住人

大学時代を過ごした寮が、3月末に閉鎖する。
寮の運営を担う理事がいないことと、建物の老朽化が主な理由とのことである。
僕は2021年から若手メンバー数人と理事に加わり、運営体制の世代交代に臨んだ。
しかし様々な原因で引継ぎがうまくいかなかった。
一緒に世代交代に臨んだ寮時代の同期は、限界が来て爆発してしまった。
時代に合わせた仕事の仕方をしていかなければ、組織は継続できないことを、そのときに強く実感した。
上の世代が長年やってきたことを変えることは、引継ぎをする側とされる側がお互いにお互いを理解しようとし、尊重し合ってコミュニケーションをとっていくことが何よりも大切だと知った。
何かを変えることは、一方が変わるだけでなく、全員の意識が変わる必要があることなのだと思った。

この引継ぎの失敗が、おそらく寮閉鎖のトリガーになった。
理事長は我々若手以外の何人かのOBにも協力を求めたようだが、応答はなかったようである。
もう今の理事たちでは体力的にも、精神的にも限界だった。
みんな、80歳を超えているのだ。

閉寮が決まり、理事も解任されている僕は、せめて個人的に記念誌を作ろうと、snsやマスメディアの力を借りてOBに呼びかけをした。
20代〜80代の幅広い世代のOBたちと連絡が繋がり、何人かと会って話すこともできた。
想像以上に、OBたちの寮への想いは熱かった。卒寮後40年以上経っても、毎年のように集まって飲み会をしている世代もいるようだった。
こんなにも絆の強いOBたちがいても、かつての五島慶太氏のように、先導して寄付を募るような行動を起こす人はいなかったようだ。
リーダーの不在である。
自分自身も、リーダーにはなれなかった。
閉寮の知らせを受けたとき、理事長に老朽化した寮の建て替え費用を聞くと、数億と返答があった。
自分にはもう何もできる気がしなくなってしまった。

先週の土曜日に、OB有志で寮のさよなら会をした。
久々に足を運んだ寮は、僕がいた時代よりも更にボロボロで、薄暗く、ひっそりと終わりを待っているようだった。
それでも、集まった先輩OBたちによって、何十年かぶりに寮歌が歌われ、思い出話の笑い声が響き、一瞬でも寮に輝きが戻ったように感じた。
僕にとってこの寮は、今の自分に大きな影響を与えた場所である。
当日集まったOBも、それぞれが自分なりの大切な想い入れを持っていた。
一人ひとりの中にある千曲寮の輝きを、形にして残していきたいなと思う。

soshi

1991年生まれ。長野市出身。 大学の専攻はジャーナリズム。休学し9カ国放浪後、地元市役所に入る。福祉部門に配属となり、障害者のソーシャルワークなどを行なう...

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