あざとさを、だ、だきしめたい

住人

娘が今春、中学生に。思春期真っ只中、青春のど真ん中。突っ走ってる。反抗期はまだ中途半端に。かわいくて仕方がない。≪目に入れても痛くない≫という平凡な表現をペーストすることしかできなくても、まあいいかって思えるくらい、娘にデロデロな父親で。

先日、塾へ彼女を送る車の中で、≪恋の話≫をされた。「クラスメイトの○○くんと△△ちゃんが付き合ってたんだけど、自然消滅しちゃった」とかなんとか。恋の話って、異性である父親にはしないものなンじゃないの?! と思っている節があるから、そんな話題を提供されて嬉しくもあり、なんだかせつなかったり。それをうまく言葉にできないんだけど、きっと言葉にできない気持ちってあるんだなと、この件で再確認させられた。

今、彼女には好きな人はいない。てゆうか、そう思いたいだけかも。大人になっていく彼女を捕まえていたいんだ。いつかわたしに興味を失って、恋に夢中に。それは割と寂しい。恋は人生において、大事なエッセンスだから≪たくさん恋をしなよ≫だなんて彼女に言っているけれど、ちょっとでも現実的な出来事が起こると、わたしの気持ちはYU・RE・RU。それこそ先日の送りの車の中での恋の話に胸倉をつかまれて、グラグラって。こんなんじゃ、結婚なんて受け入れられないよな。気持ちでは相手がわたしと同い年の男性だろうが、外国人だろうが、軽犯罪者だろうが、愛した人なら誰とでも一緒になるがいいさなんて、≪バッチ来い!≫な状態なんだけれど、生理的に結婚を認められないかも。あー、嫌だなあ、突然「紹介したい人がいるの」なんて言われる未来があああああ。

「パパはまだ青春してる?」とあの車の中で。「恋するって青春だよね」というわたしのセリフを聞いて娘が投げ返して。「そりゃ、もちろん青春さ!」と答えた。妻に恋をしているし、吉高由里子が好きだし、すれ違いざま@駅前、お姉さんに一瞬だけの一目惚れをしたり。それに加えて、小説に恋してる。NBAに恋してる。音楽にはずっと好きにされているし、死ぬまで振り回されるんだろうな。

流行りの音楽は自ら聴きにいかない偏屈王なわたしが、ビリー・アイリッシュとYOASOBIを愛聴するのは、言わずもがな。「このMV、謎だよ」って娘が『bad  guy』@ビリー・アイリッシュを勧めて。若い頃はとにかくアッパーな曲しか聴かなかった。戦闘力を高めてくれるような音楽にしか興味を示さなかったし。でもこの頃はダウナーな音楽を好んで。だからビリー・アイリッシュにハマッたのは偶然でもなく必然でもない自然なこと、ダア~。

悔しいのは今やJ-POPの急先鋒であるYOASOBIにまんまとハメられたことが嬉しいくらいに屈辱的。娘に初めて『夜に駆ける』を聴かせてもらった時、「よくできた曲だね~」と皮肉を言ったくらいだったのに。あざとくて嫌だった。計算されていて悪寒も。初期衝動を真空パックしたエモーショナルな音楽しか受け付けないから。それがどう頭がイカれたのか、YOASOBIが出演する紅白歌合戦を観て出番を待ったり、初回限定版CDを購入するくらいのファンに。不安になる、自分の感性が正しいのか。たとえば≪好きな小説家は誰ですか?≫と聞かれて、村上春樹の名前を挙げるようなら、小説家を名乗ることは許されない。そんな感性終わってる。どんなに野心があろうが、書きたい気持ちに溢れようが、小説を書く資格がない。実際、村上春樹に影響を受けているし、この世で一番好きな小説は彼の『風の歌を聴け』だけれど、それを恥ずかしげもなく言えてしまえるなら、自分を疑え、恥じろ。

≪ひとりむすめ≫という呪縛に囚われているのかも。そうでもなければ、J-POPにウツツを抜かすはずがない。でも、それならばずっと騙していてほしい。YOASOBIが本物なのかどうかはこれからの話。少なくとも2021年1月19日現在、わたしはYOASOBIを信じているし、海を抱き締めるくらい大好きだ。

そういえば学生だった25年前、想いを寄せていた女の子がレディオヘッドを好きで、さっぱりわからないのに必死で聴いたな。今では理解できるし、新しい魅力の発見もいまだにもりもりあるヨ。YOASOBIを25年後に聴いたら、わたしはなんて言うのかな。「懐かしい」だったらガッカリ。傲慢な想いかもしれないけれど、その頃には娘は結婚して子どもを持っているはず。わたしたち夫婦の元を巣立っているに。それはめでたいことだろうけれど、一抹どころじゃない寂しさが。でも妻に恋をして≪青い春に駆ける≫おじさんでいたいなあだなんてマヌケ。でも、そこにあざとさは。<了>

なかがわ よしの

生涯作家投身自殺希望。中の人はおじさん。早くおじいさんになりたい。

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