平静は装うもの?
住人
月に一度、ぼくは、このおどりばで、普段あえては見える化しない自分の中の「問い」を顕在化させている。
それがぼくにとってのこの「場」の意味。
だから、今回もちょっと立ち止まって今自分が気にかかる自分の「問い」は何かを探る。
しかし、正直今回はそのモチベーションが湧かない。
社会がこんな状態だからかもしれない。
”中止”
”休校”
”休業”
”延期”
そんなことのオンパレード。社会全体が「閉塞感」。
マイナスのことばかりを考えがちになりやすいし、体までも自然とそうなってしまっている気までする。
かといって、あえて「よし、こんな時だから!」と無理するのもまたぼくにとっては自然ではない気がしてしまう。
そんな状態だからあえて「いつも通り」月に一度の、この”場”も継続してみる。
「今」、そのものが「平静」ではない。
でも、だからと言って「平静を装う」のではなく、今あることを、今ある環境で淡々と行う。
Withコロナ、afterコロナ、に関していろいろな専門的な人が話しているし、それに対してぼくが個人的に思っていることなんて全然ない。
けれど、そんなぼくでも確実にこの「今」という時間は今後に大きな影響を与えるんだろうなとは思う。
だからこそ、「今」を無理して「乗り越えよう」とか、「こんなときだから」とあえて「何かしよう」とするのではなく、今やれることはなにか、ぼくの今の立場でやらなけでいけないはなにか、を見つめなおして、それを一つ一つ行おう。
それが自分に合っている「今」という時間の過ごし方なのだろうと思う。
この記事へのコメントはありません。