ワタシを構成するモノ
住人
いつもお世話になっているところへ定期演奏会のポスター貼りをお願いした。
その丁度一週間後にふらり、とそこへ立ち寄った時の話である。
「これ、なんの絵ですか?」
ホワイトボードにワッカとマルが描かれている。
「ああ、これ。土星だよ、土星」
「丁度ポスターから惑星の話になってね、話していたんだ」
そう、今年の定期演奏会は「惑星」をテーマにした組曲を演奏するのだ。どうやら、この前ポスターをきっかけにそんな話になって組曲全曲を流してくれていたらしい。ありがたい。
私がそんなことを頭の中でぐるぐる考えていると、
「ところでさ、〇〇さん、土星ってどの部分を言うと思う?輪っかのところ?丸いところ?」
「んー、丸いところも、ワッカも全て含めて、土星、ですよね?」
「そうだよね、全て含めて『土星』だよね」
すると、続けて。
「人も一緒だよね」
ん、人も?
「うん、ほら自分で怒ったり泣いたりってあるじゃない?」
「周りから見ると、怒っている〇〇さんだし、泣いている〇〇さんだし、笑っている〇〇さんだし。」
「全てその人を構成するものだよね。全部含めて〇〇さんってことだよね」
その言葉を聞いてはっ、と思ったのだった。
自分はそのときの「感情」で動いてしまうことが多々ある。
だけど、周りからはそれがわたしの構成要素として見られている。
せっかくならば、「我」を通すよりもおかげおかげのげで生きていろんな人を笑顔にしたいな、と思った瞬間だった。
「いやー、惑星からこんな深い話になるとはね」
「私も思ってなかったです」
気づくことできっと変わることができる、そんなことを感じた1時間だった。
さて、練習に戻ろうか。
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