じゃない、日常

住人

3月と4月で、過ごし方がガラッと変わった。

もちろん休学が終わって復学を予定していたから、ガラッと変わることは決まっていたんだけど、

予想していなかった方向に事態と生活が回り始めた。

あんなに通っていた好きなアイドルやバンドのライブには一度も行かなかった。

長野に戻ったら行こうと思っていたお店には半分も行けていない。

自分のライブは三月末に出演させていただけてそれきりだ。

新型のヤツがこわくて、それ以上に、色々なものにおびえ混乱に陥り攻撃的になっている世の中がこわくて、出来る限り家にいる。

丁度いいタイミングで一人暮らしが再開したので、毎食何かしらの料理をしてみたり、部屋の片づけをしてみたり、一日布団の中でゲームして終わる日もあれば、たまに思い出したように勉強してみたりしている。

外出できないなりに、それなりに、暮らしている。

暮らせてしまっている。

今回の件で一番怖いこと、それは、

今までのわたしにとって中心だったもの、生きがいだと思っていたものたちが無くても、つつがなく生活が進んでいっていることだ。

家にいると、あんなに熱心に東京に通っていたころが夢だったようにに思えてくる。

マイクとギターに全身全霊をぶつけていたのも遠い昔に思えてしまう。

昨日オンラインいどばたで「事態が収まってもこれまでの日常が再開するわけではなく、新たな日常がスタートする」という話題が上がったけれど、ホントそんな感じ。

これまでの日常は過去になり、ステイホームを軸にした新たな日常の中にいる。

別に平気だけどどこかさみしい。さみしいけど、無理に現状を変えてまでこれまでの日常に戻る努力は、今はできない。

冷たいなぁ。でもこれがいまの正直な気持ちだ。

でもね、思い出してみると、上で挙げた「生きがい」たちを始めるときも、日常に大きな変化があったわけで。

今まで飲み代がメインだったバイト代の使い道はすべて遠征費にシフトしたし、ライブに出る前には知らなかった前一週間の緊張感を味わったりした。

この状況もまた、新たな生きがいや楽しみが生まれる準備段階なのかもしれない。

それに今までの生きがいが好きな気持ちは消えない。自分と社会の状況が許すようになったら、また始めたくなったら、いつでももう一度始めたっていいし。

そうしていろんな日常を繰り返しながら好きなものが増えていく人生、なかなかいいかもしれないし。

いまやるべきこと、やりたいこと、心躍ることに正直に暮らしていこう。

ラッキーなことに、今回の日常は時間の余裕がたっぷりあるみたいだから。

おてあらい花子

鼻唄みたいな言葉と、呟きみたいな歌をこぼします。20歳です。

プロフィール

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。