ano yoru

住人

コンコンコン

戸を叩く音がする。

僕は寝る準備をするために花の水を入れ替えていたところだった。

キッチンから聞こえたその音は、一瞬空耳かと思った。

なので一度は無視してみる。

コンコンコン

再度戸が鳴った。

誰かがいる。

もう23時だ。

僕は新しい水を入れた花瓶をキッチンの端に置いた。

上から垂れたタオルで手を拭いて、戸に向かう。

もう一度だけ待ってみる。

再度戸が鳴ることはなかった。

この家にはインターホンがあるのだ。

なぜ、インターホンを押さずに、戸を叩くのだろう。

僕は恐る恐る戸に付いた覗き穴に目を近づける。

誰もいない。

できる限り斜めから穴を覗き戸の前の左右の角度を確認する。

やはり、誰もいない。

右の角度には1階へ続く階段が見えるが、階段にも誰かがいる気配がない。

少し怖くなった。

僕はもう一度キッチンの方へ戻り、まな板を取り出した。

包丁は、相手に奪われた場合殺されてしまう可能性がある。

まな板であれば、相手が武器を持っていても防御ができるし、まな板の端で殴れば結構痛い筈だ。

まな板を持ち、もう一度覗き穴を覗く。

やはり誰もいない。

僕は、鍵を開け、戸を思いっきり、バーンと開いた。

2階の廊下に大きな音が鳴り響く。

突き当たりの奥の部屋の外灯がチカチカしている。

それ以外に不審なことはない。

僕は階段まで行き、1階へ下る。

1階の廊下にも、誰もいない。

自転車置き場には、いつもの赤い綺麗な自転車と、汚いシルバーの数台の自転車が置いてある。

僕はそのまま近くの公園まで歩いた。

近くの公園には、誰かが忘れたサッカーボールが転がっていた。

ベンチに腰を下ろし、まな板を横に置いた。

空を見上げる。都会なのに、星が光っている。

点滅した飛行機の光が、東の方からやってくる。

自分の真上に来たあたりで、飛行機の音が遅れて聞こえてきた。

輝く星と、煌めく飛行機。

ふと、自分の小さい頃を思い出す。

赤ちゃんの頃に何度も聞いたであろうオルゴールの音が聞こえる。

ようこそここへ 遊ぼうよパラダイス

何度も何度もリピートされるそのメロディが、夜の星空を見上げると頭の中に流れる。

電話が鳴る。

前職の仕事仲間からである。

電話に出てみると、仕事の悩みを相談される。

僕よりも20歳は離れているのに、僕に仕事の悩みを相談してくる。

なんだか嬉しいことだ。

帰ったら、飲みに誘いたい。

話を終え、ベンチから立ち上がる。

夏なのに、少し冷えてしまった。

転がっているサッカーボールでリフティングをしてみる。

ボールがぶよぶよで、3回しか続かない。

ちょっとイラついて、公園のはじの方にボールを蹴っ飛ばした。

ボールは転がり続け、見えなくなった。

道路に出てしまったかもしれない。

知ったこっちゃない。

僕は家に戻ることにした。

周りの民家はまだ明かりがついている。

23時は、子供の頃にしてみれば真夜中だった。

いつからか、夜というものへの敬いがなくなってしまった気がする。

赤い自転車が視界に入りながら、階段を登る。

僕の戸の前の外灯が、点いていた。

僕の部屋の戸の外灯は、入居した頃からずっと電球が切れていた。

不思議だなあと思いながらも、戸を開け部屋に入る。

玄関のスイッチで一度外灯の電気を切る。

外灯は消える。

その後スイッチをオンにしても、二度と電気が点くことはなかった。

soshi

1991年生まれ。長野市出身。 大学の専攻はジャーナリズム。休学し9カ国放浪後、地元市役所に入る。福祉部門に配属となり、障害者のソーシャルワークなどを行なう...

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