「1年前の今日」

住人

 2021/3/21。
 私は大学を卒業した。

 最近Google Photoが提示してくるのは、1年前の今頃、卒業前に撮ったたくさんの写真だった。そのひとつひとつが、あの時感じた匂いを、抱いた感情を、私の記憶の底から呼び起こさせてくる。

 卒業式前後にかけての、あまりに濃くて眩しい数日間を、私はまだ文章化できていなかった。
 あまりに濃くて眩しいから、思い出すと感性が決壊しそうだった。
 
 2022/3/21。
 退職を控えた春うららかな休日。
 あの日から1年後の私が、意を決して書き起こそうと思う。
 

 *

 卒業式前後の数日間、私は松本に滞在した。その際、何人かの友達の家にお世話になった。人に頼みごとをするのがひどく苦手な私は、ラインを送るのに数日、文面を考えるのに数時間、送信ボタンを押すのに数分を費やし、泊めてくれないかと頼んだ。
 みんなびっくりするくらい快く受け入れてくれた。私の友達はみんな優しい、本当に優しい、ひとりひとりに送るお土産を選んだりお手紙を書いたりしながら、私は泣きそうになっていた。

 キャリーケースをごろごろ引きずり、私は松本に帰った。色んな人に会った。大好きな街で、大好きな人たちに会った。


 これからも何度だって会いたい人ばかりだった。私はずっと人に支えられていたのだと思った。誰かの家に泊まるというハードルがずっと高かったのに、気づいたら私は友達の家でどすっぴんの寝癖姿を晒し、友達が用意してくれたあたたかい飲み物を飲んでいた。

 この4年間は、人に対する私の殻を、少しずつ柔らかくほぐしてくれたのだと思った。

 *

 松本滞在中、ずっとお世話になっていた病院の先生に挨拶をしに行った。
 患者と医師という関係だったにもかかわらず、先生は最後の診察で「あなたと話すのは楽しかった」と言った。「あなたの思考や言葉に触れることは、僕にとっても勉強になった」と。
 
 私が小説家をしていることを知っている先生は最後に、ペンネームを教えてほしいと言った。私が紙に綴ったペンネームを見て、「本名と同じ漢字を使っているんですね」と言い、続けた。

「あなたは自分のことを激しく嫌っていたけれど、大切なペンネームに本名の要素を残すということは、少しは自分のことが好きなのではないですか」

 はっとして、そうか、そうだったのかと思った。小説を発信すると決意した時、どんな名前で書くかはものすごく葛藤したけれど、それでも私は本名と重なる「月」という字を入れた。
 私は4年間をかけて少しずつ、自分を好きになれたのだろう。自分を、というか、自分がつくるものや自分の周りにいてくれる人を好きになることで、自分のことも好きになっていったのだろう。
 本出したら必ず読みます、と先生は言った。本当にだめになりそうだったらあなたのこと診ます、とも。
 診察室の扉を閉める前、次の予約はない私に、先生はいつもと同じように、
 
「お大事に」

と言った。

 先生。私ほんとうはこわいです、大丈夫じゃないです。先生がいなくなったら私は誰に診てもらえばいいんですか?つらいことがあった時、誰よりも怒ってくれたのは先生だったじゃないですか、食事がとれなくなって搬送された私を助けてくれたのは先生だったじゃないですか。
 大丈夫だという気持ちと、大丈夫じゃないという気持ちを両方抱いたまま、私は先生のくれた処方箋を握りしめていた。
 その日は綺麗な夕方だった。ほうじ茶の匂いがする待合室には斜陽がこぼれ落ちていて、人が少なくなった病院の片隅で、私は先生が今までくれた言葉を思った。私を救ったのは薬でもなんでもなく、言葉だったのだと思った。

 その帰り道。
 恩師である、ゼミの教授と遭遇した。

 *

 夕陽に照らされた大学の構内だった。
 教授は私の姿を見つけ、驚いた顔をし、はにかんでそばに来てくれた。
 私と教授は講義棟の前で立ち話をした。この人と出会わなければ、私はとっくに小説を書くのをやめていたかもしれない。大学さえやめていたかもしれない。
 教授の講義が、ゼミが、言葉選びが、感性が、私は本当に大好きだった。長編小説を送っては「感想をいただきたいです」という私に対し、いつも丁寧なアドバイスをくれた。ぜひ書き続けてください、と言ってくれた。就活で辛かったとき、私が好きな太宰治を例に出し、「太宰は果たして就活が得意だったでしょうか。でも得意ではなくとも、彼自身の魅力が損なわれることはありませんよね」と言ってくれた。教授に救われ続けた学生生活だったと思う。

「貴女が幸せに生きていくことを心から願っています」

 教授は私を「貴女」と呼んだ。
 そんな風に幸せを願われたら、幸せに生きていかなければならない気がした。
 生きていきたいと思った。
 死にたくて死にたくて死に場所を求めて文学をやっていた私が、学生生活の最後の最後で、生きたいと思った。

 ありがとう。
 貴方のもとで学べて幸せでした。

 教授と別れた後、人にのいない構内をひとりで散歩した。人文棟、学食、図書館前、生協前広場。ここでたくさんの人とすれ違い、出会い、別れ、出会った。
 そのひとつひとつが、私に生きたいと思わせてくれた。

 *

 卒業式の日は、雨の降る中たくさんの人と写真を撮った。ここで一緒に生きていた4年間があったことを残すように、そして、また会えるということを確かめるように。
 
 今までは、大学に行けば約束がなくても友達と会えた。授業終わりに飲みに行くこともできた。でもこれからは、「会おうと思わなければ会えない」のだと思った。
 でも、私の周りに在るのは、卒業したら終わりにしたくない縁ばかりだった。

「出会えてよかった、ほんとうによかった、これからも何度でも会いたい」

 そう思う人たちばかりだった。あなたのことです、あなたのことです。ありがとう。

 ひとりひとり違った感性や記憶や傷や思いを背負いながら、生きている友達が大好きだった。
 私はみんなと友達になれてよかった。
 私を見つけてくれてありがとう。

 幸せに生きてほしい、と心から思った。
 そして次は別の場所で、今日の続きから話がしたいと思った。

 *

 卒業式の後起こったのは、あまりにも文学的な瞬間だった。
 
 式の後、私は人文棟の第4講義室で写真を撮ってもらった。19歳の冬、死のう死のうと思いながら『人間失格』を読んでいた場所で、ぼろぼろになった『人間失格』と一緒に、袴姿の自分を残しておきたかった。
 その際、黒いカバーを外して撮影した。一皮向けた新潮文庫版の『人間失格』は、やっと見つけてくれたねと言わんばかりに笑っているように見えた。
 
 その夜、カバーを講義室に忘れてきたことを思い出した。愛読書のカバーをなくしてしまったことが不安で、翌日すぐに講義室へ忍び込み探しに行った。

 けれど、どこにも見当たらなかった。
 どこにも。

「よかった」
 
 刹那的にそう思った自分に驚いた。何かをなくすことがずっとこわかったのに。ずっと持っていたものを手放すことで、自分の何かが損なわれる気がして、ずっと不安だったのに。
 
 カバーをなくしても、大切な本は大切な本のまま、私の中に残るのだと思った。

 みんな変わっていく。
 私も。
 あなたも。
 あのひとも。

 それでもここで過ごした時間は、変わらず自分の中に残る。感じたことも考えたことも、笑ったことも泣いたことも、色も匂いも温度も全部。

 それが、大学からの最後の教えだった。

 *

 2022/3/21。
 1年前書けなかったことを、整理してやっと書くことができた。

 1年前の今日、私は人生で最も強く、しなやかだった。
 誰といたいか、何をしたいか、自分で選択し、その結果を受け入れ、過去を抱きながら未来を見据えて立っていた。

 1年間、色んなことがあった。
 ほんとうに色んなことが。
 
 色んなことを知った。
 
 ほんとうの絶望はSNSには書けないこと。社会には「気に入らない人間は虐めればいい」という感性の人間がいること。若い女の子というだけで夢や身体を搾取されかねないこと。やりたくないことを淡々とこなすのが仕事だということ。余計なことを考えると疎外されるということ。人は簡単に変わるということ。東京は愛せど何もないということ。
 
 これを書く過程で自分の日記を見直し、文体が変わっていることに気がつく。意味がわかるビジネス用語が増えたことに気がつく。あの頃感じることのなかった動悸、突如私を動けなくする鬱、私を破滅へ導こうとするパニック衝動、会社で言われて嫌だったこと、されてつらかったこと、色んなものを背負っていることに気がつく。

 こんなの私ではない、
 私が好きになれていた私ではない。

 1月から3月にかけて、状況を変えるべく転職活動を必死に行った。その過程でプライベートや会社でも予期せぬ出来事が起き、神様、何かを変えるなら今なんでしょうか、と思わずにはいられなかった。でも、最終的には自分で決めた。

 私は私の物語の向かう先を変えます。
 望まぬ結末に突き進む物語を書き続けられるほど、小説家は暇じゃないし乙女の夜は短い。

 東京で得た記憶と傷と弱さと強さ全部背負って、生きたい場所でやりたいことをやって生きてやる。

 それで後悔することがあったとして、こんなはずじゃなかったと思ったとして、決めて動いた自分を、私だけは否定しない。

 心身を壊してから(壊す前からだけど)、色んな人にお世話になった。
 料理をつくりに来てくれた人。遊ぶ予定をくれた人。外へ連れ出してくれた人。私の身体をどうにかしようと考えてくれた人。夜中に電話してくれた人。食べ物を、絵を、歌を送ってくれた人。誰も私のことなど好きではない、きっとみんな私を嫌いになると泣く度に、あなたが好きだよと伝えてくれた人。

 会おうと思わなければ好きな人たちに会えなくなる、と思っていたけれど、会おうと思ったらちゃんと会えた。人は変わってしまうと思っていたけれど、変わらずそばにいてくれる人がたくさんいた。

 ありがとうと何度言っても足りない。一生言っても足りない。だから会うたびに言いたいし、これから何度だって会ってほしい。

 自分が大丈夫ではないのに、誰かを救える人になりたいと思うのはよくないのかもしれないけれど。
 私は、雨に濡れている時に傘を差し出してくれた人たちに、恩返しができる人で在りたい。
 あなたが濡れていたらすぐに飛んでいくよ、傘でもバスタオルでも何でもあなたに差し出すよ。あったかい飲み物も濡れない居場所も。社会は残酷で救いようがないけれど、あなたを救いたいと思う人はいる、少なくともここに一人いる。あなたは救われていい。

 そう伝えられる人になりたい。
 私がそう伝えられることで救われてきたように。
 そのために文章を書いてきたんじゃないのか。

 1年前からずっと、
 私のそばにいてくれた人へ。
 ほんとうにありがとう。

 1年前の私へ。
 あなたは何ひとつ間違ってないよ。
 あの時、大切なものを大切にしていたいと決意してくれて、ほんとうにありがとう。

 変わらない大切なものを大切にし続けるために、
 変わろうとすることを恐れない。
 
 ちょっと強がっちゃった、
 怖がってしまう自分も受入れつつ、少しずつ、少しずつ。

 ありがとう。

 社会人1年目、卒業おめでとう。

 5月から長野市民です。

しづく

夕暮れと夜の狭間で息をしています。 迷子のちっぽけな小説家です。

プロフィール

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