貴様の都合など知ったことか!

住人

私は怒っている。尖がった頃の長渕剛並みに怒っている。つまり《げきおこ》である。

何が腹立たしいって、『すばる文学賞』に落選したからだ。しかも1次予選(!)も通らずに。正直、ダメだろうなって気はしていた。文体が独特すぎる。実験的ならまだしも、書いている本人も理解不能な表現ばかり。誰の真似もしたくないし、小説とカテゴライズされるのも嫌悪で、わけわからん小説を生み出す昨今。理解とか、ましてや共感とかされたくない。「ナニコレ?」、「バカなんじゃないの?!」と拒絶されたい。「こいつ狂ってる!!」と言われたら、最高に嬉しい。
だから、落選して正解、大満足。なのに納得いかねえ。下読みする人間、ろくなもんじゃねえ。「私を誰だと思ってンの?」とか本気で思うから、自惚れてますよ。
自慢じゃないが、ろくに本も読まないのに、二次予選に2度通っているから、才能がないわけではないらしい。(←嫌な感じ)『すばる文学賞』に迎合して書いたことも多々。それで結果残しましたからね。でも、それじゃダメ、2位じゃダメなんです。涙ちょちょ切れるホームランか、フルスイングして三球三振か、どっちかでいいと思うのよ、この頃。
だから、『すばる文学賞』のみならず、2年前から、書くことに関しては、私が書きたいことを書きまくることにした。一切迎合してなるものか。時代が私に追いつけよ。必死で《中川よしの》という異端文学を見つけろよと挑戦状叩きつけるみたいに。

話を変える。私は人が苦手だ。できれば一人で生きたい。誰とも会いたくない。猫とも暮らしたくない。孤独死したい。餓死したい。人と接するのは、気を遣う。とても疲れる。何より面倒くさい。「文章では雄弁ですね」って言われるくらい対話の場面では話さない。会社では仲のいい同僚などいないし、相談できる人もいやしない。それでもまったく困らない。一人で解決すればいいだけの話。
なのに、日常や職場では、まあ、障がい者っぽくなく見せている。自分を偽っている。話し掛けないが、《指示すれば素直に動く人》を演じている。命令されるのは嫌いじゃない。何も考えなくていいからだ。何も責任を取らなくていいからだ。時折、笑顔で挨拶を交わすことさえある。どっちかっていうと親しみやすい愛想笑いをするよ、私。本人的には少しも笑えない話だけれど。

人が信用できない。それはつまり自分が信用ならない。汚い嘘を吐き続けてきたし、金に困ればそこらへんのガキを恐喝して、金を巻き上げたろか、とか思わないこともない。面倒臭いからやらないけど。取り調べとか謝罪とか、そういうのに慣れてないし、嫌だモン。
普段の生活では、いい人を演じて、相手にとって《気持ち良い人》の型にハマろうとしている私。反吐が出る。唾を吐いてやりたくなる。クソみたいだな、クソだな。

だからですよ、小説では自由にやらせてよっていうことなんだよね~。中川賢司(本名)という人間は窮屈だ。まじめで無口で素直でバカでマヌケで、アホかってくらい誠実。そんな自分に誰がした!
それは私自身だよね。クソつまらない中川賢司という人生。クソの方がマシな中川賢司の人生。死んだ方がマシ。実際、4回失踪して、4回自殺未遂して、中川賢司をやめようとして。病んでいたんだよね。《中川賢司を演じること》にヤラレて。首吊りもダメだった。飛び降りできなかった。オーヴァードーズしたけれど、そう簡単には死ねなかった。家族は泣いたけれど、いまだに「もう二度としない!」なんて宣言する自信はない。いつか自死する運命になると思えて仕方がない。

怒っているンだ。中川賢司を《中川賢司らしく》生きることは諦めたのだから、せめて中川よしのには生きたいように、生きさせてやりたいよね。実際、やりたいように《中川よしの》しまくってる。
なのに、結果が出ない。成功なんてクソだと思っているのに、求めている中川賢司が醜い。邪魔すんな、殺すぞ。もう一回死んだら? そういえば製本所で働いていた時に、人間の皮を被った魔女に「死ねばいいのに」と廊下ですれ違いざま言われたんだよな。あれは中川賢司に言われた。死ねば良かった。死んであの魔女に「バカだな」と思われたかった。
残念ながら中川賢司は媚び売って生き延びている。可能ならそんな輩をぶっ殺して、中川よしのとして人生を再生。それをやるならいつだって《今しかねえ》ンだよ。怒ることが人生のスパイス。こんなデタラメ文章のように生きまくりたい。かなり深い/すごく不快。
中川よしのは謝らない。

〈了〉

なかがわ よしの

生涯作家投身自殺希望。中の人はおじさん。早くおじいさんになりたい。

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