何者でもない自分について

住人

<< すごい人たち呼んだんで… >>

この言葉に、僕は違和感を覚えた。
とあるイベントでの一言である。
僕は「すごい人」だと自分を思っていないし、「すごい」を目指していないのだ。

イベント以降、僕は色々と考えるようになった。
「すごい」って、どういうことなんだろう。
「すごい人」とは「何者か」であることなのだろうか。
「何者」って、そもそも、ナニモノなんだ?

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先日、とある高校生団体が主催するイベントに参加した。高校生たちが一つのテーマについて大人を交え語らい、大人と繋がるきっかけとなるような場をつくる、そんな趣旨のイベントである。大人側はゲストとして招かれ、一人一人自己紹介をみんなの前でするタイミングがあった。冒頭の言葉は、大人側の自己紹介の導入として、主催者の口から出たものだ。

自分以外の大人の話を聞くと、お店を複数経営していたり、事業を立ち上げたり。そんな「すごい」人たちが集まっていた。

その反面、僕はというと、「すごくない」。FBページ運営、イベント企画主催などをしているが、人を巻き込む規模や、社会の役にたっているか 等の観点で見たときに、他の大人と比べたら「すごくない」。会社員として給料をもらい生活しているが、自分の名前が世に出るような職務内容ではない。僕の趣味は、文章を読んだり、書くこと。年間60本程度ブログ記事を書いた。地味さが「すごい」。

誤解のないように書いておくと、先日参加したイベントに対してマイナスの感情は一切無い。楽しかった。参加できて良かった。イベントに呼んでもらえて、とても嬉しかった。その場にいた高校生たち全員を本当にすごいと思っている。みんなが自分の意見を言えて、色んな人と関わりにいっていた。どの大人よりも輝いていて、すごかった。

話を当初の流れ戻す。「すごい」って、どういうことなんだろう。あの時に感じた違和感の正体が気になり、とある深夜に僕は、ノートを広げ、ペンを走らせ、殴り書きしてみた。考えてはみたものの、うまく言葉にできなかった。

とりあえずココに書いてみると、僕はいろんな時々にいろんな人のことを「すごい」って感じている。自分には無いものを持っていたり、自分には出来ないことができたり、そういうことに対しての憧れ?の感情が自分の心から湧くと「すごい」って感じるのかなぁ。たとえば。僕は一人暮らしをしているけど、料理が苦手で包丁をにぎると野菜ではなく指を切ってしまう。だから、毎日自炊している人のことを、すごいって思う。僕はたまにジムへ行くけど、毎日は行けていないので、毎日自宅で筋トレしている人のことを、すごいって思う。インスタ投稿のセンスが良い人を見かけると、すごいって思う。僕はきっと、他の人から比べたら、「すごい」のハードルが低い。

自分がすごいって思ったら、それは、すごいってことなんだ。きっと。そして、すごくない人は、たぶん、いない。誰しもが「すごいところ」を持っているのだ。だから、この前のイベントで違和感を感じたのだろう。

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ところで、この記事。タイトルは「何者でもない自分について」としている。まだタイトルと結びつくようなことを全然書いていない。これはやばい。めっちゃ強引に話をタイトルの方向に持っていくことにする。

「何者かになりたい」という言葉を近年よく聞く。その言葉の中にある「何者」とは、何かを成し遂げたすごい存在であり、ネットや他の媒体で自分の名前や顔を出しているような、そんな人を指しているように思う。たとえば、県知事のAさんとか、youtuberのHさんは、「何者か」である。そして僕はこれだけではなく、キャラクターを定義されることも、「何者かである」状態だと思っている。たとえば、「勉強ができる△△さん」、「いつも面白い□□君」とか。キャラクターを定義されることは、イメージを定義されることとも言える。

「何者か」になりたい人の気持ちは、わかる。昔は僕にもそんな気持ちがあった。僕は社会人になってから数年は、学生時代の友人を抜けば、社外の友達が全くいなかった。毎日自室で鬱々と過ごしていた。僕が住んでいる長野市には、いくつかコミュニティーがあった。オシャレな店みたいなとこで、オシャレな人たち、意識高めの人たちが、なんだか楽しんでいるようだった。社外に全く友達がいなかった僕には敷居が高く感じて、足を踏み入れることができなかった。居場所が既にある人たちが、より楽しめるような居場所をつくっているように感じた。そういう場所にいる人は、SNSで名前や顔を出してキラキラしていそうなかんじ、いわゆる「何者か」である人たちだった。「何者か」でないと楽しく生きていけない気がして、本当に苦しかった。

昔は苦しかったけど、「すごくない」「何者でもない」自分を許容してくれる人たちに出会い、「何者かになりたい欲」は無くなった。僕は「何者かである」ことを求められるのと、そういうのが求められる場所を好まなくなった。

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突然だが、僕はいま酒を飲んでいる。酔いにまかせて、自分勝手な考えを、叫ぶようにココに書いてみる。

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「ホワァァァ〜〜〜〜!!!!」
「マジで何事からも自由でいたいんじゃぁぁ〜〜〜〜!!!!」

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とある会社の一員としてやっているけど、その会社や上司の言うことを100%鵜呑みにはしたくないし「この考え方は自分と違うな?」ってことも、しょっちゅうある。ずーっとブログを更新してたら、「ブロガーじゃん」って、とある友達は言ってきたし、イベントの企画主催をやっていたら「イベンターじゃん」って言われた。いやいやいやいや、その道を極めたいと思ってないんだわ。僕は、自分が楽しくて、その時に興味があることをやっているだけだよ。10代の頃は「いじられキャラ」みたいなので定義されることも多々あって、そのように振舞うことで得られる交友関係に甘んじたこともあったけど、あれマジで窮屈だから。人を定義するってことは、枠に収めているってことで、その人を変化させないってことだから、あまり良くはないと思う!!

この考え方をしている人は、周りにあまりいないけど、僕は何者にもなりたくないんだ。「ワタナベユウスケ」っていう名前が付いているだけの人間でいいや。

別にすごくなくていい。僕は何者でもないから、自分が大切にしたい人の前では、その人に合う形をしていたい。最近は交友関係も増えて、何かしら活動をしている人とも交友関係はあるけど、そういう人を過度にヨイショしたくない。「○○をやっているXさん」じゃなくて、僕はXさんに興味がある。「Xさん」を先に持ってくれば、○○だけじゃなく△△をやってもいいんだ。「何者か」で定義されていない「何者でもない普通の人間」として、目の前の人を扱いたい。人を上に見ることも下に見ることもやりたくない。平等に目の前の人と向き合って、許容したい。

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とてつもなく長い文章になってしまった。文章を読み返したら、めちゃくちゃだし、まとまっていない。「すごい」と「何者」に向き合って考えてみたら、「みんなすごい」ということ、「何者でもない自分」でありたくて、「何者でもない人」として誰とでも平等に接したい という結論に至った。

僕はおどりばで、考えるのが難しいこと、向き合うのを避けてきたことに、真摯に向き合いたい。ひとりだと難しいけど、ここでなら出来る気がする。考えすぎて、不安を感じてしまったり、たまにやばいことも言っちゃうと思うけど。良かったら、この部屋、24号室を、また覗きに来て欲しい。僕はここにいます。

じゃあ、またね。

【 今日の一曲 】
THEYELLOWMONKEY / JAM

ワタナベ

THEYELLOWMONKEYが好きです。

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  1. soshisoshi

    ワタナベくんは、一緒にいるといつも思うのだけど、僕を「そのまんまの人」として仲良くしてくれていると感じます。僕は結構いろんなことに手を出してるけど(ワタナベくんと似てるところだと思ってる)、そのいろんなことに対してどれも興味を持ってくれる。たいていの周りの人は、やってることの内容が興味あるかどうかでリアクションをくれたりくれなかったりするのだけど、ワタナベくんだけは何をしてもくれる。そう感じます。
    すごい人という視点で人をカテゴライズすると、そのすごいことをやらなくなったりすごくなくなっちゃったら、ただの人になってしまう。でも、ワタナベくんみたいにその人に興味があってその人と接すれば、すごかろうがすごくなかろうが、その人の価値を上下させることはない。
    すごいというカテゴライズが、あらためて僕も好きではないです。すごい人と言われると、周りの人との距離がどんどん離れてしまう気になります。すごいと言われる人がいると、自分がすごくないから価値がないんだという気になってしまいます。
    すごい人ではなく、自分がその人のことをすごいと思った、ですよね。自分が感じた価値観を、まるで世間全般が形容したかのようにしてしまうのが、おかしい。
    ワタナベくんは、こんなこと言うと意味不明かもしれないけど、小学生の友達のような人です。いろんな雑念が入る前の自分で、接することができます。僕はそんなワタナベくんをすごいと思っています。ありがとう。

    ワタナベくんの文章を読んで自分のなかで感想や思いがめちゃくちゃ出てきてしまいました。メモ帳に保存してしまっておくべきなのは分かっていますが、ワタナベくんにもちょこっと読んでもらいたかったのでここに書かせてください。ごめんなさい。
    (真似ではないですが、ほんとに返事はいらないです笑 なんなら読んだら消していただいてもいいくらいです。。)
    ありがとう。

  2. ワタナベ

    コメントありがとう。
    全共感すぎて、自分もそう思う!と何十回も思った。コメントは消さないで下さい、、笑

  3. オート

    はじめまして、オートと言います。
    記事を読んで、こんなこと考えて書き出してくれる人がいるのをうれしく感じています。

    『何者』という就活の映画があります。
    就職して何者かにならなくちゃと焦りながら、本当はそんな何者かになりたくはないと苦しむ学生を見て、地獄だなぁと思いました。

    何者かって無理矢理規定したり・されたりに、疲れますね。
    単純なところでいくと年齢、性別、服装、星座、血液型、学歴、職業、あたりでしょうか。
    話題として扱いやすいからだろうけど、便利さは安易さでもある。
    僕は血液型性格分類の話されると顔をしかめます(笑)
    何者でもない自分に純粋に興味を持たれて話されたらうれしいだろうなぁ!と思う半面、日常ではそんな場面がほとんどないので悲しいです。
    逆に相手に対してすでに興味が失せてたら、あとから有名大学出身とかわかっても「で?」で終わります。興味ないから。その情報で相手本体を見直すこともないから…

    自分のもやもやを投影して勝手にワタナベさんの叫びに乗じてしまいました(笑)
    いきなり書き込んですみません…!
    また記事楽しみにしてます。

    • ワタナベ

      オートさん、初めまして。
      コメント嬉しいです!ありがとうございます!オートさんのコメント、ひたすら共感できます。何者、僕も観ましたよ‼︎ 何者かになるのも、何者かで定義されるのも、疲れることだよなぁと日々思っています。 オートさんのように自分の考えに共感してくれる人に出会えて嬉しいです。

      何者かにならなければ興味が持たれ辛いというジレンマはあるかもしれませんね。日々色んなとこへ顔だしたり、自分の目の前にいる人を義務ではなく自然に許容やリスペクトできれば、自分を許容してくれる人も出てくるのかなと実体験で感じています。

      まとまりのない返信で申し訳ないのですが、記事を読んでもらえて嬉しいという気持ちは何回でも伝えさせてください。ありがとうございます!