終わり悪ければすべて無なのか

住人

アルバイトをやめた
大学に通う日々が終わった
私はいま、卒業しようとしている。

卒業。
何を?

大学では、演劇サークルに入っている。
演劇サークル最後の公演に向けて、今日まで、バタバタと準備をしてきた。
1時間の劇を1か月で完成させる。普通にできることではない。
それでも、みんな「忙しい」「無理」「大変」と言いながら笑顔だった。
死ぬほど楽しい時間だった。

でも

コロナウイルスの影響で、私たちの劇は「中止」に追い込まれた。

ゼミ旅行も、学科の謝恩会も、友達との卒業旅行も。みんな中止にしてきた私たち。
最後の、砦だった。
これがなくなった今、私たちに卒業を実感させるものは、ない。
私たちは、本当に卒業できるのだろうか。

「終わりよければすべてよし」なんて言葉がある。
では、その反対はどうなのだろう。
みんな、思い思いに、それなりに素敵な大学生活を送ってきたはず。
でも、この分では、卒業式すらなくなるかもしれない。
卒業という実感を与えるものはどこにもなく、気が付けば春になり、それぞれの道に進む。きちんとしたお別れもできずに。

「終わり悪ければすべて無」

そんな言葉が、私の頭をよぎる。
そんなはずはないと思いながらも、なんとなく学生がぶら下がったまま社会人になる自分が想像できてしまって、「すべて無」ではなくても、気持ちが悪いことは確かだ。
このまま、このままで、みんなバラバラになるのか。

実感がない。もうみんなに会えないという実感がない。
卒業するという実感がない。このまま社会人になるという実感がない。
実感がないまま、ちゅうぶらりんなままで、責任をもって社会人になれるのか不安だ。

当たり前にやってくると思っていたものたちが、こんな形で奪われてしまうなんて、想像もしていなかった。

とにかく、いま、私たちには「自動で」卒業を実感させてくれるものはない。
だから、私たちは自分の力で、卒業を実感しなければならない。
学生の自分にさよならを、社会人の自分にこんにちは。
どんな儀式にしようか。
社会人になるまで、あとひと月。
自分が納得のいく儀式をして、学生生活とさよならしたい。

しーちゃん

梅雨生まれの晴れ女。好きなものはぶたさんと抹茶。天敵は足の多い虫。趣味は映画鑑賞、演劇、細かい作業。

プロフィール

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