運命は変えられる・・・
前回記事をバツっと書いて、それに反応くださったり、目に触れてくださったり、恐縮ながらも有り難く思っています。正直、大丈夫かなって思ってました。
自分で読み返しても、あぁ、心の内をそのまま書いててドキドキしました。
読んで下さる方は、ここから何が気になりますかね。
どんなお話に興味がありますかね。
自分は話せばキリがなくて、だけど誰も興味もないことを書き連ねてもなぁと。
でもここは、自分の内面に向き合える場でもあって。
そんな内面と向き合いつつも、少しでも誰かの為になるといいな。
いつか、本を書きたいなと思うくらい、日常に溢れているご縁のつながり方は本当に凄くて。網目のように全てが繋がっている感があります。
この2月3月も、ひっきりなしにお仕事が増えていて、正直、自分でも信じられなくて。ホンマにいいんだろうか、だけど誰かの為に働けることは有り難いことだなと感じる日々です。
こうやって今に繋がることを振り返ると、あの時あの場所に自分が行って、こういう行動を起こして、そこでこの人と繋がって、人との輪もできて、自分の経験値も増えて、格好や環境も変わって、仕事になって、誰かの課題解決の役に立って、さらなる期待を生んで、仕事が大きくなって、ってきちんと原因の種を見つけることができます。
それが結果として報いる間に、「善縁」をいただいている感じ。
きちんとした法則の中にある。
良く言う因果応報って、今自分がいる人生(本有)しか実感ないもんね。
手に届く範囲でも、未来は変えられる。
運命は変えられる。
運命ってそもそもなんやねんって話ですが。
自分とは違う何かに与えられたものって考え方が根底にありますよね。
生まれた場所を選んだ感がないから、なんか自分の運命を受け入れないといけない感が有ると思うんですけど。
(この話は「生老病死」という苦しみ=自分の「意志」で選べないことの一つ)
(この苦しみから逃れる方法はないかと修行し始めたのがお釈迦様)
だけど生まれる場所だって生まれる前の自分の行いの結果だよっていうのが因果応報。
たとえどんな境遇で生まれようとも、未来は変えられる。
(現代の師匠(仏様:上行菩薩:日蓮大聖人)は、当時の低い身分:庶民からどう境界を開いていくかを身を持って示された。↔︎お釈迦様は王子として生まれた。)
結局は自分ってことです。
目に見えない何かや誰かに自分の運命任せてどうなるものでもないというか。
いま、現在自分が起こした行動によって未来は作られるから。
目の前にあるご飯を食べたらお腹が満たされるのは誰だって承知の上。
傘を持って出かけなければ雨にも濡れるし。
考えれば割と当たり前のこと。
健康の結果も、日々の積み重ね。遺伝子が原因かもしれないけどさ。
(その遺伝子を持って生まれてくる原因も自分が作ったとしたら・・・ってお話。)
治すのも自然治癒力高めるのも、自分だからね。
もちろん、治すための良い情報を得たり、
自分の力が足りない時には出来る人(専門家)の力も借りる。
その頼れる人を見つけたり、善い縁を引き寄せるのも自分というか。
そのための修行方法は何千年も前に解き明かされている、今っぽく言うと精神科学的な。
(ここの精神科学の専門家は、仏道修行をした僧。その中でも、どの経典:テキスト:に基づいたかによって結果が変わるので、お釈迦様の悟った真実:法華経:を基にしたい。どの経典が真実か、経典の中に根拠がある。書いた本人が説明している。文証。その系統の歴史を辿れば、今はどこにいけば善いかが分かる。現代の理詰めでも通じる内容。そして今の時代に苦行は必要ない。)
だけどさ、全部自分のせいって思うと時には苦しくなるから、
何かのせいにしたくなるんだよね。それが弱さでもあると言うか。
自分を見つめるって、しんどい時ほどキツイよね。
責任転嫁しておいた方が楽だと思ってて。
でもそれじゃあ結局はその場しのぎなんだよね。
何も変えられない。
もちろん、日々選択を繰り返す中で、正直迷うこともある。
人智では計り知れない現象もあって、だからこそ御仏智をいただきたいと思う。まだまだ修行が足りんなってお話。
短期的に見れば、叶わなかったように見えることでも、
長期的に振り返ってみれば、その道に進まなくて良かったと思えることもある。
何が善いか悪いかは、後になってみないといけないこともある。善悪は両面。
この話はまた。
あとは自然界の力。ひとりの力では何とも微力かもしれないけれど、多くの人の行動は、その地域や国に影響を与えているのは確か。
だからこそ今、やっと、世界全体で地球を守っていこうぜって目標(SDGs)も出てきたわけで。自然だって、ひとりひとりの行動次第なんですよ。一体です。
みんなが本気で最善の方法を選ぶようになって、お互いの幸せを本気で願う日が来たら、吹く風もやわらかくなるそうです。
そうして、自然界の力(諸天善神)に護られる自分になりたくて行動した結果、を前回記事に書いたわけです。自然界は天気だけじゃない。
地球の歴史のサイクルで氷河期とか色々あるけれど、もしかしたら、今までの歴史上では考えられない想定外の結果を生み出した、なんてこともあり得るかもね。本気でみんなが変えたいと思ったなら。
誰かがやってくれる、じゃ、やっぱり変わらない。そう思う。
昨年から続いた自体は「見えない相手」との闘い。
こんな時だからこそ、その人の価値観が浮き彫りになって、どこまで相手のことを考えて行動出来るか、その想像力を働かせられるかも試されましたね。
ひとりじゃなくて、みんなで変えていかなくちゃいけない。
そんな時代になってるんだろね。
ちょっと規模が行ったり来たりで分かりにくいところもあるかもしれません。
自分の理解で、はしょってしまうこともあります。
根拠を挙げれば本当は色々説明出来ることもあるのですが、長くなってもいけないのでポイントだけ書いています。
何かあれば聞いてくださいね。
それに応じて自分も学びを深めたいです。
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