たいさちゃん。

住人

「たいさちゃん」と呼ばれていました。高校生のとき。

え、「たいさ」ってなに?って思いました?漢字を当てはめると「大佐」。そうです、そうそう、軍隊の階級の。私の名前とはかすりもしていません。でも、高校生の頃は、なかなかに便利だったんですよ。インパクトがあるからすぐに覚えてもらえて。

「おい、ムスカ!おーい、ムスカ大佐、大佐、たいさ!」

「たいさちゃん」は高校でこそ愛称でしたが、もともとは、中学時代のあだ名「たいさ」から来ています。

私に「たいさ」というあだ名を付けたのは、同じクラスの男の子でした。

私は当時、死ぬほど気が強くて、プライドの塊でした。成績はいつも上の方にいたし、課題は必ず期限内に提出していたし、スカートを短くするようなことも絶対になくて、いわば、絵にかいたような「生真面目な」人間でした。

そんな、鬼のように性格のきつい私をみて、「大佐っぽい」と皮肉を込めたあだ名を付けられたことを、当時の私も、なんとなく理解はしていました。

でも、「たいさ」ができあがったのには、それなりに理由もありました。私は、どうしても、当時「たいさ」でいるしかなかった。思考をガチガチにしなければ、いられませんでした。

9歳の頃、私の母は蒸発しました。父と母が、大ゲンカをした翌日のことでした。

ケンカのきっかけをつくったのは、まぎれもなく、私でした。私は兄とは違って、母にあまり愛されませんでした。そんな、兄と私の扱いの差に腹を立てた父が、母につっかかったのです。

私と母の些細なケンカが、父と母のケンカになり、そのケンカの流れで、母が浮気を繰り返していることまで発覚し、ケンカはどんどんエスカレートしました。

その翌日、母はいなくなりました。家のお金は、ほとんど持っていかれました。

父と、11歳の兄と、9歳の私と、母が駄々をこねて飼った子犬。母にとって、私たちはその程度の存在だったということを、子どもながらに感じ取り、唖然としました。

母は、気まぐれで、男性が大好きで、自由奔放な少女のような人でした。家を出たときは、すでに50歳という年齢。今なら、その「凄さ」が、よくわかります。

ここまでお話をすれば、なんとなく察しはつくでしょうが、私は母とは真逆の道を生きたいと願ったのです。母のようにはなるまい、と自分に鞭を打ってきたのです。中学生の頃は、それが一番顕著な時期でした。

でも、"変える"ことと"装う"ことは紙一重です。

今ある自分に、年々疑問を抱いています。私は、「母にならないように」行動をしているだけであって、心からその選択をしているのではない。それは、心の冷たい女性が、他者の前ではにこやかに微笑んでいるのと同じことです。装いが完璧であれば、周囲は本心に気が付かないでしょう。でも、果たしてそれは、彼女を「優しい人」と呼べるのでしょうか?

鏡を見るたび、年々母に似てきている気がします。「母のようにはならない」と努力していないと、心まで母になってしまう気がします。でも、私がやっているこれは、「変えてきた」のではなく、ただの「装い」かもしれない。本当の自分は、どれだけ変えようとしても母なのではないか。そんな恐れから、私はそれをいつか誰かに見透かされはしないかと、怯え、警戒し、逃亡しているのです。

いったい、本当の自分とは、どこからどこまでを指すのでしょうか。そもそも、「本当の自分」なんて、あるのでしょうか。「縛り」を取っ払った自分が、本当の自分なのでしょうか。縛りに縛られる自分も、自分なのでしょうか。私は、私がわからなくて、ときどきすべてが壊れてしまいそうに感じます。

私の中には、たくさんの「嫌な感情」があります。それはヘドロのように黒く、ドロドロとまとわりついてくるものです。私はその不快なものを取り払うために文章を書いてきました。言葉を紡ぐと、自分の中の感情が外に出ていく感じがして、それがたまらなく気持ちよいのです。

そして今回、おどりばに入居するにあたり、顔を隠すかどうか随分と悩みました。今までは、内面を書く、いわゆる「切り売り」と言われるものをするとき、ずっと顔を隠してきました。自分の中の醜いものを、「私」として公開することに抵抗があったのです。でも、今回は。いつまでも自分を隠しているのをやめて、醜い自分も、見てもらおうと思いました。友人に、知人に、何より、私自身に。

お読みいただき、ありがとうございました。不慣れで、もやもやとした形のないものになってしまいましたが、少しでもあなたに何かを感じていただけたのなら幸いです。

ではでは、また。

しーちゃん

梅雨生まれの晴れ女。好きなものはぶたさんと抹茶。天敵は足の多い虫。趣味は映画鑑賞、演劇、細かい作業。

プロフィール

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  1. ゆうり

    はじめまして。コメント失礼致します。
    自分の中の醜い感情って、吐き出すのも、そもそも認めるのも勇気が要ることですよね。
    装い、武装がしんどくなることも多々ある。
    「優しいよね」と言われても「え?わたしの何を知って《優しい》って言えるん?」と思ってしまったり。
    そしてそう思ってしまう自分に嫌悪感を抱いたり。
    悲しかった過去を、乗り越えようとする為に、「たいさ」の自分を作り上げられたのかな、と思いました。きっと、わたしが想像する以上に、色々な思いを抱えて来られたんだと感じています。
    しーちゃんさんの文章も可愛らしい笑顔も好き、と思いました。安直な表現で申し訳ありません。
    またの更新を、楽しみにしています。

  2. しーちゃんしーちゃん

    ゆうりさん、はじめまして。お読みいただき、ありがとうございました。お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。
    「優しい」と言われても認められず、素直に受け取れない自分にも嫌悪感を抱いてしまうそのお気持ち、共感できるところがありました。

    >悲しかった過去を、乗り越えようとする為に、「たいさ」の自分を作り上げられたのかな、と思いました。きっと、わたしが想像する以上に、色々な思いを抱えて来られたんだと感じています。
    優しいお言葉、ありがとうございます。とはいえ、私ももう、子どもではありません。いつまでも感傷的になっていないで、誰かのせいにしていないで、そろそろ自分の責任で人生を歩むべきだと自覚はしています。
    今回は、その第一歩として、自分の醜さを自分自身につきつけることで、少しずつ自分を変えていけたらと思っております。

    >しーちゃんさんの文章も可愛らしい笑顔も好き、と思いました。
    素直にめちゃくちゃ嬉しいです。ありがとうございます!

    記事の投稿前は、緊張で気持ち悪くなるほど不安でした。でも、ゆうりさんにあたたかいコメントをいただいて、とても励みになりました。重ね重ねになりますが、本当に本当にありがとうございました。
    これからも、私の記事含め、おどりばをご愛読いただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

  3. しえさんしえさん

    はじめまして、12号室のしえさんと申します。しーちゃんさんの文章を拝読して方向は違えど似ている…と感じたことがありました。
    私は母を意識するあまり、母の思考と自分の思考が混ざり、自分の考えなのか、それとも母の考えなのか、自分が誰なのかわからなくなりました。それらはカウンセリングなどを通して、自分の中の母を切り離して行くことでゆっくりとですが、解消されていきました。

    私としーちゃんさんは、当たり前ですが違う人間です。そして、しーちゃんさんとしーちゃんさんのお母さんも別の人間です。血が繋がってても、どんなに年々似てきても、しーちゃんさんとは別の人間なんです。恐れないでと言ってもすごく怖いと思います。でも、しーちゃんさんはしーちゃんさんだよと言いたい。お会いしたことない私がこんなこと言うのも変な話。でも、「私は、私がわからなくて、ときどきすべてが壊れてしまいそうに感じます。」と綴ったしーちゃんさんの手を握ってそう伝えたいと感じました。