曖昧のなかにあるリアルを -004-
住人
ふとした日々の距離の中に、物語ってたくさんあってさ
自分が昔歩いた通学路やその途中に嗅いだ金木犀の匂いとか
彼がタバコに火をつけてから口に運ぶまでの時間とか
そのタバコを加えたままぼーっと床を見ていたシルエットが綺麗だなとか
何がって言われるとわからないけれど、「あっ好きかも」って思う瞬間って誰にでもあると思う
その記憶って案外鮮明じゃない?
初めて体を許した人をいつまでも忘れられないのは、きっと初めて心も体も丸裸な自分を受け入れてくれた安心感のせいなのかもしれない(上手い下手はおいといて)
そんな記憶のカケラって、案外楽しい、嬉しい、の中よりも、苦しい、辛い、の中の延長の幸福なのかなとも思う。
世間にとっての正解だとしても、私はこっちを選びたいという勇気は、どちらが正しい、正しくないの白黒をはっきりつけるより案外難しい。
正しいから正しくない人を批判するのも、わからずにやってしまったことを注意されたとき「わからない」を理由に改善しないのも違うと思う。
お行儀のいい子が損をする世界も嫌だし、何かをやってしまった子が弾劾を受ける世界も見たくはない。
これからは特に「正しさ」という境界が曖昧になっていく世界が広がっていくと思う。そんなとき自分の判断基準はきっと今までに体験した「記憶」の中に答えがある。
常に「自分とは」を問われる世界。それでもその世界で生きていくというリアルだけが本物だ
そのリアルを楽しめる人間でいたいと思う
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