覚悟
コロナを理由に帰国してから今日までの1年3ヶ月の中で
それについて話した人たちから一番たくさん言われた言葉がある。
『残念だったね』
だ。
気持ちを考えてくれているのだとおもう。
同情してくれて、
想像して
きっと残念だとおもっているだろうと、
思ってくれたんだとおもう。
ずっと行きたかったのに
せっかく抽選で当選したのに
いろんなことやりたかっただろうに、って。
だけどじぶんは
それを言われるのが嫌だった。
というより、
初めは何を言っているのかわからなかった。
強がっているのではなくて本当にわからなかった。
多分一番初めに言われたとき、
「え?何がですか??」
て言った気がする。
だって今じぶんは日本にいるのに
もう帰ってきたのに
むしろここから先、
ロンドンにいるよりも意味のある人生を一年半分作らなければならない。
やることなんて山ほどあって、
想像の中にしかいないロンドンで働いているじぶんに
まさか負けるわけにはいかない。
なかなか家の外に出て活動することが
全員平等にむずかしい時期でもあったので、
きっと外に出るようになってから言われたことばだった。
つまりもう動き出したあとだ。
いまさら「残念」だなんて、
言っていられるわけがなかった。
だからその意味がわからなかったんだとおもう。
もしかしたらかわいそうと思ってもらったほうが
都合がいいのかもしれない。
「そうなんですよ〜」
とか言って、
なんの?とおもいながらでも被害者づらしておいたほうが、
いろいろ助けてもらえたりして。
でもできなかった。
まあ当たり前ではあるけれど、
まさかおもってもいないのに肯定なんかできない。
「でもやるしかないので」
「大変なのはみんな同じだから」
という言葉がこんなにしっくりきたことがあっただろうか。
「もっと大変な人はたくさんいるから」
「ここからなので」
「落ち着いたらすぐ帰ります」
「むしろコロナがなかったら絶対帰ってきてないし」
「がんばるのは変わらない」
「今だからできることもあります」
何度か存在しない世界線に引っ張られそうになる。
「向こうにいたら引きこもりだったし」
「こっちでちゃんと頑張れって意味なのかも」
想像するな。
戻ってこないんだから。
帰ってきたんだから。
先を考えろ。
「今は考えてないです」
「もう向こうにも知り合いはできたので」
「テレビ電話でたまに話してるし」
もう少し。
まだいける。
大丈夫。
「いつか仕事で絶対に行くので、大丈夫です」
この言葉が、じぶんの活力にもなった。
感情から出てきた言葉だ。
いつもの勘だったけれど、
本当にそうおもった。
帰ってきてからの数ヶ月間
毎日毎時間毎分毎秒
じぶんと向き合い続ける期間があった。
もしあの時間がなかったら、心を込めた
『残念だったね』
にぼこぼこにされていたかもしれない。
心がばりばりにわれていたかもしれない。
「え?何がですか??」
のあと、その理由を聞いたときに
「わ、なるほど、そういう考えもあるのか、、、」
となったじぶんは、意外とメンタルが強いのかもしれないし。
迷うことなんかないのに
挑戦し続けてやり続けると決めたはずなのに
なんだか小さなところにおさまっていることに
さらに小さく安心しはじめていた気がする。
ちょっと待て。
そんなことは絶対に許さない。
じぶんを使えていなかった気がする。
気持ちも動きも全然。
全部使って進んでいくしかないんだ。
どうせ足りないんだから。
その先をみていくしかないんだ。
現状になんて用はないから
やるぞ。
改めて
覚悟。
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