言葉について話そう。
「言葉って何?」。先日、Podcastでそんなトークがされていた。その影響でここ数日、言葉について考えている。意外に深いので、まとまらない。なので、書くことで整理したいと思う。一般論だと言葉はコミュニケーション・ツールのひとつ。タイミングや誰が言うかによって、その影響力は変化する。人生を変える一言になることもあれば、ただのムカつく言葉にもなり得る。それが人々が持つ言葉のイメージなのでは。で、わたしにとって言葉とは? 「武器」だ。言葉を「武器」にして雑誌編集者を15年ほど務めた。小説を30年間書き続けてナイフを研いでいた。いずれ作家として世の中と戦えると信じて。それは夢と散ったが、武器となる言葉は捨てていない。手書きで言葉をノートに書き綴って、作品を売り、稼いでいる。まだまだ立派な武器だ。
マイナス面での「武器」という意味もある。それは言葉を自分に向けてしまった時に、恐ろしく鋭利な刃物となること。「Nさんはわたしを悪く思っている」「昨日あんなことを言ってYくんは怒っているはず」とか。グサグサと刺さる。大量出血で心に深い傷を負う。心だって肉体と同じだから、次の日起きてケロッと治っているなんてことはない。心に黒い血が流れ、時には膿まで出て、完治まで時間がかかることも。最悪な言葉は「死にたい」という胸の奥から響いてくる、それ。遡ると10代でお酒を飲みながら(違法です)、「死にたい」と飲み友だちに酔っ払って連呼したことが思い出される。友人に「そんな考えはBADだぜ」と茶化されたのか諭されたのか。
その気持ちはずーっと持ち続けている。精神薬を飲んで抑えているけれども、やはり自分の根っこにはそんな思いが生息し続けている。自殺してしまった友人を想うと「なぜ気づいてあげられなかったんだろう」という気持ちより、「勇気があってすごいなあ」とかいう感想が出てくる。わたしはそんなことができないから、遠回りして早死にすることを祈っている。だからお酒も大量に飲む。砂糖菓子を手を止めずに食べる。健康診断の悪い結果に対して改善を促されても、気持ちは乗らない。こんなことを書いたらアレだが55歳で死を希望。長く生きても60歳までで十分。サクッと殺して。多少の痛みや苦痛は仕方がない、とは言わない、楽に安らかに死なせてくれ。
こんな言葉を並べて、ドン引きした読者さんが多数だろう。でも、わたしに実際会うと弱っちい男には見えない。ガタイが良いおじさん。しかめっ面で笑顔はなくとも、褒めるのが好きで、それが上手だとも個人的には勝手に思っている。そして、見た目とは違って「やさしいね」と言われる。うん、それも自覚している。どうやったら感動した気持ちが伝わるかとか、どうしたら相手の長所だと思ったことをストレートにぶつけられるか考える。全部、言葉の問題。「あなたは言葉の人だね」って言われる。「当たり前だよ!」って言ってやりたい。でも、それはオモテ側の顔で、ひとりの時はネガティヴに「早く死にたい」と願って止まない。言葉の人間なのにこれに関してだけは説明がつかない。みんなそう思って生きているものだと信じていたが、そうではないらしいな。「ずっと生きたい」で「死にたくない」みたいだな。
言葉は武器。残念ながらわたしにとっては、わたしに向けられる銃口と一緒で怖くて仕方がない。重なるが、仕事で叱責されるんじゃなかろうか。悪口を言われてるんじゃないか。「使えねえヤツ」と嘲笑われているのでは? とか被害妄想。その言葉たちは自分の手の中にあるのだから手放せばいい話かもしれないが、その方法を知らない。もともとそんな術はないのかも。言葉はわたしに密接だから、捨てられるわけはないと言われたら、たしかにそうですねって全部受け入れてしまう。人を傷つけるから言葉は慎重に選んだ方がいい、愛する人には「大好きだよ」って言葉にした方が相手のため。普段の会話で「ありがとう」って付け足すだけで、相手も喜ぶから、そっとその言葉を渡した方がいい。冒頭で書いたように人間は言葉でコミュニケーションを取っている。戦争なんてしていないで対話する、耳を傾けることに力を注ぐべきだ。(全然関係ないけれど国のトップの人は軽々しくSNSに投稿できないようなルールを作った方がいい。アメリカのデカいおじさんを見る度に思う。)
つまり、普通の人々にとって、言葉って思いのほか重要で、当たり前にあるから軽い存在。ありがたさを痛感し、大切に扱って欲しい。人の人生を変えるのはたった一言の言葉。人間って単純だ。人間ってラッキー。言葉を持っているから。わたしもいつか人間で良かったと心の底から叫ぶことができたらいいなあ。[了]


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