『幸せだから、』

住人

私は消えたいと思うことがよくある。
酷い時は具体的に消える方法を画策してしまう。
そんなわけで私は思い切って「消えたい」について考察してみた。私の「消えたい」は大きく分けて3パターン。

①辛いことがあって消えたい
②サインとしての消えたい
③幸せだから消えたい

◎辛いことがあって消えたい
シンプルだけど一番しんどいタイプ。生きていることが辛くなるほどの出来事に直面した時、あるいはそれを思い出してしまった時に抱く。そして具体的な考えが脳裏を過ぎる。しんどいし、暴走して自分で自分を止められなくなる。でも、最近は時間薬が効いてきたので、この「消えたい」に直面することは少なくなった。次に遭遇するまでに対策を考えておきたいところ。



◎サインとしての消えたい
日常生活の中で最も多く直面する「消えたい」。具体性は低く、ただ漠然とそう思う。でも厄介なのはその頻度と原因がわからないこと。①のように何か辛いことがあって消えたいというのならシンプルでわかりやすい。でもこの「消えたい」は何が起きた訳でもなく、前触れもなく直面する……と思っていた。
しかし、実際は気圧や寒暖差、天気の変化など目には見えないものに原因があった。ある時「その消えたいという気持ちはただのサインです。風邪をひいたら熱が出るでしょう?それと一緒です。熱が出たら休む。消えたいと思ったらそれ以上深く考えずに休みましょう」と言われた。「消えたいは休めのサイン」という考えは生きるのを少し楽にしてくれた。きっと消えたいと思う日が無くなるのはまだ先だろう。だからこそ、色んな考え方を取り入れて上手に付き合っていきたい。



◎幸せだから消えたい
これはおまけのような本題。深刻さも危険も無い。むしろ優しくて穏やかだ。

「しえさんは幸せそうだよね」

私はよく人から幸せそうだと言われる。
そして実際、私は私を幸せな人間だと思ってる。
衣食住に困らず、人にも恵まれてる。
ちょっと病気をしてしまったけど、それでも私は幸せな人間だと思う。

そんな話をパートナーにした。
「え、でもしえさん、よく消えたいって言うよね」と返ってきた。
パートナーの不思議な表情を見てわかった。
「言うね。ああ、なるほど。消えたい発言は不幸だからだと思っていたのね」
それは道理だ。消えたい=不幸っていう方程式は成り立つ。というかそれが大多数なのだろう。でも私は、私を不幸な人間だと思っていない。大変なこともあるけど、それは大変なだけであって不幸ではない。自分のことを不幸で可哀想な悲劇のヒロインのように思っていた時期もあるけど、いつの間にかやめた。吾唯知足。足るを知り、自分を幸せな人間だと思っていた方が気持ちが楽だ。

でも私は、消えたいと思う。

それは先に挙げたように辛いことを思い出したり、
目に見えない原因のせいだったりする。
それとは別にたまらなく幸せでしょうがない瞬間にも「消えたい」と思う。

幸せだから、消えたい。

なんとなく贅沢で傲慢だと思う。でも、考えてもよくわからない。たぶん、幸せが過ぎると反動で不幸なことが起きそうとか、幸せのまま消えたいとか、色々思いつくけど、どれもしっくりこない。あんまり害はないから深く考えなくてもいいかなとも思うし、じっくり考えたい気もする。というわけでこれについての考察は保留。




なんで「消えたい」についての考察を書き連ねたかというと、「消えたいは生きたいの裏返し」という言葉がふっと自分の中に落ちてきたから。うまく言えない、ありふれた言葉だけど、生きてるからこそ「消えたい」って感情が生まれる。

だからあえて「消えたい」に向き合うことで、
私は生きていくための一歩を踏み出していこうと思った。

しえさん

どこかの映画館にいるような、いないような人。被り物はもういらない。

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