生きているわたしから あなたへ

住人

 わたしは今日で、丸々21年を生きてきたことになった。わたしは幸せだ。祝ってくれる人たちがいるし、家族がいる。今までずっと幸せだったし、きっとこれからも幸せだ。文句を言いながら、愚痴も溢しながら、でも結局は毎日、明日の心配をしないで眠りにつくのだ。そしてそれは「普通じゃない」と胸が痛いくらいに思う。生きなかった、生きられなかった彼ら/彼女らに思いを馳せる。

 日本の10代から30代の死因1位は自殺だ。(2019年)幸福度や自分の容姿への満足度も日本は極めて低い。自己肯定感という言葉がさかんに聞かれる現状にもこういった背景があるだろう。

 また、隠れた死因1位は中絶だと言われている。死亡にカウントされない死がこの世にはたくさんある。この現実を知ったとき、わたしは相当ショックを受けた。「赤ちゃんはお母さんとお父さんを選んで生まれてくる」「命は尊い」「子どもは皆幸せになる権利を持っている」なんだ、全部嘘だったのか。今まで信じて生きてきたことはただの綺麗事だったんだ。

 それから自殺や中絶のニュースを目にするたびに、死んでしまったあなたの聞いたこともない声がわたしを責めた。「なんでお前が生きていていいんだ」「なんでお前が幸せなんだ」と。同じ世界にいてわたしは幸せでごめん。たいして何もできないくせに生きててごめん。助けられなくてごめん。このニュースをきっとわたしは忘れちゃうんだ、ごめんね。ごめんね。ごめんね。生きててごめん。周りの声に潰されて、環境に潰されて、生まれる前に無理やり、自分の心を殺して、いろいろな道筋を辿って死んでしまう人たち。すごい人が死んでも社会はちゃんと動く。

それならなんにもできないわたしはいないほうがよかったと思った。

 それでもわたしは結局幸せだから、幸せをちゃんと感じられる自分でいようと思った。こんなバカみたいな着地点、と思うかもしれない。でもこれが自分なりに紆余曲折を経て辿り着いた結論だった。本当に信頼できる人に相談したり西加奈子さんの「i」という本や谷川俊太郎さんの「やわらかいいのち」を読んだりして時間をかけてやっと、あの声から解放されたのだ。

悲しみは悲しみでそのままあっていい。でも悲しみに足をとられて幸せまで否定する必要はなかった。幸せなわたしだからできることがあった。ご飯を作ってくれた人においしいと伝えられること。勉強を教えてくれる人にわかった!と言うこと。落ちた消しゴムを拾って渡すこと。友達とくだらない話をして笑いあうこと。ニュースを見て自分以外の人に想いを馳せること。

 そして、誕生日のたびにお父さんが「あなたの生まれた日の朝の景色を覚えている」と伝えてくれる。誰かの朝を鮮明にできたのなら、生まれてきた意味もあったとわたしは思えるのだ。

 人は自分の意思で生まれてはこない。あくまでI was bornであって、生かされないと生きることはできない。生かすお金と生活能力がなければまず「産めない」。子どもは生まれる前に生きることを辞めさせられても何も言えない。生きていたって思うようには生きられないし、お金を稼げるようにならなきゃいけないし、どの立ち位置にいても誰かに何かは言われる。辛いことまみれかもしれない。だったら死ぬことくらい自分で選択したくなるのかもしれない。

でもね、

でも、

でもわたしは、少なくともわたしだけは、あなたに生きて欲しかったよ。

あなたの人生の脇役になってみたかったよ。ううん、脇役じゃなくても、観客でもよかった。あなたの人生を、この目で見てみたかったよ。

それが叶わないってこと、わかっている。無責任な願いであることも。わかっているからこそ、私はやはり生きるしかないのだ。生かされて、生きたいのだ。好きな人に好きだと伝えたい。ありがとうと言いたい。困っている人の力になりたい。私と出会ってくれた全ての人の人生という舞台を盛り上げる1人になりたい。

わたしの夢の根っこにあるのは、誰のことも殺さない人を育てたいという気持ちだ。だから私は今年も生きて、あなたの存在を忘れずに、あなたに届くような声で歌う。

わたしもきっといつかあなたのいる場所に行く。でもその前に私は、「あなた」をこれ以上増やさないために頑張るよ。だからあなたに見ていてほしい。あなたに恥ずかしくない私になる。

うたうとは生きていること証明書命をかけてつなぐぬくもり

ゆまいさか

夢は、超すごい音楽の先生になることです。

プロフィール

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