ここさいきんのはなし
母親が、子宮がんになった。子宮がんには2種類ある。子宮体部にできる「子宮体がん」と、子宮頸部にできる「子宮頸がん」。母は前者の方。現在進行形で治療が続いている。わりと初期の方で見つかったので、十分に望みはある。
今年1月には子宮を摘出し、2月からがん治療が始まった。以降は基本的に月1回病院へ行き治療を受ける。退院後は2週間ほど自宅療養。その間の外出は病院側から控えるよう言われている。がん治療の副作用としては、身体の痛みや体力低下、食欲不振などがあるようだ。
母がそんな状況の中で、僕は会社を辞めることにした。理由は色々あるが、端的に言うとすれば、生きたいようにこの先も生きるため。
退職することを両親にも話しておこうと、2月に一度実家に帰ることにした。年末と正月に帰っておらず、最後に帰ったのは7月頃。半年ぶりの帰省。実家は新潟県。自分は長野県にいるので、帰ろうと思えばいつでも帰れるんだけど、普段あまり帰らない。
2月。長野から新潟へ。実家の最寄駅ではない駅で一度降りて、街中を歩きながら、考えることにした。帰ったら、両親に退職することをどう話そうか。
考えたことのほとんどは、否定されたときの返し方だ。きっと否定されるだろう。こんなことを言われるだろう。こう言われたら、こう返そう。うまいこと納得させよう。
頭の中がぐるぐるとしていた。
その反面、空はやけに青くて綺麗だった。
しばらくして、実家に帰った。
夜。帰省したときに家族とよく行く店に、両親と自分の3人で足を運んだ。ここで初めて、母のがんに関する説明をちゃんと聞いた。そのときはがん治療が始まる前のタイミング。子宮は取った状態(取った子宮の写真を見させられた、手術跡も。言葉が出なかった)。がん治療の副作用の程度だったり、治療の過程で髪が抜けるという話もされた。治療が完全に終わるまで、仕事は休むそうだ。
意外だった。母は「現状」と「これから」を前向きに捉えていた。口ぶりや表情からそれが伝わってきた。子宮は失い、髪は抜ける、そんなかんじで、女性のアイデンティティーを2つ失うのに。なぜ、母は前向きでいられるのか。それは母が自ら口を開いた。人との良い出会いがあったから、前向きでいられるのだそうだ。女性用のウィッグをつくる良い美容師さんや、母と同様の治療を受けた人に出会い、塞ぎ込むことなく過ごせたのだと話していた。叔母にも相談に乗ってもらったらしい。
人との出会いがあったから前向きに過ごせる、という母の考えには、とても共感できた。自分は仕事を辞めることを前向きに捉えられている。いろんな人が周りにいてくれるから。会社をやめてデザイン関連の勉強をしている人がいて、自分の話を聞いてくれた。無職で暮らしている人もいて、たくましさを学んだ。アートや漫画執筆、自分のやりたいことを仕事や余暇で思い切りやっている人も、周りにいる。おどりばで記事を書くこと、他の方が書く記事を読むこと、人とご飯を食べること。全部がいまの自分に繋がっているように感じている。生き方や考え方に幅を持たせてくれた。おどりばの運営の三人だって、仕事をやめた経験者だ。
母のがんの話を聞いていたら、時間が過ぎていった。「さぁそろそろ店を出るか」という雰囲気になり、「話さなきゃ」となった。なかなか切り出せなかったのだ。「否定されるだろうな」と思いながら、僕は話を始めた。自分は仕事を辞めることを前向きに捉えているが、他の人がそうだとは限らない。それに、次を決めていないし、すぐ地元に戻るための退職ではない、興味がある分野をしっかり勉強する期間を設けたい。つかえながらも、自分の考えを話し続けた。
話し終えた。口がパッサパサになった。
「きっとこんな反応をされて」
「こんな返しがくる」
「自分はこうやって返すんだ」
今日、街を歩きながら考えたことを、頭に浮かべた。
これは本当に想定外だったが、否定は一切されなかった。
仕事をやめること
地元に戻るわけではないこと
次は決まっていないこと
しばらく勉強したいという気持ち
それどころか両親は
「しっかり勉強しろ」と言った。
背中を押された。
時は進み現在。会社に退職の旨を話しており、4月末に退職が決まった。退職の話をするときも、「どうせ否定される」と思いこんでいたが、受け入れてくれた。自分の家族のことも気にかけてくれた。
昔からそうだが、僕は迷っていることも悩んでいることも、ほとんど人に話さない。否定されたくない。自分のことは自分で決めたい。15歳で進学のため地元を出るときも、自分で決めた。相談ではなく報告。今回もそうだ。
でもよく考えれば、中学生の頃も、親は否定してこなかった。就活の際も、そうだったんだ。もう地元にいたのと同じくらい長野にいることになる。
人に期待しすぎない、という芯が自分の中にある。期待しすぎてはいけない、自分の問題は自分で解決するしかないのに。他人にもたれかかって重荷にさせたくない。やりすぎな人を見かけると、情けないなと思う。自分はそうなりたくない。聞いてもない筋違いのアドバイスをされるのが嫌だ。だから人に頼り過ぎたくない。ずっと。
たぶんこの性質は、両親が共働きで弟と2人で過ごすことが多かったからとか、15歳から親元を離れ暮らしていたからとか、そういったことに起因するものだろう。
でも、確実に、周りの人に支えられている。母親も自分も、前向きでいられているのは、周りの人のおかげなのだ。
上司に退職の話をしたとき、ポジティブにいこう という話をされた。ポジティブにいないと、ポジティブな選択肢や行動を生まず、結果も後ろ向きになってしまう。ということだ。
京セラ、KDDIを創業し、日本航空(JAL)を再建した経営者・稲盛和夫氏は、人生の方程式」という考え方を提唱している。「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」というものだ。人生を成功させるためには、この方程式の中でも「考え方」という要素が特に重要だと語っている。考え方にはプラスとマイナスがあり、熱意と能力があっても、考え方がマイナスであれば、結果もマイナスになってしまうのだ。
ポジティブにいこう。
母のがんは初期のものであるし、今年前半で治療が終わる。治療後は体力がどうしても落ちるので、今もそうだが、実家に帰れるときは帰ってサポートする。自分は自分で、退職のための引き継ぎ準備や、今後やりたいことを勉強をする。
そして、基本的に人に頼らないという芯は今でも持ち続けているが、自分は人に助けられているし、時として人に頼ってもよい。自分に期待を持ち、人に期待を少しは持ってもいい。良い人たちに囲まれているから。
そんなことを最近は思っています。
コロナウィルスの件で悲観的になる人が多いけど、見えない先のことを考え過ぎても仕方ないよ。自分だってなんとなくの先を見据えているけど、まだ明確に決めていない。今できることをやる、知る、できることや考えの幅を増やす。自分ひとりではない。前向きでいきましょう。
生きたいように、生きましょう。
次回の更新はお休みします。
退職後、また記事を書きます。
宜しくお願いします。
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