ゼログラビティ―
10月がはじまった。消費税があがり、軽減税率がはじまり、みんなは大学がはじまり、わたしは休学がはじまった。
どうにかこうにかアパートを引き払い、実家に引っ込んできた。地元のスーパーのバイトに無事受かったので、お金を稼ぎながら、せわしない学校生活から離れたのんびりライフを送るつもりだった。
だったんだけど、今の私はというと。
まず、始める予定だったバイトには出勤できなかった。初出勤前日の夜、わたしは壊れたように泣き続けた。面接で仕事内容は聞いていたけれど、いくら想像してもうまくできる気がしなかった。そして、うまくできる気がしないのは自分が無能だからだ、と自分を責めた。余計に涙が止まらなくなった。母に出勤を止められたので店長に電話した。初出勤は無期限延期になった。
同じタイミングで母が心療内科の予約をとってくれた。病院で専門家の意見を受けてから、バイトの今後について相談することになった。こんな田舎でも心療内科はやはりニーズが高いようで、約2週間後にしか予約がとれなかった。受診するまで何も動けない。身体だけおうちと手をつないだまま、気持ちは宙ぶらりんだ。
宙ぶらりんの生活は、思っていたより苦しい。
学生の身分を保ちつつ、授業には出ないで、バイトには受かったけど、出勤はしないで。起きた時間に起きて、眠くなったら寝る毎日。苦しい。一見楽で幸せそうなのに、苦しい。何もできない。
無為に一日を過ごしてはならないという謎の強迫観念。昼ご飯をつくってみたり、ギターをさわってみたり、「今日はこんな一日でした」と説明するためのトピックを無理やり作り出している感じ、なにもしないって苦しくて疲れる。
宙ぶらりんでいると、それ以外にできることがない。時間がありあまるので、つい考え事に走ってしまう。
今頃みんな、授業を受けてる。静かな教室で、周りの人の気配を感じながら、100分間も座りつづけている。それに耐えられなくなったから逃げてきたはずなのに、授業に出なかったらそれはそれで苦しいって、おかしいんじゃないの。うける。弱いなあ。みんなができることもできないのに、それでもつらいなんて、弱っちいなあ。無能すぎて恥ずかしい。無能。無能。無能無能無能無能。
休学に伴い奨学金を停止したので、お金がない。お金の余裕って心の余裕なんだなあ。お金がないことによって、家でゆっくり過ごすこと以外の選択肢がまったく削られてしまう。バイトができるうちに、もっと貯金をしておけばよかったな。失業保険のように、病気で休学をすることになったときには、生活費を補助してくれたらいいのにな。お母さんにお金をくださいと頼むのが一番心にくるし、自分が情けなくなる。
お母さんにとっては負担だろうな。家を出てったはずの娘が帰ってきて、それも手のかかる状態になり果てて。自分で稼げないのに金銭感覚は元気なころのままだから、お母さんもきっと無駄遣いされるお金を渡すの嫌だろうな。
10月が始まってから、毎日泣いている。一日に何度ももう嫌だと思う。一日に一度は希死念慮が頭をよぎる。
学校がいやで逃げだした長野市には、好きな人がいる。
その日はたしか、お昼ごはんがうまく作れなかった日だったと思う。鉄板を焦がして、こびりついて取れなくなった生地をこそぎおとす前に心が折れて、限界だと思った。会いたいと思った。
ちょうど30分後に長野行きの電車が出るところだったので、支度を始めたらお母さんが仕事から帰ってきた。これから長野に行ってこようと思う、とだけ伝えると、何も言わずに送り出してくれた。駅までの車内はすこし静かだった。
いつもなら平気な電車移動に苦痛を感じていることに気付いた。高校生の制汗剤の匂いがきつい。となりに知らない男の人が座ってくるのがこわい。乗り換えの少ない便を選んでしまったせいで、外の空気が吸えなくて、息苦しい。言葉にできない不安感に支配されながら、座席にすわりつづけた。
長野駅で吐き出された人々の間を縫って歩く。階段しかないホームに到着していたので、手すりを使いながら登った。横を何かに急かされる人が抜かしていく。
ようやくたどり着いた改札口で好きな人のすがたを見つけた瞬間、涙がとまらなくなってしまった。10月になってから毎日泣いているけど、うれし涙ははじめてだった。
それ以来わたしは、どうしても心がだめな日には長野行きの電車にのっている。
苦しくて逃げだしたはずの長野に、救いを求めて逃げかえっているなんて滑稽だな。
思うに今のわたしは、さまざまなアンテナの感度が以前より上がっている。めちゃくちゃ感度がよいせいで、少しふれただけでも大きく反応してしまうのだ。
とくに悲しみ、苦しみに目が向きやすい。でも、向きやすいというだけで、他の感情はなくなったわけではないことを忘れないでいたい。
おてあらい花子、人生観測史上最大の非常事態。もろくなった心と付き合っていくためには、周りからの助けが必要みたいで。図々しいけれど、困ったときにはどうか助けてください、受け入れてください。ひとりで立てるようになったら、お礼参りにうかがいます。
焦らないこと、今は立派な自分をあきらめること、死なないこと。
自分と約束して、家に縛られている身体もほぐして。半年間、無重力空間をただよっていこう。
この記事へのコメントはありません。