あなたにどうせ届けられないわたしは
伝えたい気持ちがあなたにもあなたにもあなたにもあって、こんなにも心の中で動き回っている。
それなのに、私の日本語が追いつかない。この気持ちを的確に形容できる言葉の選択が、いつだってできない。
わたしはいっぱい思っているのに。伝えたくて、伝えたくて。
ぐるぐるし続ける夜に言葉は暴力的になる。強い言葉で殴ったら吐き出せたように感じて。
的確に伝えようとすると、言葉は遠回りをする。
「〜て言ってたよな?」と聞かれて、「言った記憶がある気がします」と答えると「はい、でいいやろ」と言われた。
でも、「はい」じゃなかった。「言った気がする」だったからそう言った。でも、それは間違った答えみたいだ。
「どちらかといえばイエス」は全部「イエス」というのが正解なんだと思う。だとしたら、90歳はほとんど死んでいることと同義なのだろうか。
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世界に生きている私を含めた多くの人間はきっと、単純明快な人間が好きだ。パターンが読めたり、「お前はこういうやつだからな」と言うのが好きだ。不良が意外と優しいのが好きだ。
自分の人生経験が好きだ。自分の生きてきた方法が好きだ。苦しんで乗り越えた経験が好きだ。生活から遠いものが好きだ。多数決が好きだ。子どもの語る夢が好きだ。
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哀しいものがすきなんだなあ。
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自分の切り捨ててきた複雑さが怖いんでしょう。答えのない問いに向き合うのが怖いんでしょう。逃げた過去と向き合うのが怖いでしょう。苦しまなかった過去と向き合うのも怖いでしょう。
ずっと怖い。ずっと私の言葉が誰かを傷つけている。私の行動が誰かを不幸にしている。「〜系の人だね」「〜とかしてそうな顔」て、言っちゃう。
そのひとを何かに当てはめたい。「大人」ってひとくくりにして敵にしたい。「子ども」は神格化したい。でも違うんだ。ひとりひとりが、人なんだ。
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そう考えていると、ちゃんと私が私の言葉で伝えられる「あなた」なんていないよ。
私の見えているあなたがどこまで本当のあなたなのかもわからないのに。
あなたはどこにいるんだろうって、目の前のあなたを見つめるけど、どこにもいないかもしれなくて。
伝えたい気持ちは行き場をなくして暴れる。
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だからせめて、好き、だけはちゃんと言いたい。
伝えたい気持ちの中で、輪郭を持たせることがいちばん簡単だと思う。
丁寧に、伝えたい形に包んで差し出せる。気がする。
あーあ、それすらもわかんないや。でもいい。今差し出せるものはこれしかないから。
歌われた言葉が春に飛び出して
そうだわたしも悲しむまい
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