1と0の間に

住人

1と、0との間には、何があるのだろうか。

全か無かの法則、で片付けられるのだろうか。

生まれた時が0だとして、1が死…ニアリーイコールゴールなのだとしたら、0からたくさんの時間、経験、その他諸々を積み重ねていって、最後に1に到達する算段になる。

0と1の間で、たくさんの過程を経て、たくさんの人と出会って、たくさんの時間をかけて、目指す最期に恥じない生き方を目指していく。それが、とりあえず人生というもんなんだろうか。

何もしないことが0だというなら、何か動き出したその瞬間から、0ではなくなる。たとえ、そこに中身がなかったとしても、無ではない。そもそも、0は無なのだろうか。0という数字が有る時点で、無とは言い切れないのではなかろうか。この手の議論は、難しいから学者に任せるとして。

27歳の今、僕は、0に戻って歩き出している。

ことばにするならば

「生まれ変わり」だろう。

生まれてからこのかた、活動的で好奇心旺盛、真面目と几帳面、そんなものが取り柄だった自分が、今年に入って経験した、うつという一つの山場を乗り越える時に、目の前から全てが消えていく感覚を味わった。祖父母がこの世にさよならを告げた時とは、この世界がまた、全く違った色彩を帯びていた。

生まれる時が0で、大成された1に向かって突っ走るはずだったのに、生きているうちに、まさかまた0に戻る日がくるとは、ゆめゆめ思わなかった。

そう、つまり27歳で僕は

一度、「死んだ」んだ。

今まで積み上げてきたもの、プライド、年金、保険、住民税、知識、友達、キャリア、肩書き…なにもかもを失って、僕は僕とただただ、向き合い続ける時の空間に閉じ込められたような感覚を覚えた。

辛い時に、辛いと言えるならどれだけ簡単なことだろう。言いたいのに言えない。それなのに、周囲の小さな変化や僕を取り囲む環境の揺動にはアンテナが敏感に反応する。今まで見てきた全てのものが、まるで初めてまた世界と接するような真新しいものとして、新鮮さがない新しいものといった気持ち悪いものとして、僕に襲い掛かる。

あたりまえ、だと思っていたものたちは、全てが、稀有で唯一性があったんだ。

…でも、0になって、僕は改めて、言葉では、感謝とか、一期一会とか、言うだけじゃなくて、身をもって心をもって、大切なことをたくさん会得することができた。一人一人の人との深い関わり、新しい交友関係、ないがしろにしていた体のメンテナンス、積ん読になっていた本、映画、美しい風景、地元の良いところ、実家の匂い、美味しいご飯…ふっと、我にかえったときに、なんとなく思うけど、心から感じれなくなってしまったこと、全てがまた0から僕に積み重なっていく。体を洗って、歯を磨いて、髪を整えて、そのひとつひとつの行動に誠実に向き合えるようになっていく。

0になることは、積み上げたものが全てなくなってしまうことだけだと、思っていた。けれど、0になって、やり直すことができることも、たくさん有るんだなって、感じた。それは、不幸中の幸いなのかもしれないけれど。

生きているうちに、人は、1と0の間を行ったり来たり、するものなのかもしれない。人生は決して、全か無かの法則だけにとらわれてはいない。0から1に向かうときに、何回も0になって、何回もやり直しをする生き物なのかもしれない。何回「死んだ」としても、何回でも「生まれ変わり」をして、本当の自分に、なりたい自分に、なれるよう、設定されているのかもしれない。たとえそれが、どんなに迂回しようとも。

だから、生きているうちに、何回か0になる体験は、決して悪いことばかりではない、ってことになるんだろう。どうしようもなくたって、生きる価値がないんだって思い込んだって、願いが叶わなくたって、そう思えることが出来たんだから、証人はここにいる。歩みが止まりそうな人がいたのなら、むしろ止めることを進めてしまうかもしれない。生きている限り、ほかに何があろうとかすり傷、なんていうものも、その通りなんだろうと、ビールでも飲みながら笑い飛ばしましょう。

1と0の間には、たくさんの出来事や、感情や、出会いや、別れ、そんなものたちが数々にあって、時には1を超えてしまうような気持ちになる、幸せな瞬間も、もしかしたらたくさんあるのかもしれない。たった1と0の間にさえも、宇宙よりも密度の濃い未来が、過去が、そして、今が、詰まっているのかもしれない。

「生まれ変わった」僕に、怖いものがない、といったら嘘になる。けれど、0の地点からまた、1と0の間に居直った僕は、数直線上のたくさんの体験を喜んで享受しようと思うし、晴れのち曇り、時々雨、そんないろんな天気を楽しみたいとも思う。ひたすらに走ったあとにはバック走で立ち戻ったっていいとも思ってる。どれだけ逆方向に向かったって、

1と0の間には、マイナスは存在しないんだ。

後戻りをしたって、

同じ定規の上にいなくたって、

僕は僕です。

そして、同じように、あなたはあなた。

全てが、尊いのです。

あなたの、1と0の間にあるものは、何ですか。

多分、1と0の間には、たくさんのステップアップのための階段もあって、そこにはきっと、階段のたびに、おどりばももちろん、あるんだろうと思う。疲れたら、迷ったら、1と0の階段の間にある、おどりばで休むのもいいのかもしれない。いやいや、ステップアップの踏み台にだってなるんだわ、これが!っていうのも、最高な形だとも思う。それぞれの、

あ!の瞬間に

もし、この「おどりば」が、あれるのだとしたら、なれるのだとしたら、それは素晴らしいことだと思う。少なくとも、僕にとってのおどりばは、ここなんだと思う。

僕も、あなたも、

1と0の間、全ての瞬間に、

たくさんの数がきらめきますように。

10の部屋の住人、t tatsuです。

t tatsu

山梨在住。あっちいったりこっちいったり、浮き沈みの激しい人生。音楽、本、映画やことばを好みます。多趣味多忙が代名詞。 …「あたりまえ」のことは、そうでもない...

プロフィール

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  1. うめこ

    久しぶりです、という形容はもしかしたらすこし違ったのかなとこのお話を読んでふと思いました。はじめまして、てぃーたつさん。

    0に戻った頃、0ではない何かに歩みを進めるまでのあいだ。きっとたくさんの感情と対峙したのだと思います。計り知れないです。そして、もう一度生まれたてぃーたつさんと再会することができて、初めて会うことができて、とても嬉しく思います。

    私自身が経験してきたことと重ねるとすれば。本来ならそのまま進むはずの0から1を逆走したことは、その分多くの感情や、新しい出会いに繋がる出来事だったのだと思います。0に戻るのは、積み木を全部壊すみたいで悔しかった。だけど、ただ積み直すんじゃない。別のものを作るように、また新しい数字を重ねる。きっとそれが、新しい自分を作る。1が遠いように感じるけれど、ただ進む0から1よりももっと、きらきら輝けるはず。そう思えるように歩きたい。私はそう思います。

    すごく語ってしまいましたごめんなさい。
    最後に質問です。てぃーたつさんにとっての1とは、何でしょうか。人生における目標なのでしょうか。0が始まりなら、1は終わりなのでしょうか。ぜひ聞かせてください。

    • t tatsut tatsu

      うめこさん

      御返事ありがとうございます。

      お久しぶり、ではなく初めまして。
      大学での6年と、社会に出てから2年が経った、
      その間8年あるのに、突っ走ってきたせいか、
      このタイムパラドックスを味わったような期間のせいか、
      真っ白になってからここまでは、本当に0から歩みだしている感覚、とっても長いと思っています。

      新たな自分と、再会、してくれて
      本当にありがとう。いや意図してなかったわけだけど、
      0になった自分だからこそ、まさに別のものを作るように
      紡ぐように、活動を新たに、志を新たにして
      生まれ変われたから、うめこさんの思ったように
      ただ進む0から、より、見えるものが多い
      0からのスタートを切れてる気がします。
      えもいわれない感情、感情だけでは表せない
      時間だったけれど、おかげさまと思えるように
      また1へと、積み重ねていきたいと思います。
      大切なことば、感情を改めて、
      ありがとうございます。○

      人生における目標は、1です。
      やはり確固たる1に、なりたい。
      1は終わりではあるけど、悪い意味での
      終わりではなくて、完全体!っていうイメージ。
      だから正確に言えば、限りなく1に近い生き方を
      したい、ということだと思う。

      だけど、生き抜くことこそが、1の最終形態なのだとも
      最近では思う。自分は、他人と比べては自己否定を繰り返して、自分の価値は優位性で図ろうとしている癖もあったから、何か他人より秀でているものを作り、それを自分の納得できるところまで高めて生き抜くことが、1だと思っていた。

      けれど、0になって、しがらみから振りほどかれたときに、改めて、自分のやりたいことって何?
      自分自身と向き合うって何?って考えたときに
      自分らしく生きる、っていうありきたりなワードの
      真髄というか、深いところまでわかったような気がしたようなしないような。笑

      長くなってしまったけど、
      やりたいことをやる、なりたい自分になることが、

      他人を介さず、今生きている自分自身に素直に
      向き合って生き抜くことこそが

      限りなく1に近づける
      そして0から1の数直線上に、今はない数を、
      たくさんの数字を、経験を、輝かせられるのではないかなと思います。そして、1のゴールに向かって
      どれだけはっきりとしたメモリを、メモリーする←
      ことができるか、新しい自分になってからの
      楽しみでもあります。答えになってないかもだし、
      長すぎるけど、お返事になります。

      コメントありがとうございます(´∀`)

  2. ニルン

    t tatsuさん、私は人生を数字化すると0と1ではなく生まれた時0で始まりそれから成長とともにカウントしていき、今は356ぐらいと思っています。終点が∞というわけではないですが、3桁のどれかの数字になりそうです。
    なので0から1と考えるのに少し違和感も感じました。
    t tatsuさんと条件が違うかもしれませんが、私は体を壊して転職を2回経験してます、その時は310ぐらいが止まり0まで下がったとは思いませんでした。
    失敗しても得るものがあり、薄いかもしれませんが、少しづつ人生を重ねることで経験をつみ次に生きる時もあると思っています。

    t tatsuさんと同じことを言ってるかも知れませんし、同じ価値観かもしれませんが、数字や戻り方が少し違うと思いました。個人的なことですが。

    ただ、数字を人生に例えるのは同じ考えに近くて面白かったです。また投稿楽しみにしてます。

    • t tatsut tatsu

      ニルンさん

      コメント、本当にありがとうございます○!

      数字で振り返ってみる、
      数字で感じてみる、という感覚を
      感じている人がいて、とっても嬉しい気持ちがします。
      ニルンさんの感じ方もまた、
      素敵だと思います。
      自分も、そう感じていたのが今まででした。

      でも、この機をもって感じたのは、
      も今までの経験や感じたことを
      0になって、さらにまた新たな視点で
      一度通った道を歩いていく感覚、というものを
      味わう、ということです。なので、
      0に戻ることで、今までとは違う視点で
      物事を追体験していきたい、というか
      全く新しい物事を味わいたい
      そこから得られるものを、新しい自分として
      受け入れていきたい。
      そんなイメージで記事を書きました。(^O^)

      根本には、共通点があると感じています!
      ので、勝手に嬉しく思ってしまっています。笑

      積み上がった、その全てが、その重なりがまた
      人としての厚みを生んでいく、という感じも
      大切なことだととても思っています。○
      そこからさらに、新たな視点で、新たな自分と
      出会いたいなと、これからの人生で思っています。
      コメント改めて、ありがとうございます。○