p.1:呪いを解く魔法なんてないから

住人

物心ついたときから、劣等感の塊だった。

校庭にあったのぼり棒はてっぺんまでのぼれたことがないし、絵も上手に書けない。調理実習でスターになることもできなかったし、短距離走はいつもビリを争っていた。おまけに、顔も可愛くない。服もダサい。

少しだけ、勉強はできた。だけど、ちっとも誇らしいと思えなかった。私はずっと、誰かにちやほやされるような、人に羨ましがられるような「取り柄」が欲しかった。でも、私には何もなかった。

何年か経って気付いたことだけれど、あれはスクールカーストだったと思う。スポーツ万能とか、顔が可愛いとか、手先が器用だとか。私は、スクールカーストのてっぺんにいられるようなスペックが欲しかったのだ。でも、私には何もなかった。てっぺんどころか、ずっと一番下から抜け出せなかった。

おまけに、昔から我が強かった。自分の意見は押し通そうとしたし、否定されることを嫌がる。もう喧嘩の理由なんて思い出せないけれど、友達とは何度も喧嘩をした。その度に、親には「あんたがそんなんだから喧嘩するんだよ」と言われた。

大したスペックもないのに、わがまま。可愛くないし。嫌われるには十分すぎる条件が揃ってしまった私は、やっぱり嫌われた。小学校高学年の頃だった。仲が良かったはずの友達には裏で変なあだ名を付けられ、好きな人に告白した次の日からいじめが始まった。どうやら私が触ったものにはバイ菌が繁殖するらしかった。

そのいじめは1ヶ月くらいで終わったけれど、私の中ではまったく消化できなかった。「私はなんの取り柄もないしブスだし性格が悪いから、いじめられたんだな」と思った。私は私自身に呪いをかけた。

私はなんの取り柄もないしブスだし性格が悪いから、いじめられた。ワタシハナンノトリエモナイシブスダシセイカクガワルイカラ、イジメラレタ。

なんの取り柄もないしブスだし性格が悪い呪いをかけられた私は、なんの取り柄もないまま、ちょっとだけ可愛くなって、性格が悪いまま、大人に片足を突っ込んだ。

劣等感を拗らせた私には、他人を格付けして自分と比べる癖がついた。自分より頭がいい人を妬んで、自分より可愛い人を妬んで、自分より歌が上手い人を妬んだ。嫌なことを言って傷つけたこともある。今だってそうだ。私は、私より評価されている人を見るのが怖い。そのくせ、努力はいつも曖昧だった。頑張れないくせに、他人を格付けする。自分と比べて、妬む。最低で、クズで、恥ずかしい人間になってしまった。

だけど。

私は何度も救われてきた。私の汚い部分を知っても、一緒にいてくれる人たちに。私のいいところを見つけてくれる人たちに。

ハブられても、いじめられても、誰かと揉め事を起こしても、いつも必ず味方がいた。苦しいときも、悩めるときも、話を聞いてくれる人の顔が浮かんだ。私は一度も、独りにならなかった。

私は最低で、クズで、恥ずかしい大人になった。存在価値がない気がすることだって、今でもある。

でも、本当は気付いている。きっともう、なんの取り柄もない人間じゃない。メイクやファッションを勉強して、可愛くなった。わがままな性格は変わっていない気がするけれど、たくさん傷ついたぶん人の痛みを感じることができるようになった。私の周りにいてくれた人たちが、全部教えてくれた。

だからこそ、私は呪いを解く方法を知りたい。幸せになる方法を、自分を健康的に愛する方法を。

私は踊り場に立ち尽くしている。ずっと探している。

私は今でも、「すごい人」になりたいのだと思う。でも「すごい人」というのは漠然とした概念で、自分でもよく分かっていない。すごい人とはどんな人だろうか。オリンピックに出場すること?テレビに出ること?ギネスブックに載ること?YouTuberになってバズること?

すごい人になりたい!と言い出しておきながら、明確な定義は未だに示せていない。よくわからないけど私は、自分で自分をすごいと思いたい。自分をすごいと思えるくらい、すごくなりたい。

私は今までたくさんの人を妬んできた。それは、他人のすごいところを見つけ出す才能なんじゃないかと思う。これからも妬むかもしれない。人と比べるのなんてやめた方がいい。分かっている。それでも私は、たくさんの人の人生と交差したい。すごい人のすごいところを、吸収したい。

それでいつか、私もすごい人になりたい。
呪いを解くために。幸せになるために。

大学を卒業して、いよいよ何者でもなくなった。私は、ひとまず生きている。最低で、クズで、恥ずかしい人間だけど、生きている。

これは、最低で、クズで、恥ずかしい人間が、「すごい人」になるまでの物語だ。結末は誰も知らない。

うめこ

すごい人になりたかった人です。

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  1. しえさんしえさん

    あなたはすごい人だよ。心からそう思う。思わず抱きしめてそう言いたくなるくらいすごい人。見知らぬ人からのハグなんて嫌かもしれないけど、でも、どれくらいすごい人だと思ったかを的確に形容する言葉を私は持っていないので、こんな形に。
    この言葉たちを紡ぐのにとても勇気が必要だったのではないかな、そして今この瞬間も。自分のことをさらけ出すのってすごく勇気がいるよね。うめこさんはそれを言葉にして、しかも、それを表に出せたの、すごいよ。それだけじゃなくて、うめこさんは、周りにいい人たちがいたことを知ってる。ちゃんと、自分と周りを俯瞰して見れる目を持ってる。それもすごい。すごい、すごい、ってまるですごいの安売りみたいに言うけど、本当に素直に「うめこさん、すごいな」と思ってこれを書いてる。私はもう既にうめこさんはすごい人だと思うけど、すごい人になるまでの物語とあるから、物語の終わりにうめこさんどんな人になるのか楽しみ。そしてうめこさんの言葉が好きです。写真も。

    • うめこ

      しえさんはじめまして。素敵なメッセージ、本当にありがとうございます。

      あなたからいただいたたくさんの「すごい」は、ふかふかの毛布みたいに私を包んでくれました。少し冷え込む夜も、雨の日の朝も、きっとこれで大丈夫そう。好きと言っていただけたのも感激しています。ありがとうが止まらないです。

      ぜひ、物語を追いかけてくださったら嬉しいです。ページをめくってくれる人が少しでもいてくれたら、私はきっと言葉を編み続けることができるから。どうかよろしくお願いします。

  2. ワタナべ

    たまたまなのですが、自分がいま書いているおどりばの記事で「すごい」ってどういうことなのだろう ということに触れています。「自分で自分をすごいと思いたい。自分をすごいと思えるくらい、すごくなりたい。」っていううめこさんの気持ちを、誰も否定する人はいないと思います。「呪いを解くために。幸せになるために。」すごくなりたいということを、誰も否定はできない。僕はいろんな人のことを「すごい」って感じてしまうタイプですが、それはうめこさん自身ではなく他人が定義する「すごい」なのであって。うめこさん自身が満足できるところまで、物語を進めていって欲しいなと思います。文章とっても良かったです◎

    • うめこ

      ワタナベさんはじめまして。お返事が遅くなりごめんなさい。メッセージありがとうございます。

      偶然ですね!すごい!ワタナベさんの「すごい観」、楽しみにしています!

      これからももがきながらどうにか物語を進めていこうと思うので、どうぞよろしくお願いします。文章も褒めていただけてとても嬉しいです!

  3. t tatsut tatsu

    文章を読んで、それがあなたらしい、と思える、そんな記事を書けるあなたが、すごいと思う。
    うめこさんが思う、すごい、という基準がどれだけで、どこまでやって自分が納得するかはわからない。これからも、様々な才能に溢れて揉まれることも、あるのかもわからない。
    けれど、この文章を読んだひとの心の隙間に、ふと考えさせるモラトリアムを与える文章をかける、そんなうめこさんが改めて、すごいなと思います。大学の時、音を通じて垣間見たそんなうめこさんは、一部の一部で、こんなに奥が深い人だと、改めて文章を通じて、思った。文章を通じて感じれるということは、そこまでうめこさんが抱いてきた気持ちや様々な葛藤が、うまく昇華されてこちら側にシグナルとして飛んでいる証拠でもある。
    そんな文章が書ける、うめこさんは、陳腐な言葉になってしまうけど、素晴らしいと思う。そしてつまり、その人生全てが、少なくとも僕から見れば魅力的であるとも思う。そんなことを考えて、また、妬みや比較から生まれるジレンマもまた、余白に考えさせられるものがあった。
    こんな素敵な文章を、共有してくれて、ありがとうございます、というと変だけれども、きっかけを与えてくれる文章でした。

    • うめこ

      てぃーたつさん、ありがとうございます!

      私の文章を読んで、たくさん考えてくださったことがまずとても嬉しいです。それを言葉にしてくださったことも、とてもとても嬉しい。

      私が感じてきた苦しいこと、悲しいこと、腹が立ったこと、嬉しかったこと、楽しかったこと、なんでも、アウトプットしたことがちゃんと誰かのもとに届くのが嬉しい。それがきっかけで何か思いを巡らせてもらえるのはもっと嬉しい。とても勇気が出ました。ありがとうございます。

      紡いだ言葉を通じて、改めて私を知っていただいたり、てぃーたつさんを知ったりすることができて嬉しいし、これからも楽しみです。どうぞよろしくお願いします。