自分の大事なものはなんですか?

住人

先月、祖父が亡くなりました。

少しだけ、祖父への想いを書かせていただければと思います。

祖父は島に住んでいたので、数年に1回の頻度でしか会っておらず、小さい頃はどことなく距離がある人だと感じていました。
私が大人になると、段々周りの事情も環境も見えるようになって、父から祖父の話を聞く機会が増えました。

7人兄弟の末っ子で甘やかされてきたこと
色んな場所を転々としていたこと
写真が好きだったこと
体が弱くて仕事を続けられんかったこと
花を育てるのが上手かったこと
真面目で、頑固で、我慢強くて、凝り性なこと
おしゃべりなこと

自分の祖父だと括っていましたが、いろんな顔が見えてきて、面白い人だなと思うようになりました。
写真でみた若かりし頃の祖父は結構かっこよくて、生前に昔の話をもっと聞いておけばよかったと後悔しています。

その前の年には祖母が亡くなって、気落ちしていたのですが、最近やっと元気になってきて、介護施設の植木の手入れを任されるのを楽しんでいると聞いていました。
もっと楽しんで欲しかったな、もっと会いにくればよかったなと思っています。

とはいえ、88歳。
長い人生を生きました。

幸いなことに、昨年に祖母が亡くなるまで、私は親族の死に立ち会うことはありませんでした。
30近くまで、そのようなことがなかったのは本当に有難いことです。

祖父が死んでから、島の家には誰も住まなくなってしまうので、亡くなったばかりですが、片づけをしました。
祖母と祖父二人分の荷物。
特に祖母が捨てられない人だったので、荷物が多く、ゴミ袋を何個も作って処分しました。
寂しい気持ちもありますが、同じくらい、家を綺麗にしてお礼を言いたい気持ちでした。
掃除をしているときは、生きている間にしてあげたかったなと思い、やはり寂しくなりました。
きっと、片付けると嫌がられたとは思うのですけど。

片付けていて思ったのは、人生において大事なものは少ないということ。
貯めこんでいた服も、お土産の置物も、そこには残された家族の思い入れはない。
写真や手帳や、普段よく使っていた食器や服に、その人を感じさせてくれるものがある。
想いが込められているものを整理することが、死んだ人を思い出すきっかけになると、そう思いました。
なんとなく買ったものって、その人を形成するものに組み込まれないんだと。
ぼんやりと思っただけなのですが、私も生きているうちに本当に自分が好きなもの、気に入ったものを大事にしていきたい、そして人に伝えていきたいと思いました。

祖父が大事にしていたカメラを私がもらいました。
育てていた花はご近所さんの大事にしてくれる人達にあげました。
普段使っていた食器や服はまだとってあります。

大事にしていたものだと、日常に組み込まれたものだと知っているからです。

そうすることで、少しでも逝ってしまったひとを思い出せるきっかけと、忘れないきっかけできました。

私が死んだときに、私が大事にしていたものとして呼び水になってくれるものはなんでしょう。
少し考えてみたいと思います。

tsumiki

猫と旅行と食べることがすきな会社員。

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