思いやりが、重いヤリ?
空回り。
なんてことでしょう。
あれ、おかしいな。
ん?良いことしたんじゃなかったっけ?
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人のため
相手のため
本当にそうなっているのか?
ありがた迷惑
あら、恐ろしい。
あまりにも恐ろしいので、癒し画像を貼っておく。
これは、長野のとある山道で撮った写真。心地いい。
人づきあいもそんな関係になりたい。
水もあげ過ぎたら花は枯る。
雨も降り続かないように、時には自ら太陽に向かって伸びてもらわないと。
良いことが、時に相手のためにならないことがあるらしい。
事実として、相手は救われたとしても、心情として、傷つけることがあるらしい。自分がやるべきことを、人がやってしまうのもよくないそうだ。
時に思いやりが、空回る原因なのだそうだ。
おしえて あなた
たとえこの身を粉にしても
あなたに あなたに
教えてもらえるのなら、簡単なのに。
思い遣り
思いやりは、「思い遣り」という漢字を使うそうだ。
正直、あまり見たことがなかった。思い気「遣」うことなんですね。
思いやり、思いあり、重いアリ、重い蟻・・・?小さいハズなのに。違うか。
きっと、重いヤリ、重い槍(やり)になり得る。あ、だから恐ろしいのか。
いやー、つくづく重くならないようにしたいですね。
純粋な思いが武器になるなんて。
思っても見ないことでしょう。
そして何よりも、自分自身を思い遣った上で行動に移さないと・・・!
「喜んでもらうこと」それを見返りにしていること、にも気づかなくなる。
どうしても、「こんだけ自分は思っているのに!」「どうして?」
自分がやった分だけ、(辛い分だけ)(頑張った分だけ)、見返りを求める。
気づかないうちに。。。「喜んでもらいない」事実を目の前に、彷徨う。
そしてお互いがお互いを思っているハズなのに、なぜか、空回る。
その人にとって、本当に必要なことは、
「やってあげるいこと」じゃないこともあるのだと。
時には、「その人自身が自ら出来るようにすること」。
《難しく突っ込んでいうと、その人の機会損失を生まないこと。》
これもまた、大切なご縁の中から学ばせていただきました。
奇しくも、また「思いやり」について書いていました。
月が変わると、「思い遣り」だと知りました。
少し、レベルアップした気分です。まだまだ成長期のようです。
結果を重んじる人の過程は、面白い。
とあるギャラリーで、そんな趣旨の言葉を見つけました。過程が大事とか言ってる人の過程は面白くないんだと。なんでもそうなのかもしれないですね。過程が面白い人になりたいです。
前回の記事[「手を握る覚悟は、あるか。」]で、友人からの「思いやり」あふれた言葉について触れたが、いざ、それを自分が実践しようとすると、大きな壁にぶつかったのです。
最も、思いやりは受け取り手次第で感じ方も千差万別であることはもとより、、、そして同時に、自分自身にももう一度、問い質す(といただす)必要があることを。
【こもれび -komorebi-】
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