目を背けよう

住人

自分は即断即決や、走りながら考えることが苦手だ。

そのかわり、熟考するのは得意だ。

生まれてからすぐ目の前に医療があり、学生の時は歴史、地理、国語の類が好きで、大学で社会福祉を学び、今は教育分野で働いている。

文章を書いたり、哲学系の本を読む。

経営や経済が好きで、新聞とBS1スペシャルを好む。

芥川龍之介と、荒川弘が推し。

考えることは好きだ。
でも実際に考えながら必死で動いている人からしたら、「考えることぐらいは誰でもできる」と笑うと思う。

人生とは何か、生きる意味とは、1か月後隕石が落ちてくるならどう生きたいか、友達とは、どうすればよりよく死ねるか…

こんなことを病院のベッドでひたすら考える日々。

考えることは、何よりも好きなことだ。


この数か月。ひたすら調べて、学び、そして熟考した。

必ずしも関連性があるわけではないし、科学的根拠がないところもある。
ふーん、そうなんだ、って流してもらうぐらいがちょうどいいのかもしれない。

読ませる文章というよりも、ただひたすら考えたことを書き綴っていく。

1.障がいはどこにあるのか

何が障がいを作り出しているのか。

気持ちがわかる、とはどういうことか。

同じ場面に出くわさないと同じカテゴリーの感情を実感するのは難しいと思っている。
自分が、家族が、恋人が。頻繁に、手の届く範囲にないとカテゴリーの感情はわかりづらい。想像しづらい。

だから、障がいとは不便だし、不幸だという気持ちが無意識の中に入っていると、障がいが便利だと感じる当事者がいる、といったら強がりだというかもしれない。

例えば声でのコミュニケーションが難しい環境での手話。

例えば、暗闇の時の盲人。

例えば、障がいに合わせてつくった故に最大限のパワーを引き出す器具を使って競技するアスリート。

もちろん、手話や盲の生活などには本人の並々ならぬ努力があるというのは前提だ。

小さい頃から活動や動きを制限されてきたことが多かった自分は、今回の自粛要請で通常運転の「絶不調」である。

今回のことが要因で格別気持ちが落ち込んだ実感はない。

自分は 今までこの闘病人生で何を学べたのか、何か得たことはあったかと時々考えるけれど、自分へのメリットは感じなかった。

ただ、引きこもりを正常な精神で続けることができる、のは賜物なのかもしれない。

現実的な生活で困ることと言えば、手指消毒に使うハンドソープやクロスガーゼなどの衛生商品が軒並み手に入りづらくなってることだろうが、今のところさしたる問題とは感じていない。


今は、そもそも障がいがない人たちのほうが、生きづらさ、生活のしづらさを感じているんじゃないか。
いわゆる健常とよばれる人たちが、自覚なく困っている。
誰かが感染しただけで避けられ、差別の対象となりうる(詳しくは3で)
「こいつはおかしい」と平気でぶん殴る。

人は、環境によってこうも変わるものかというのをまざまざと見せつけられている。

無理やりな言い方ではあるかもしれないが、「生きづらさを感じている人」という定義で言うのなら、かなり多くの人たちが公的には認定されないけれど、障がい者と言えるのかもしれない。


2.「普通の生活」とは何だったのか。

ルールが変わった

・罹患したら近所からどんなバッシングを受けるかがわからない。

・外に出るときにはマスクをしましょう

・手洗いを重視しましょう

・危機感を覚えないと本気にならないし、なれない。

・「こんなの一時的なこと」「特別なこと」として見てる人たちもいるのではないか。

何冊か感染症関係の本や戦争の本を読んだり、担当医(感染症対策の資格持ち)から話を聞いたりしている内に考え方が変わった。

このウイルスはエボラや天然痘のように「感染すると必ず症状がでるというものではない」ことからウイルス自身の生存戦略としてはすごく良くできたものらしい。

唯一地球上から撲滅できた天然痘のようには至らないと思っている。

何年か先、ワクチンが出来たのなら、一般的な感染症に分類されるだろうという予測もある。

でも、私たちにはこの数か月の生活で、今までほとんど考えることがなかった“疫病への恐怖”が刻みこまれている。ほかの疫病でも同じことかもしれない。

一方昔は猛威を奮っていたであろう感染症が、当時と比べると治りやすくなっているという経緯もある。

薬ができた!保険適応オッケー!死ぬ人は少なくなった!となった時でも、今のような、明日どうなるかわからないという“恐怖”はすぐには薄れないと思っている。

「アフターコロナ」「ポストコロナ」「ウィズコロナ」などコロナの前と後で世界の文化が変わるという予測もある。

1918-1920年にはスペイン風邪がはやり、最大1億人の人が亡くなった。(今ではインフルエンザだったといわれている)

当時生き残った人たちの記憶には、“恐怖”が刻み込まれていたはずだし、記録にも残っているはずだ。

そこから100年が経ち、当時の人たちはほとんどいなくなった。

人は順応性の高いいきものだと思うし、今回の恐怖も段々に年月を追って薄れてはいくとも思う。今のこどもたちや10代20代の人たちが60、70歳になった時、「あの時は有名な人も亡くなって、仕事もなくなって大変だった」と言うのかもしれない。

戦争の記憶が世の中で薄れているように、どんなに悲惨なことがあっても、後世には記録そのものは残っても感情は残りにくい。

カミュの「ペスト」が話題となったのは、もしかしたらそういう経緯もあるのかもしれない。
パンデミックとなった時に人が起こす言動、考えられる可能性などを知りたいと思うのは必然だと思う。難しい本らしいので、私は某お笑いタレントのYoutube大学で概要を見て、読むのをやめようと決めた。

コロナというそのものはまだわからないことも多いけど、疫病・感染症として見たときに社会はどうなったのか、人はどんな心理状態だったのか、そのあとどうなったのかは専門家でなくてもある程度予想できる時代になった。

それに、今はものを書く人たちがとてもとても増えている。

ケータイ、スマホができて、皆が皆カメラマンになったのと同じぐらい、自分の感覚を表現できる場やシステムが増えた。

政府がマスクやお金を配ったり。

マスクをせずに出かけると白い目で見られたり。

大好きなタレントが死んだり。

家族は病院へ行っても顔も見ることすらできず、亡くなっても再会できるのは骨となってから。

普段のまとめ買いが、買い溜めとして見られたり。

「私も我慢してるのに」という、今までだったら些細なことでもルールから外れることをした人たちを憎しみ、写真に撮り、SNSへ投稿したり。

生き残りをかけて飲食店がテイクアウトを始めたり。

テレワークがオンライン会議システムが急速に発展したり。

AV大手が1タイトル10円のキャンペーンを打ち出したり。

アマビエという妖怪が流行ったり。

給食で余った牛乳でできる蘇が流行ったり。

テレビの収録でもオンラインや出演者同士の距離ができたり。

学校が一斉に約2ヶ月休校になったり。

渋谷から人が消えたり。

株価がやばいぐらい落ちたり。

オンライン受診が初診から可能になったり。

医療崩壊が現実的になったり。

本来であれば何年もかけてゆっくり変わっていくだろうものが、この数か月で瞬く間に変わっていった。

中には、業界団体が何年も何年も訴え続けてきたこともあると思う。

何年も何年もかけてできなかったものが、ここ数ヶ月で全部が変わったし、変わろうとしている。

いくら順応性が高い人間とはいえ、これについていくのは正直無理ってもんだろう。頭がパンクする。

一方で今回の事態をチャンスと受け止めているところももちろんある。

おそらく、今後防護服やマスクといった衛生商品は国内生産が主になると思っている。

そうなると、安定した収益が見込みやすくなる。同時に、利権の温床にもなる。

戦後、大金持ちとなったと人たちは、焼け野原となった土地を、電話線を通して買い集めたという。そこが後々銀座になり、新宿になったりした。

ただ、経済と戦争には不思議な相関関係もある。

1914-1918年第一次世界大戦

1918-1920年スペイン風邪流行

1925年世界恐慌 

1939年ドイツ軍ポーランド侵攻第二大戦勃発。その後、日本は朝鮮戦争で高度経済成長へと繋がった。)

そして現在、貿易摩擦で燻っていたアメリカと中国が、今回のことでガチにならないことを願うばかり。

3.少数派が多数派になる

1に引き続いて、今の状況での障がい者とは何を指すのか

・生きづらさを感じている人たち

・なかでも、外部要因で生きづらさを感じざる得なくなった人たち

→この数か月で今まで多数派だった人たちが生きづらさを感じるようになった。

多数派によって成り立っているのが世間。

今ままで思われていた個人的な「わがまま」が、「一般常識」へと変わっていく。

健常者にとって良いことが必ずしも障がい者にとって良いことだとは思わないが、ハードルはグッと下がるのしれない。ソフトでもハードでも。

やっと同じ土俵に立てた。
長い間健常者との間に劣等感を覚えていた自分としては、やっと一緒のトラックで走れる、という感覚だ。
ずっと昔から感じていた「健常者との無意識の差」を、疫病が無理やり埋めてくれた。

今困っているのは誰か

困っていないのは誰か

この数か月で「必要なものはその都度買い足せば良い」という感覚で生活をしている人たちが困っている印象をもつ。
「コロナ疎開」と呼ばれる現象には、疫病への罹患しやすさからの逃亡の他に、実家に戻ればなんとかなるかもしれないという「漠然とした安心感」を求めている人たちもいるのかもしれない。
実家には家族がいる。不安や恐怖から少しは逃れられるかもしれない。
また、昔のものが押し入れに入っていたり、自分の家で米や野菜をつくっていたりする昔からの家の方がこの数か月持ち堪えている気がする。
事実、自宅で家族が捜索したら、小学生の時使っていた布マスクやガーゼ、体温計がいくつか出てきた。

持久戦になった時、「もったいない」「ためておく」「ないものはつくる」の文化は強いのかもしれない。

4.罹患者本人・家族・地域への差別について

コロナ疎開はやめましょうという風潮だ。
都市で症状がないまま罹患していて、そのまま帰り、ウイルスの輸入を抑えることが目的だという。

また、車で都会から田舎へと「避難」してきた人たちもいる。
恐怖からの離脱を考えると、至極当然だとは思う。

ただ、県外ナンバーの車が傷つけられたり、いわれなき暴言を浴びせられる事態も起こっている。

クルーズ船の人たちは地元へ帰ってもお店から拒否されたり、バイキン扱いされたりしたという報道もある。

病気への差別は、らい病やエイズなどでもあると聞いた。

よくわからないものへの恐怖からかもしれない。
医師が治癒証明を出したとしても、本当に治ったのかがわからず疑心暗鬼になる人もいると思う。
地元で出れば感染経路が報道され、 「どこどこへ行った」と報道されれば、そこを同じ時間に訪れていた人たちは「自分もかかったんじゃないか」と怖くなる。「こんな時期になんでそんなところへ行った!」という批判もある。
熱があって自分で感染したかもしれないと疑っても、会社に言えないという事態もある。
これもニュースで聞いた話だが、自分の企業で罹患者が報道されたときの被害を考えた経営者が故意に報告をしなかったり、したらクビにするといったもあるとか。

そんななか、本人や家族が「罹患してごめんなさい」と謝る様子もある。特に有名人。

「いや、不要不急の外出やめろって言うじゃん。それ無視したんだから批判されるのは当然だろ」という声。

「自分も我慢をしているのだから、お前も」

という、普段なら自分勝手極まりないモラルハラスメントと捉えられかねないだろう。

でも罹患者は謝る。

「あそこへ行かなければ」と自分を責める。

場合によっては仕事をクビになるかもしれない。

また、自分は軽症で済んだとしても、人に移し、その人が重症化する可能性もある。

「自分勝手な人がいるから伝播が止まらない」という声もある。


「本当にそうなのだろうか」と問い直す暇(いとま)さえない。

差別と疫病は、根深くつながり、恐ろしい。

想像できるけど止めようがないから、ウイルスそのものより怖い。
そして、自分が差別をしていることに気付かず差別をしていて、周りがそれを目にしたとき「こういう状況だから仕方がない」と黙認したり、もっとひどければ「そうだそうだ」と乗っかる。
そのほうが楽だし、自分が思っていたことを言ってくれ、爽快感を覚えるのかもしれない。これにあらがうのは簡単ではない。
おそらく、この騒動が収まったら「あの時は異常だった」と総括するのかもしれない。
恋人にひどいことをして、あとで「イライラしていたから」と言うのと何が違うのかと個人的には思ってしまう。

5.SNSでの条件反射的な非難は、指から排泄をしているのと同じ

・・・・・・・こんなことをこの約2か月。調べたり、考えたりしていた。

「考えられる余裕の奴はいいな。時間があるから余計なことを考えるんだ」

かつてそんな皮肉を言われたことがあった。

確かに、時間があると余計なことを考える。

今書いたようなことは、当時であれば多分「余計なこと」に入ると思う。

ただ、考えられなくなったら僕は僕ではないとも思う。

自分のことになるけど、移植治療は延期となる見通しだ。

おかげでその間にやれることが増えた。

筋トレ、貯蓄、能力の向上(怠惰な自分にはこれが割とキツい)は引き続き行っていく。


人のことを気にしてしまうのは、自分や身近な人への余裕がないからかもしれない。
(自分に余裕があって初めて人のことを気にできるという考えとは真っ向からぶつかりそうだけど、この場合は、ごくごく身近な人に限る)

いつ誰がどうなるかわからない。

病気というものが30年間自分の中にあり、死に神の鎌が頸動脈を何度もなでる。

既に何人もの同胞たちがその鎌のサビになったか知れない。

いつ自分がその立場になるかわからない。

毎日がその連続である自分は、生き意地こそ汚くあれ、生への貪欲さは皆無だ。

これは脳味噌ではなく、感覚だ。

頭は白黒つけたがっているのに、心は常にその間にいる。

大変だ大変だ、とパニックになってる周りの人たち。

それを「こんなんお前(自分)が常に感じてることじゃないか。お前は(自分)が慌てる理由もない。いつも通り「不安定」でいろよ」と心が頭の後ろからひょっこり覗いて苦笑しながら肩をポンポンと叩く。

わかっているんだ。

「やれることをやっても、どうしようもない時はどうしようもない。それがいかに人に迷惑をかけようとも」ということを。

自己努力には肉体的にも精神的にも限界があるし、人が当然できると思うことがそのまま自分に当てはまるかというとそうでもない。

手を頻繁に洗うことは、肌荒れの激しい人にとって苦痛だ。ハンドクリームがかかせなくなる。

花粉症の人にとって、この時期のマスクは貴重だ。

重度の脳性麻痺などで人工呼吸器を常につけていないといけない人をみている家庭にとって、衛生商品は不可欠だ。足りないという理由で感染を起こしたら、簡単に死んでしまう。何年も何年も1日1日繋いできた命が、一瞬で弾けてしまう。

私は震災の直接的な被害を経験したことはないが、震災よりもたちが悪いと思っている。

社会的に弱い立場の人たちは、市民の怒りと不安と恐怖によって、間接的にいとも簡単に殺されてしまう。

まずは集団として生き延びることが優先されるからだ。

パニックから身を守るときに、「自分や家族」のこととなった時、人はいくらでも冷徹になれる。

見えない誰かよりも、今日の生活。

もしかしたらこういう人もいるかもしれない、と頭の片隅で思いながらも、自己防衛に走らざるを得ない。

そしてあとで知る。

同じような光景をどこかで学んだ気がする。

戦後、解放されたドイツの強制収容所。

解放したロシア軍が、ドイツの人たちに収容所を見学させた。

あまりの悲惨さを知ったドイツの人たちは顔を手で多い、嗚咽を漏らしながら「知らなかったんだ…」と呟いた。

それを聞いた生き残ったユダヤの人はこう言ったという。

「違う。道で捕らえられた私たちがどうなるか。あなたたちは知っていたはずだ」と。



明日をも知れない状況に身を置き、恐怖を横に感じながら過ごす日々。

僕はほぼそれに近い感覚で生きてきた。

明日、僕はいないかもしれない。

だから、ある意味で覚悟はできている。


ただ、嬉しかったことがある。

「お前の心臓が止まったら、殴って生き返らせてからまた殴って殺してやる」

真剣に言ってくる人がいる。

「君が元気でよかった」

安堵の表情とともに言ってくれた人がいる。

「君に会えてよかったよ」

亡くなる前に言ってくれた人がいる。

それだけで、「僕に生きる価値はあるんだろうか」という問いは、僕の中で解決した。同時に、生への未練もなくなってしまっているが(笑)

茫然と泣き続けている理性的な自分。その後ろから覗く心は、今までに・今に・これからに、興奮を抑えきれず笑い声を上げる。

肩に乗せている左手は、既に理性の肩を握り潰そうとし、右手に握られた鎌は首筋の皮をグッと押している。

できることをやって、それでダメなら仕方ない。
この状況を経て、奥底でこんな死生観を再確認してしまった。

sarami

生き意地の汚い人生を 送っています。

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