まっしろいキャンパス

住人

突然だがぼくは今まで2度交通事故にあっている。

一度目は小学校1年の時。2回目は中学校1年の時。
高校1年の時も事故るんじゃないかと思って一年間ひやひやしながら過ごしたことを覚えている。

初めての事故の時はショックが大きかった。
小学生だったこともあるが、病院で寝ているだけの生活。

つまらない。

そもそも小学1年生に2週間病院のベットでじっとしていろ、というのは無理がある。



「なんで自分ばっかり」


毎晩そう思って、時には泣いていたこともあった。
(今では恥ずかしい汗)











今ぼくは野球部を担当させてもらっている。しかし、3月から2か月以上部活はやっていない。その間にあった練習試合、大会はすべて中止。
そんなとき、ある子のお母さんからたまたま先日別件で連絡があった。そのついでに「〇〇君最近どうですか」と聞いてみた。
すると



「落ち込んでいるを通り越して、もう野球に対する気持ちがないように私たちには見えます。」

と連絡があった。



ショックとも、悔しさとも言えない、何とも言えない気持ちだった。
「そうだよなー」という気持ちもあった。



「全国すべての中学、高校3年生がそうだから。」

「高校球児にとっては甲子園さえなくなろうとしているんだから。」

「今までの野球で得たものは変わらない。これからに生かしていくんだ。」



頭ではわかる。納得しなければという気持ちもある。

でもどうしたって、その子にとっては「悔しい」じゃないか。心残りがあるじゃないか。
その子が「普通」だったら感じられたあらゆる感情、得られたはずのものは決して戻ってこない。



ぼくがたった2週間学校に行けないだけでそうだったから、どうしてもそう思ってしまう。

しかし、それはただ「ぼく自身」がそう感じているからだけなのだろう、と思う。ぼく自身がみんなと得たかったものが得られなくなって悔しいんだ。

部活動はぼくのものじゃないのに。逆にぼくがこどもたちに依存していた。



この休校中に、それまでには気づけなかったことに気づけた。それはよくも悪くも。


それと同じくして、最近、なにか自分の心の中のピースが欠けている気がする。でも、そのピースが何かわからない。





こどもたちと会えない。
こどもたちと部活ができない。


多分それだけではない。

ぼく自身、先の、部活動のこどもたちとの得られるはずだった「思い出」がもどらないのと同じように今後、学校が再開しても、再開前と全く同じようには戻れない気がする。

それは、オンラインでの授業化が今後進む、ということ、「ソーシャルディスタンス」「三密を避ける」ための学校環境が当たり前になっていく、というだけではない。



明日、ぼくの学校では分散登校が始まる。
1か月半ぶりにこどもたちに教室で会う。


新たな気持ちで、もう一度、ぼくの心のピースを埋めに行こう。
真っ白なキャンパスに絵を描き始めるように。










あかっぱ

よく中学生に間違われます。「見た目はこども、中身もこども」な25歳です。

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