おそろしい

だれにでも伝わることが一番大切ではないと思うので、順序を追って書こうとして息が詰まるくらいなら書きたいことからぽつぽつと書く。

先日、新型コロナウイルス感染疑いのためPCR検査を受けた。

名古屋から帰ってきて一週間たったころ、のどがイガイガし始めたときは本当にこわかった。

真っ先に、名古屋で行ったライブハウスと演奏していたバンドのことが頭をよぎった。

いつもの何倍も広い会場で、スタンディングでぎゅうぎゅうになりながら見るいつものライブとは違って椅子が並べられていて、着席できる席はひと席飛ばしと決まっていた。入場前の検温と消毒、googleフォームを使った連絡先の記入、対策は万全だった。それでも?

「ライブハウスに行った」ことが責められるのがこわくてたまらなかった。

ライブハウスが悪者になった3月、あんなに憤っていたのに。

結局はわたしもメディアに踊らされて、ライブハウスと感染を紐づけようとしていた。情けない。

一方で、喉痛を感じる前夜にはエアコンの風が当たる埃っぽい場所で寝てしまっていたから、きっとそのせいだと冷静にとらえる自分もいた。

でも冷静な自分が不安な自分に勝てなくて、ずっと、陽性だ、どうしようと部屋でうずくまっていた。

咳がではじめて、発熱もあったのでいよいよ保健所に連絡した。

行動経路を聞かれた。

「県外である名古屋市に行った」ことしか答えられなかった。

あらためて文字にすると最低だな。

でも、具体的なライブハウスの名前、バンドの名前、長野に戻ってきてから立ち寄った場所、出演したライブの会場、を伝えたら、

わたしのせいでそれらが全部悪者にされてしまう。

そこで働くひとたちの生活を奪ってしまうかもしれない。

そう思うと、とても詳細な行動歴を口に出す気にはなれなかった。

紹介された休日診療を行っている病院で簡単な問診を受けた。「ライブハウス」という単語を口にした瞬間、えっという顔をされたのを忘れられない。

処方箋をもらったが、初診料が高くて手持ちが足りなくなってしまった。お金をおろそうとコンビニに立ち寄った。

コンビニのドアノブに触れる前にアルコール除菌をした。自分がウイルスをもっていたらいけないから。

漢方を処方されてうちに帰りついてからは、ずっとTwitterを見ていた。

まずおてあらい花子のTwitterアカウントを削除した。ライブの感想をツイートしていたし、陽性者として行動歴が発表されたあと特定されては困るから。

そして、長野県の新型コロナウイルス関連情報の公式アカウントの、新規感染者速報の載ったツイートに付いているリプライたちを読み漁った。

「増えてきたなー」「県外の人と会食とかありえないでしょ…」「検査数が少なすぎる。隠ぺいするな。そんなに陽性者を出したくないのか」「県外に出た人は何日間か戻ってこられないようにしてほしい」「リプ欄ひどすぎ…差別的な発言が多くなっている」「これ絶対信大生でしょ(笑)」「チマチマせずにもっと感染者の情報を伝えて」

すべて未来の自分に突き刺さるようで、恐ろしくて、でも見ることはやめられなかった。

責められているのが感染者でなく、県の職員の方々であってもつらかった。

もしわたしが陽性だったら、わたしが原因で発信しなければならないこういった情報に、こんな非難の声が返ってくるのかと。

一番悪いのはコロナだよ。

でも、目に見えないウイルスに攻撃を加えることができないからといって、目に見える手の届く実存する存在に不安をぶつけて傷つけるひとびとは、ウイルスに感染することよりうんと怖い。

県民のために、市民のために、と親指で投げるその言葉は、自分が早く安心したいからでしょう。

何番目の感染者、ではなく、日常や生活を持つひとりの人間であることを忘れてはいない?

想像力、について考えるいい機会になった。

これだけ感染者の母数が増えたのだ。きっと本人の意識や対策とは関係なく、感染するときは感染してしまう。

自分が叩いている対象に将来自分がなったとき、自分で自分の首を絞めることになる、そんな発言や思想に気を付けようと思った。

いや、思想は制限されなくていいと思う。でも、脊髄反射で発信しようとしているその言葉を頭の中にとどめておくことで救われる人間がたくさんいる。

検査から2日後、結果が陰性であったとの連絡をうけて、心底ほっとした。

病状以上に差別が恐ろしい病気、が、これ以上あってたまるかよ。

おてあらい花子

鼻唄みたいな言葉と、呟きみたいな歌をこぼします。20歳です。

プロフィール

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