違和感からの逃亡

住人

長野を離れてから半年が経った。
長かった蒸し暑さから解放され、エアコンをつける必要がなくなった。
網戸からは涼しげな風、走る車の音、保育園か幼稚園の子どもたちが元気よく叫ぶ声が入ってくる。
7階のマンションからは、天気が良ければ富士山が見える。

体調の波はより緩やかになった。

血色も良い。
少し食欲がないのが気にはなるが問題になるほどではない。

好きな本に囲まれて(大半積読だけど)。
人と話したくなったら、Twitterで哲学カフェ開いたり。
Amazon Primeであたしンち見たり。
少しオシャレして散歩したり。
家事に追われていると、気が付いたら日はとっぷり暮れている。

週に1回の通院。費用は更生医療という制度で窓口負担はゼロ。
薬代だけで済んでいる。
おおむね平和なのです。
生活が穏やかで緩やかなのです。
お給料は先月から止まって、障害基礎年金という皆様からのお金で生活しているわけなのですが、生活するのに不自由はない。

とはいえ焦りがないわけではない。
画面の向こうでは仲間や知人が、フォロワーさんが変わらず生活の片鱗を投稿してくれている。(変わらずというのは、生活が変わらないという意味ではない)
みんな頑張っているなぁ、と。

焦らなくていいと昔から言われてきた。その言葉がさらに自分を焦らせた。
想いがあふれ、皮肉なことに言葉が活気づいていた。
思えばその時はあまり本を読まなかった。
あんなに苦しく嫌だった、天井がグルグルしていた夜を愛しく感じてしまう。
メンヘラもいいところだろう。

だけど、今の自分はとても平坦だ。
書くべき想いも今はほとんどない。
かつて自分が書きだした言葉や文章を読み返す。
歪で、平静を保ちつつ、わかってますよ感を出す。
1ヶ月前の文章でもそう思った。

ここまで来て、ハッとした。
今の自分は思考が止まっている。
思考を動かすにはエンジンがいる。
自分にとってのそのエンジンは、遊ぶことと探すことだ。
そういえば、最近脳が動いてない。心が動いていない。
何かを探していない。
不安すら感じず、何とかなると思い込んでしまっている。
(実際になんとかなってきてしまったのは、周りの人の助けがあったからだ)

「一人孤独に生きてきた」とニヒルになっていなかったか。
「他の人に比べると」と無意識に差をつけていなかったか。
いろいろな言い訳をするだけで、頑張ってきただろうか。

回せ

回せ

頭を回せ

手を動かせ

思考を巡らせ

思考の素振りを思い出せ

自分の違和感を形にせよ

…こんなことやっているうちは絶対出てこないので、カフェオレでも飲みながらのんびり待つことにします。

sarami

生き意地の汚い人生を 送っています。

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