「自己肯定感」備忘録

住人

自己肯定感という言葉を意識し始めたのは、大学生の時だったと思う。

それまでも言葉自体は知っていたかもしれないが、あまり意識はしてこなかった。

”自己肯定感は自我の確立に大きな影響を与えます”

そんなフレーズをどこかのテキストだったか本だったかで読んだ。

ネットで調べてみる。一番上に出てきたサイトには、こうある。

「 自己肯定感とは自己価値に関する感覚であり、自分が自分についてどう考え、どう感じているかによって決まる感覚です。 」一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会HPより

なるほどよくわからない。

自己価値・・・自分の価値ってなんぞや。

周りから必要とされている感?自分はこれでいいんだっていう気持ち?

ふわっとしてよくわからない。

調べていくうちに、自己肯定感は「高い」「低い」で違うみたいってことがわかった。

自分は「自己肯定感が低い」

それが今まで僕が感じている自分の自己肯定感への認識だった。

最近、自己肯定感について調べたり、いろいろな人から話を聞く機会があった。

この場をお借りして、自己肯定感について自分の考えをまとめみたい。


先日、「りあるいどばた」が開催され、ひょこっと参加してきた。

そこでこんな話が出た。

「自己肯定感をいかに高くするかが私の人生のテーマ」

「比べたくないけど、他人と自分の人生を比べてしまう」

「そもそも他人と比べるというのは悪いことなのかな?」

「生きてるだけですごいんだよっていってくれる人に巡り会って、人生が変わった」

「自分がすごいと思っている人に、すごいと言ってもらうことで自己肯定感が高められる。自己肯定感を高めるのを自分自身でやるのはなかなかしんどいよ」

「自分が嫉妬できるほど尊敬できる人を見つけるのが大事かも」

「自己肯定感が低い、自信が持てないのは個人の問題というより、社会の問題ではないか」

「社会を責めるという概念は無かった・・・。社会や周りを責めるよりも、自分自身を責めた方が楽なんだ。他人のせいにすることは決して楽じゃ無いし、簡単じゃ無い。社会を変えようとするとものすごいエネルギーを使うけど、自分自身を責めるのはそれほどエネルギーを使わない」

「どうせ私なんて・・・って自分を卑下すれば周りが「そんなことないよ」とか慰めてくれる。それで自分は必要とされているんだって気づく。そういう自分が、自分のことしか見れていない自分がたまらなく嫌なんだ」


主に「自己肯定感の低さ」が話題に上がった。

共感できる話題が多かった。

何か突出する技術や知恵があるわけではないし、あきっぽいし、気を抜く。

自分が悪いのはよくわかっている。でも無理して周りに合わせると、自分が病んでしまう。

「基本的にいらない人間」というのが僕の昔からの原点だった。


場面変わって。

「自己肯定感?あんまし考えたことないなぁ・・・。常にポジティブを意識してんねん。

自分のことが好きやないと、ほかの人も好きになれへんから。」

よく行くお店のご主人に「自己肯定感についてどう思うか」について聞いてみたところ、

「最近の子らは自分のことを卑下するねん。なんでそんなに思うんかようわからんけど生きづらさ、感じてるんやろうな・・・。人生楽しまな損やん」

強い人だな・・・。そんな印象を持った。

自分はここまで強くはなれない。そう思ってしまう時点で、自分を卑下してしまう。

反面、こうありたいと思った。


また場面変わって。

「自己肯定感を問うことは、意味のあることなのかって思うんす。

高い低いっていうバロメーターでしかはかれないし、ナルシズムとの違いがわからない。

いろいろなところで自己肯定感という言葉が出てきているけど、俺はあえて距離を置かなければならない問いだと思う。

自分を求めすぎると、自由を失ってしまう。

泥沼のようなこの問いを、俺はあえて考えないようにしてる。」

自己肯定感について考えることは意味のあることなのか、と友人の1人はこういった。

それぞれ自己肯定感について少なからず考えを持っていた。

意外だったのが3人目の「意味のある問いなのか」という考え方だった。

自己肯定感というものを意識してしまうからこそ、自己肯定感というものに縛られる。

自己肯定感が高い人のほうが強い、となぜか優劣をつけていた。

そしてそうありたいと願った。

2人目を見ていると、そう思えた。いつもパワフルで、はつらつとしている。

「人生楽しいねん」と素で言えるようになりたい。

ただ、思うんだ。

もしかしたら、「自己肯定感」っていう便利な言葉に逃げているだけで、問題の本質は別のところにあるんじゃないかって。

自分が自己肯定感について考えるのは、考えることそのものをどこかで楽しんでるんじゃないかって。

この文章を書きながらも答えは出ないし、むしろ2歩進んで3歩下がってる気もする。

でも同時に、嬉しくもあった。

かつて自分を席巻していた、「自己肯定感」という呪いにも近い言葉を客観的に見られるようになった。

「自己肯定感」とはこれからもいい距離を保ちながら付き合っていった方が良いのかもしれない。

sarami

生き意地の汚い人生を 送っています。

プロフィール

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。