌わないで、近寄らないで、違うやっぱり見つけてほしい、できるだけ好きでいてほしい、傷つける覚悟で触れようとしてほしい、私ちゃんとできるから、生きられるから、大丈夫だから、誰か、
*
綺麗なこと全然書けませんでした、
でもこれが、今の等身大の私です。
こうして生きることがまた誰かを傷つけてしまうのかもしれない、不幸な私が好きなひとは、幸せな私をきっと嫌いだ。生きることで誰かを傷つけることからは逃れられない、だとしたら私はどうやって生きればいい、どうすればゆるされる?
みんなどうなって、自分の人生を生きてるんだろう、私も私の人生を生きたい、深呼吸したい、美味しくごはんが食べたい、夜は眠りたい。
落ち着け、落ち着け落ち着け、大丈夫な私は、きっとちゃんと戻ってくる。ゆるして、生きたいと思うこと、助けてと叫ぶことを、ゆるして。ごめんなさい。
トラウマは存在しないって、一年くらい前の私が書いてた。虎と馬は味方にできるって。大丈夫だよ、私のなかにはあの時の私がちゃんと生きてるから。誰かが殺そうとしても、私だけは私を殺さない。
誰も恨まないで誰も嫌わないで、誰かの幸せを願いながら幸せになりたい、お願いします。
自分の大切なひとが、不幸にならずに生きてくれれば、私、それだけでいいです。
それだけなんです、サンタさん、
私ほかに、何も要らないです。
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