10個の質問と、その答え。(前編)

住人

Q1.あなたの名前は何ですか?

A. t tatsuです。

本名は伏せていますが、由来は自分でもはっきりわかりません。確か大学の時に、サークルにて苗字経由でついたあだ名です。それ以降、僕がバンドに熱を注いでいた時に、サインなんかを練習したこともあって、それで使いやすかったり、先輩後輩に覚えてもらいやすかったりするから、色々な場でこれを使っています。おどりばでも、例外なく。

名前は、その人に与えられた大切な宝物です。そして同時に、他人との違いを定義するシグナルみたいなものでもあり、また、その人の人生を定義し得るものでもあります。しかもなんと、生まれた時にはもうすでに決まってしまっている、なんて理不尽なものでしょう。それに縛られて生きていくこともある。なんて厄介で、なんて半永久的なものなのでしょう。面白いですね。今では改名だってよくある話で、それほど自分を定義する、っていう行為は、意識無意識関係なく、行なっていることなのかなと思います。最初は親のエゴのようなもので決められるもののように感じるけど、それを受け入れて、そこからどのように開かせていくか、それが人生だなあなんて風に考えたら、味気ない毎日も少しだけ、楽しくなってきませんか。

そんな、私の名前は、t tatsuです。

Q2. 何故生きるのですか?

A. 幸せになるためです。

宇宙の始まりについて考えてみたときに、様々な数列や仮定によって、色々な人なそれぞれの観点から研究して、探求してきても、全く答えがわからないことなんて、宇宙のことと、人の心くらいしかもうない時代になってしまいましたね。そのもう一つが、宇宙に付随して、人間が生まれた理由なんだと思います。人間なんてそもそも存在しなかった時代があるというけれど、生まれて有る以上は、もうその先のことなんて学ぶことでしか体験できないし、それが本当かどうかなんてもはや、想像すら許されないようなもの。中学で必死で走っていたときに、なんで僕はこんなに苦しい思いをしながら走るのだろう。高校に入って、何故勉強するんだろう。大学卒のときに、何故いい会社に入らなければいけないのだろう、しまいには、何故生きているのだろう。なんて何回考えたことでしょう。今だって、明確な答えが見つかっているわけじゃない。

だけど、一つだけ言えるのは、

僕たちは幸せになるために生きている、ということを、改めて。誰も、不幸せに生きたいだなんて思わない。つまり、不幸な死に方をしたくて生きている人なんて、基本はいないと思う。それが何かしらの形でできなくて、曲がってしまったり、不可抗力のために続けることができなくなってしまうわけであって、生まれた時から、誰しも気持ちいい、心地の良い生をなるべく長い時間帯、続けられるように、生きるんだと、僕は思う。そして、それこそが生きる理由なんだと思います。

Q3. 好きな曲は何ですか?

A.心に残る曲なら、世界どこの何の音楽でも好きです。悲しくても明るくても、人が紡いだものであっても、自然のものであっても。音、が僕らにもたらす影響は計り知れない。耳が聞こえなかったとしても、その先天的な奥底に、リズムはきっと存在しているって確信している。音、によってこんなに気持ちが左右されたりするのだから。

Q4. 仕事は好きですか?

A.好きです。でも、嫌いでもあります。

より良い世界を求めて行う究極のエゴの塊が、それぞれの人の生活を変えたり、より良いものに変えていったりする力がある、そんな魅力的なことはないと思って、そこで自分が動くことで生まれる承認欲求や価値付けなんかも興味があります。そこはとても好きです。しかし、同じ目的を共にした集まりにもかかわらず、そこに人間関係とか自己中心的な考え方のみによるゴミのような衝突があったり諍いがあることは、とても嫌いな一面でもあります。

仕事に付随して、お金が伴ってくると、考え方や価値観はまた変わってくるのだと思います。生活がかかっているからやらなければならない、ということは大にしてあって、自分もそう考えることも多々、あります。余分な考え方がたくさん出てきて、恥ずかしいことに、サービス業なのにもかかわらず、サービスレベルが下がってしまうことも、よくあります。反省点です。それは、例えば残業をしなければいけない状態の場合に、これだけお金をもらっているから残業して当たり前だ、とか、残業代がつくから頑張ろう、頑張らない、とか、そんなのも当てはまります。これらは、それに費やすだけの情熱がないからまず、大人になってからそれぞれが得意になる言い訳、を先につける癖ができてしまっているから生まれることだと思います。海外の動画でやっていました。

「ときには夢のために、睡眠も好きなことも、何もかも我慢しなければいけないことがあるかもしれない。しかし、本当に熱中できることが見つかったら、それらを忘れてしまうような情熱が注げるんだ」と。確かに、そうかもしれません。これをいうと、某まるまる企業のように、永遠に残業したって熱中してたら忘れるのか、などと愚問が飛び交うかもしれませんが、そこは論点ではないので無視します。笑

仕事とプライベートは、分かれているようで分かれていないのだと、最近は思います。仕事をプライベートのように、毎日いろんな観点から考えたり、解決策を見つけてみたりする、をできる人たちは、ほんとにすごいなと思いますし、そうなりたいとも思います。仕事が好きになる前に、仕事を勝手に好きになれる状態があるのは、すごく幸せな状態だと思います。そんな状態は、目指すものでもないかもしれないけど、仕事がそうであれるように、僕は生きていきたい。そうなれば、人生はもっともっと花開いていくと信じてる、そんな側面にも、仕事の魅力を感じます。やらなければいけないのではなくて、やってみたい!と思うその心、昔はたくさん持っていたようなきがする。忘れたくないです。

でも、そこに付随するのは、人。いくらデジタル化した世界であっても、その先には人がいて、サービスを与える先には人がいる。会社や数字の先にもどこにも人がいる、それは気をつけなければならないですね。同業者、敵、仲間、社長、同期、なんでもすべてが、人。避けられない。それによって、死を選ぶ人もいるし、あたかもその世界が全て、だと考えてしまう人もいる。それくらい、やはり他人が与える影響というのは、でかいのだと改めて考えます。仕事は、やらなくてはならないものだと感じてしまう側面は、その関わる人、を、会社に入ってしまうという点においては、選べない、ということもあるのかもしれません。もちろん、たくさんの仕事があって、自分で立ち上げることもできて、なんでもできるけれども、その相手にはやはり人がいる。ものに対して何かを行う場合でも、そのものを管理する人がいる。それによって、自分がダメになりそうな時もある。そんなことに左右される自分も嫌いだし、そんな一面については、仕事が嫌いな理由でもあります。

Q5. 今、人生は楽しいですか?

A. はい。とても充実しています。

うつ病になったことも、自分が生まれ育った環境も、持病も、癖も、いいところも良くないところも、自分の軌跡も、ここまでの人生も、そしてこれからの人生も、感謝と期待しかしていません。後悔することはもうしません。なぜなら、おいてきた物事はもう変えられないからです。今まで迷惑を被られた人にしてみれば、逃げじゃないか、と言われるかもしれませんが、それぞれの出来事に関しては、いつまでも忘れることはないし、忘れたこともありません。それを、前向きに向き合っていく、という意味です。そして、今お世話になって、仲良くなっている人たちとはさらに前を向いて、これからの関係性の発展に、期待しかしていません。

自分のことが嫌い、だなんていうけれど、その嫌いの先に、自分が生まれてその状態になってしまったどうしようもないことに対して、一種のオンリーワン感に酔うこと、というのはよくあることだとも思います。その体験はあなたにしかできないし、どんな成功も失敗も、その人にしかわからないのです。僕は全てにおいて完璧主義だけどすべてにおいて非完璧になってしまう癖があります。嫌気がさして手首を見たことだってあるし、そうしたくないのにそういうきもちになったこともあります。だけど、それも僕。ある意味受け入れて、でも、その癖を当たり前ではなく、治すやうに心がけて、努力していく。それしかできないからです。僕が意識しないところの僕について、直すことや変えていくことは難しいかもしれないけど、まず受け入れて、その先にある自分に出会える、なんて考えたら、自分の人生、これから楽しみすぎます。これまでの自分を、いくらでも変えられる。楽しみすぎます。

ここまでの人生があるから、今がある。忘れないようにしたいです。未来に期待を込めて、僕は僕を生きていこうと思っています。だから、人生はとても充実していると思っています。

10号室、t tatsuでした。後編は、来月。この文章が投稿されて、見ていただいた方々。

これらの質問に、どのように答えますか。

それぞれの答えがある。全部全く違う答え。それがおどりば、それが人間。それが社会。それがこの世界。

t tatsu

山梨在住。あっちいったりこっちいったり、浮き沈みの激しい人生。音楽、本、映画やことばを好みます。多趣味多忙が代名詞。 …「あたりまえ」のことは、そうでもない...

プロフィール

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。