頑張ったことなんて一度もなかった

住人

自分のことを話すようになったのは、いつからだっただろう。

生まれてすぐに小腸がねじれて使い物にならなくなっていた。

17センチを残して切って、短腸症候群になった。

お腹には切腹のような跡が今でも残っている。

以来、心臓に埋め込まれた管から毎晩、10時間をかけて栄養の点滴をしている。点滴がなければ生きていかれず、点滴をしてやっと日常生活を送る体力が維持できる。

身長も小さいし、体重もあまりない。

体の調子がいいときは良いけど、調子が悪くなると熱が15分で平熱から40度を超えて、即入院。

日常生活の場が病院に移る。

検査や治療で何回も何回も腕や足に注射した結果、血管が針より細く、曲がりくねって、更に針が入りにくくなった。

手術した回数はもう覚えていない。

この世のものとは思えないぐらいマズイ薬を日に何度も、何か月も飲んだ。

息をしているのもやっとで常に体が疲れているのに、大部屋のため寝つけず常に寝不足。

厳しい食事療法で、体重が3分の2になったときは、背中を丸めると骨と皮がきしみ、ピキっと音をたてる。足の筋肉が見る見るうちに減り、ベッドから起き上がるだけで足がだるくなる。

合併症におびえながら、生活を送る。

退院したら学校に行かなければならないから、点滴で痛む腕と薬の副作用で吐き気を感じながら、ガーグルベースをわきに置きながら、日本史の年号を暗記していた。

そんな様子を、周りの大人は「頑張っていて偉いね」と褒めた。

そのたびに自分は「ありがとうございます」と言う。

そのたびに中の自分は「そうせざるを得ないだけだよ」と毒づいていた。

治療も勉強も、そうなったから絶えざるを得ない。それだけ。

自分で頑張ったことなんて一度もなかった。

自分で頑張ってみたい。

病気や障がいを抜きにして、一人の人間として勝負したい。

でも、勉強をしても大事な時に体調を崩す。テストで結果が残せない。

またか・・・

段々と惰性になっていった。

体調が良いときは学校に通う。

中学ではクラスメイトから無視され、ばい菌扱いされ、モノを壊され、キモイと言われ、話すと笑われ、2人一組になったとき相手に「はずれ」と言われようとも、通った。

卒業式の日まで肩をぶつけられ、罵声を浴びせられ。

対策をしなかった中学校には怒りも呆れもわかない。そもそもいじめ対策を当時の中学校には期待すらしていないのだから。

体調がいいときは頑張れ。母はそう言った。

母の気持ちもよくわかる。僕に頑張ることを教えようと思ったんだ。

勉強から逃げないことを教えようと思ったんだ。

体が弱いから、頭で勝負できるように、と。

今だとそれはおかしいと言えるけど、当時はそんなこと言ってられなかった。

それでも勉強を続けたからか、進学校と呼ばれる地元の普通高校に進学した。

高校でもいじめのようなことはあったが、中学に比べるとましだった。

ただ、高校の時は体調の悪さが際立った。

例によって、部活の大事な時、テストの数日前に体調を崩すことが多かった。

3年次は卒業が危ぶまれ、高卒認定を受験した。

無事に卒業はできたが、高校でも「頑張れなかった」。

大学は少し違った。

やりたいことができる環境があった。

2つのサークルの代表、1つのサークルの副代表を務めた。

そこでも体調を崩し、1年休学をしたが、自分がやりたいことを最後までやらせてくれた。

そこでやっと「人並み」に悩むことができた。

皆にやる気をもってもらうにはどうした良いか、より成果を出すにはどうしたらよいか。

こういったことを考えることができたのは、勉強を諦めなかったからだと思った。

ああ、そっか。

僕は頑張っていたんだ。

自分が頑張れる環境をつくるために、「お前がこうなっても頑張れるような環境を、自分で作れるように」と体が叱咤してたんだ。

それが「自分の体と付き合って生きていくことなんだ」と。

本当にやりたいことを諦めないために。

今、僕はやりたいことをやるために頑張っている。

やりたいことをやるために、やりたいことができるために。

うん まだまだ人生捨てたもんじゃない。

頑張り甲斐 あるじゃないか。

おーい 昔の自分 頑張って生きててくれてありがとうよ。

sarami

生き意地の汚い人生を 送っています。

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