働くということ

住人



大学生の途中まで、働きたいという気持ちが全然なかった。
この4年間の大学生活が終わったら、周りのみんなとおんなじ流れでどこかの会社に就職して、なんとなく働いていくんだろうなと思っていた。

大学3年生の終わりに休学届けを出した。
明日死ぬとしたら後悔することはなんだろう、やり残したことはなんだろうと、大学の授業をサボって悶々と考えていたら、それは、高校生の頃からなんとなくやりたかった海外放浪だった。
敷かれたレールから外れる初めての経験だったので、戸惑いはあった。
色々考えた。歳をとればとるほど、ふざけたことをするハードルは上がるだろうな、と、当時仲の良かった小学校からの友達と、イナゴ鍋パーティーをしながら思った。



成田から飛行機に乗り、西に向かった。放浪に出た。
ダラダラ滞在しながら旅をしていた。
宿をとり、好きなご飯を食べ、街を歩く。たまに観光地にも行った。
いく先々の国で、貯金だけはあるニートのような生活をしていた。

毎日が自由な時間だった。予算も十分だった。
好きなことをして、好きなように生活ができた。
当時のぼくの想像しうる究極のしあわせ状態であった。
にも関わらず、ぼくは数ヶ月経ったあたりから違和感を感じていた。
どこにも所属していない、孤独感がつきまとう。
社会に属していないぼくという存在が、社会の中でふらふらと彷徨っている。

ぼくはモロッコにいた。アラビア語とベルベル語の国。英語が通じない。
ある日、ワルザザートという田舎町から移動するために、バスに乗る準備をしていた。
荷物をバスの荷台に乗せてくれる30歳くらいの男がいた。
彼はみんなの荷物を必死に運ぶ仕事をしていた。
ふとした拍子に、運んでいた荷物によって彼は指に切り傷を作った。傷口から血が出ていた。
ぼくは彼に近づき、カバンの中にしまってあった自分の絆創膏を彼の指に巻いた。その時の彼の嬉しそうな顔が忘れられない。何度も何度も何かを話しかけてくれた。
荷物が全て運び込まれ、ぼくもバスに乗り込もうという時、彼がぼくにまた近づいてきて、何かを話しかけてきた。とても嬉しそうな顔をしていた。
バスに乗る地元の人たちも、ぼくに何かを話しかけてきた。言葉がわからなかったが、みんな嬉しそうな顔をしていた。きっと、感謝の言葉を伝えてくれていたのだと思う。


ぼくの旅が終わり、日本の日常に戻った。残りの復学の日まで、悶々と旅のことを思い返した。
いろいろな絶景を見て、いろいろな人たちと出会い、たくさん美味しいものを食べた。
しかし、ぼくが最も心に残っているのはこの出来事である。
ぼくが、この旅の中で、一番しあわせを感じた瞬間であった。

ぼくは、働きたいなあと思った。
自分がしたことで、誰かが喜んでくれること。
そんな単純なことが、こんなにも嬉しいことなんて、忘れていた。
思えば、彼に絆創膏をあげて嬉しそうな顔をしてくれた時、ぼくはこの旅で初めて、社会の中で生きている感覚を覚えた。社会の一員であることに、安心を感じた。

働くことは、自分のしたことで、誰かに価値を提供することだ。
誰かの助けになることだ。
そしてそれは、社会とつながることである。

働くということは、ほんとうに、しあわせなことなのだ。
この思いを、ずっと忘れずに生きている。

soshi

1991年生まれ。長野市出身。 大学の専攻はジャーナリズム。休学し9カ国放浪後、地元市役所に入る。福祉部門に配属となり、障害者のソーシャルワークなどを行なう...

プロフィール

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