今よりもっと、強くなったら。
久しぶりに友達とzoomをした。
今日は髪を少しだけ切って、染めた。
そういえば、朝に食べた、6枚切りのバタートーストはおいしかったな。
今日は、生きてるな、と思う。
本当は毎日生きているのにね。
生きているってなんだろう。
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最近、書くことが嫌いだ。
書くことは、とてもとてもエネルギーを使う。適当に書くと、ことばが生きていない。すぐにわかる。
ことばから何の力も感じない。心が入っていないことばは、力を持たない。
読点ひとつでも、その文章が生きるか死ぬかが決まる。
本気で書かないと、いい加減さが滲み出てくる。
どれだけことばを大切に使っているかが、見透かされる。
文章を殺すのは、簡単だ。
いい加減な気持ちで使って、ことばを殺してしまいたくない。
いや、それよりもそのいい加減さを見破られたくない。
本気で書けないことが怖い。
書いても書いても、出てくることばすべてがむなしく思える。
前みたいに、これだ、と思えることばが見当たらない。
前に書いたものもなんだか安っぽく見えてきた。
この世界は言い尽くせないことが多すぎる。
「ほんとう」なんて、わたしの持っていることばでは、語り尽くせない。
それなのに、ことばを介さないとなにも伝えられないなんて。
「ほんとう」を聴いて、語って、生きていたい。
でもひとの「ほんとう」を聴くのは簡単じゃない。自分のだって難しいのに。
「ほんとう」は疲れるし、苦しいし、怖いこともある。
毎日起きる事象全てに心を揺さぶられるなんて、無理なのはわかってる。
「ほんとう」で語り合えることがどれだけ素敵かと思うけど、生半可な気持ちのそれはただ人を傷つけるだけ。ただ目の前で生きている「あなた」を消費するだけ。読んでくれる「あなた」を消費するだけ。
もっと深いところまで、もっと素敵に。
もっと書けるはずなのに。
悔しい。
わたしには、なにも語れない。
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おどりばは、なんでも許してくれる。
どんなに言葉足らずでも、ただの文字の羅列でほとんど意味を為さなくても、すべてを受け入れてくれる。
でも、いまのわたしは、わたしをきっと許せない。
ずっと書けない自分が嫌いだった。
本気で書けない、本音でぶつかれない。
無責任で、弱い自分が。
自分の心を探せば探すほど見えなくなって、そして途中で諦めてしまう。
見映えのいい、手軽な言葉だけを使って簡単にきれいなことばに収めようとするわたし。
でも張りぼての言葉は、私の弱さを浮き彫りにしてきた。
書くことと、自分の心と、向き合いたい。
まっすぐで、誠実で、丁寧な。そういうことばを語りたい。誰かを動かす力は別にほしくない。
でも感じたことをそのままに伝えたい。
語り得ないものに「ほんとう」があると思う。
その語り得なさを、語りたい。
いつか、また帰ってきます。
今よりもっと、強くなったら。
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