無題

住人

本記事は2/23(土)開催予定のイベント おどりばのいどばた#10『おどりばってなんですか?』に寄せて、『居場所』をテーマに綴っています。

先に記事をあげた二人の文章が言葉が良すぎて好きすぎて、勝手になんとなくプレッシャーを感じている今日この頃(あがる頃には日にちは変わっているかもしれない)、私は人生初めての記事を、書いている。(こんなこと言ってるから緊張するんだ)
そんなことは言ったって言わなくたって、私は二人の文章がもともと大好きなので、それはそれでいつものように楽しんで、自分は自分なりに自分らしく。書いてみようと思う。

ところで?「自分らしく」って、何だろう。?前におどりばのいどばたでも『”自分らしく働く”を自分らしく考えてみる』というテーマでお話したことがあった。あの時はどんな話になったんだっけか、、毎回広く広くテーマから広がって話が進んでいくので、「忘れた」のではなく思い出すのが難しい(いいわけじゃないよ)。

本題はその会のことではなくて、私は、「自分らしく」っていうのは自分が一番体感して、実感して、いやになるほどのはずのものじゃないかなと思う。日本語がおかしいので、今の説明でわかった人は日本人じゃないんだと思う。それでも無理やり説明するとしたら、例えば自分の自分で嫌だと思うところ。

自分の悪いところや嫌なところは自分がよく知っている。と思う。もちろん、自分には見えていない、感じていないところで人に嫌な思いをさせてしまうことはそこらじゅうでよく起こっていることだし、実際ある。自分ではない人の中側のことを感じ取るのは難しい。そのくらいには人はそれぞれ違いがあるし。
だけど、「あ~またやってるな自分。」と思うことも少なくはない。自分の中の、なかなか変えることのできない”くせ”のようなもの。自分の中にある透明のガラス玉を、きれいにきれいに拭いているつもりでも、どうしても残ってしまう汚れのようなもの。
「どうしても」というと自分は気づいていなかったようだけど、そうではないことが多い。本当はそこが汚れていることを知っている。そこに”汚れカス”が残っているのはずっと視界に入っている。それでも残ってしまうその”カス”の場所は、きっと人によって全然違う。同じようなところにつくことも時にはあるけれど、そもそもそのガラス玉の形はきっと違う。いや、もしかしたら私のはガラスでも、となりの人のは石かもしれないし。

着地点の雲行きが怪しいので話を戻すと、一見悪いことに思えるその自分の嫌だと思うところも、「自分らしさ」の一つなのではないかと思う。嫌だと思うところなのだから、そりゃあ悪いところで、少なくとも自分はそう思っているような場所なんだけれど、周りの人が同じところに拭き残しをしているとは限らないから、やっぱりそれは一つ、自分の特徴なんだ。そうなってくると、この嫌なところも、ただただ悪いところではなくなってくる。自分にしかない、しかなくなくても、自分が持っている、自分に存在している、「自分らしい」部分なのだ。
よくよく見ていたら、ただの汚れだったところが日本地図に見えてくるかもしれないし。
”汚れ”と言ってしまえばそれまでだけど、”これは模様だ”と言えたら少しは拭き残した自分を許せるかもしれないし、むしろなんだか拭き取ってしまうのはもったいない気もしてくるではないか。

その汚れは、拭き取ってしまう方が楽なのか、はたまたなんだか珍しく素敵な模様にも見えるのか、頑張ってどうしても拭ってしまいたいものなのか。考えるのも決めるのも、自分の自由ではあるのだけど。

ちなみに私は褒められるとき、”自分らしさ”を褒められるとなんだかうれしい気がする。これは完全に私が私だからだけど、周りの人と違うことが自分にとってとても重要なポイントとしてあって、だから「自分らしく」出来たことは私にとっては一つの成功なんだと思う。

「自分らしく」何かをやるように言われたときにその言葉に対してなんとなく嫌悪感を抱く人が少なくないことも私は知っている。「”自分らしく”ってなに?そんなのないし。」「”私らしさ”ってどういうこと?ほんとにわかんない」という感じで。確かに「自分らしさ」っていうのは、その人ならではの、なんかこう、そういうことのはずなのに(伝わりますように)、それを出しなさいなんて言われるのはそもそも見当違いな気もする。

でも、だいたいまず、「自分らしく」という言葉に反抗心を持っていること、「は?なにそれ?」って、思うこと自体そもそもあなたらしさと言えるのでは?と思う。だって私はそう思わないし。
じゃあ”人と違うということ=自分らしさ”なのか?と言われるとそうではない。例えば私の好きな食べ物は白米とお肉だけど、同じように白米とお肉が好きな食べ物な人なんてきっと山ほどいる。富士山くらいはいる。じゃあそれは私と同じだからあなたの「自分らしさ」とは言えませんなんてことは絶対になくて、あなたの好きな食べ物が白米とお肉なことも、私の好きな食べ物が白米とお肉なことも、それぞれのそれぞれらしさと言える。

だから「自分らしく」何かをやれということ自体が変な言い方で、だって”自分”がやったんだからそれがどんなやり方だって「自分らしさ」なんだ。らしくないなんてない。そうすることに決めた中のどこかの段階で、そう選択した自分らしさがある。それをちゃんと知る前に「らしくない」なんていう無責任なことを言える人はいないはずなんだ。そのすべての段階のすべての選択を知るのは、ほとんど不可能に近いのだから。だからやっぱり、みんなが思ってるよりもみんな、「自分らしさ」をたくさん持っている。といつも思う。

ところで

今日書くはずなのは自分らしさについてでは全くない。読みながらきっと「あれこいつ本題忘れてるな」と思ったことだろう。違うんだ。忘れてたわけではなく、私が私なりに『居場所』についてかんがえているときに、”自分らしさ”というキーワードが出てきてしまって、いつの間にかキーワードどころか堂々と主演男優賞を取られてしまった感じになってしまったのだ。

『居場所』

最初にこれについて自分の中で考え始めたとき、まずこの言葉自体になんとなく違和感があることに気づいた。
だって同じだ。「自分らしく」と。
そこにいるから、その場所なだけで、その場所を言葉で呼んでみたくなって誰かが名前を付けたのが『居場所』。だいたい、それが「場所」と呼べるものなのかだって分からないし。空気感とか、なんか雰囲気とか、言葉にならないなんとなくだったりすることだってある。

「居場所がない」という言葉がある。結構よく聞く言葉ではないだろうか。学校とか、家とか、会社とかで。だけど、そんなのはあり得ないんだ。と思ってしまった。
だってそこにいるんだから。
いちゃいけない場所なんてないし、誰かと一緒にいなければ居場所と呼べないわけもない。
僕はいまそこに、確かにいるんだから。
なんだかひねくれた中学生の意見のようだけど、実際相当ひねくれた中学生だったのでそこは許してほしい。ただ、これが一番納得いくというか、自分の中ではすっきりするんだ。

うーーーーーーーーーーーーーん
実際は難しい。確かに存在している言葉をいま全否定することは間違っていることなのかもしれない。
もしそうだとして、『居場所』というものがあったとして、だれかのそれが思った形じゃなくて、うまくいかないのであれば、自分がそこにいて、それを作る探す考える手伝いが出来たらどんなにいいかと思う。ましてや、自分がその『居場所』そのものになれたらもうそれ以上のことはないなと思う。これはもう個人的で一方的な欲の話でしかないけれど。

この記事が、どこにいる誰に届くのかは分からないけれど、もし、『居場所がない』と思っている人がいるとしたら、
そんなことは絶対にない。と言いたい。
物理的には近くにいられていないかもしれないけれど、近くにいるから、
何かあってもなくても、いつでも呼んでほしい。
いつでも飛んでいくよ。と、思っているよ。
あまり無責任なことは言えないけれど、安心してほしい。
ものすっごくべったべたな言葉だけれど、見上げた空は、晴れでも曇りでも雨でも、朝も夜も窓の外であっても、絶対につながっている。何があっても必ず。
そして、いつか会えたら、すごく嬉しい。

この記事の名前を「無題」にしたのは、何かミスがあったとかそういうことではなくて、しっかりと自分で「mudai」と打ち込んだ。そんなに深い意味があるわけじゃないけど、きっと『居場所』というのはそれぞれ全然違うし、それでいいと思うし、正解も決まった形や名前もないと思ったからだ。私にはわからない、とも言えるかもしれない。
自分が思うそれでいい。はっきり『居場所とはこうだ』と言えないのはなんだかだめかなと思ったけれど、それはそれがきっと私の私らしさの一つなんだと思った。この拭き残しの”汚れ”は、私にはそう見えたんだ。

結局どう終わっていいのかが分からないし、3分の2以上自分らしさの話になってしまって、これは記事として成立するのかものすごく不安だけれど、これからもたくさん迷いながら書けたらいいなと思う。(しかしあまりにもまとまってないな。読みにくくわかりづらくてごめんなさい。)

『居場所』とは何か決まった固いものじゃなくて、実は自分で自由に考えることのできるものなんだ。今の状況が、『居場所がない』と思うものだとしても、何も間違いじゃない。
広く見渡してみたら、近くなくても、一見違う風に見えても、安心できるようなもの、場所、ひとがいるかもしれないしあるかもしれない。広く見渡すのが難しかったら、手伝わせてほしいし、それがいらなければ双眼鏡を受け取ってほしい。
何も間違ってないんだ。それでいいしそのままでいい。
名前は、自分で決めるんだ。

ちい

人と話すのが好きです!その人のことを考えるのはもっと好きです。じぶんの”好き”になりたい、と思っています。

プロフィール

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  1. わたなべ

    読みました。すごく良かった。
    本当に良かった。泣いた。

    文章を読んで、問いに対してちゃんと向き合ってると感じたし、でてきた回答が、他の人には出せないものだと思いました。なんでこんなに真摯に向き合って、飾らないで、自分の言葉として出せるんだろう、本当にすごい って自分の心には届きました。

    そして、自分自身の嫌なところも自分らしさで肯定できるものかもしれないと思って。前に向きたくなる文章をありがとう。

    一方的に感想を長文で伝えてごめんなさい。

    • おどりばおどりば

      わたなべさん
      ありがとうございます (T-T)

      自分で何度読んでもまとまってないなあと思うし、読んでくれた人に感情とか言葉の先のことが伝わるのか、すごく不安だったので、ほんっとうに嬉しいです。
      その言葉たちが、私にこの記事を書いてよかったと思わせてくれました。
      ありがとうございます。

      わたなべさんのコメントで、私が泣いた。