痛みはだれのものか

住人

「今の痛みを数字で表すと10のうちいくつですか?」

痛みを訴えたとき、病院の看護師さんたちはこう問いかけてくる。

申告する数値によって「我慢できそう」「急ぎではないけどちょっと痛み止め欲しい」「すぐになんとかしてほしい」などの意味合いがある。

ただ、当然ながらわたしにとっての”5”の痛みが、受け取る側にとって”5”ではない。
痛みとしては”2”程度でも、「違和感をなくしてほしい」が”10”だと、わたしは”7”を選ぶと思う。
過剰投与になってもいけないから、自分で「このぐらいかな」と伝えるけど。

苦しい、痛い、という抽象的な訴えを無理やり数値に置き換え、その対策することが痛みへの医学的なアプローチだと思っている。
そもそも人がどのぐらいの痛みをどの程度感じているかなんて、誰にもわからない。
想像するしかない。
その想像も、すぐに限界がくる。

「苦しいだろう」「痛いだろう」。

「人の「痛み」はわからない」ということを前提にしつつ、アプローチをかける医療は素晴らしいと思う。

ーーーーーー2021年3月末。かねてよりの念願?であった持病の根治のため、小腸の移植を受けた。
27センチしかなかった小腸は、10倍の2.5mに延びた。

わたしが生まれた30年前は、夢のまた夢と呼ばれた医療の進歩によって、長期的な寿命の”可能性”を得た。

(治療の経緯については過去記事をご覧ください → 福沢諭吉のお膝元で


この記事を書いた時から1年が経ち、公式のデータも更新されているから、成績は向上している。

外国で多くの経験を積んできたスーパードクター(ほんとそんな感じ)によって実現できた。
手術時間は12時間に及んだ。

目が覚めたら、体のあちこちから管やらなんやらが伸びていた。

点滴台は両脇に6台ずつ絶えず様々な薬を投与し続けているし、モニターは複雑な波形を描き、おなじみの無機質な電子音が鳴っていた。
声を上げることもできず、呼吸するだけで精一杯。
体勢すらも変えられなかったけど、痛みは少なかった。
術後の急性疼痛(発狂しそうなくらいのやばい痛み)への対応で、十分な鎮静剤を投与されていたからだ。

副作用で頭がぼーっとする状態が2,3日は続いていたが、痛みで気を失う、みたいなことはなかった。

数日経ち、体が目覚めてくるのと同じくして。

溶かされていた感覚器官が水様から泥状に、スライム状に、おかゆ状に、と少しずつ形を戻していった。

同時に、「なんだこれ」と体の感覚があちこちの異物を認識しだした。
脳に「あの、前はこんなのありましたっけ?」と伝えてくるようになった。

移植された腸。
まっすぐ入ったメスの痕。
お腹からぴょこんと脱腸してる人工肛門(ストマ)。
肋骨の下から伸びてる胸腔内ドレーン。(体の中にたまった不要な液体を体外に出す役割)
左手首に固定されてる採血用の太いライン。
性器から伸びる尿道カテーテル。
鼻から伸びる小指の半分ぐらいの太さのチューブ。

自分の感覚器官がそれらを如実に伝えてきた。

「なんだこれ」「なんだこれ」「なんだこれ」「なんだこれ」「なんすか」

ストマ以外すべてを経験してきたので、それぞれがどんな「痛み」を出すかはわかっていた。

それらが渾然一体となり、ドロドロに溶けた全体の総合的な違和感として、皮膚から下の何層にもわたり気持ち悪く体にまんべんなくまとわりついた。

経験したことを感覚で覚えている意識(脳)は、まぁこんなもんだろう、と思っている。
だけど、そこに伝える器官は明らかに混乱を起こしていた。
その混乱が痛み・痒み・疼きとなって出現し、そのたびに痛み止めが投与された。

痛み止めが切れたとき、強烈な痛みと疼き、痒みが襲ってくる。
痛み止めは投与後、一定の時間を空けなければいけない。
その間に効果が切れることもあるため、別の種類の痛み止めを投与する。
四六時中、内側から沸いてくる痛みを意識しない時間帯はなかった。

一切の余裕はなくなっていた。

一刻も早くわたしを元に戻してほしい。その一点だ。
何も感じなくて良かった時のことはすでに忘れていた。

どうしようもない痛みにブンブン振り回されながら1週間、2週間と時間が経っていく。

ティッシュペーパーを一枚一枚剥がしていくように、少しずつ痛みの時間を忘れる余裕ができてくる。
ピンと張った体の繊維がほどけていく感覚がわかった。
また数日経つと、痛み止めの投与もいらなくなった。
相変わらず体から伸びてるカテーテルたちの影響や傷が痒みや淀み、違和感はぬぐえなかったが、少しずつ自分の体を取り戻していく様子がわかった。

こうした回復の感覚も何度も経験してきた。
わたしの「痛み」の多くが、時間が解決してくれていたということを、いまさらながら思い出していた。

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ところで、痛みの中には肉体的なものもあれば、精神的なものもある。
急性的な痛みもあれば、慢性的に持続する痛みもある。

多くの痛みはとても個人的で、自分自身ではコントロールが効かず、受動的だ。

一度痛んでしまったら自分の意識ではコントロールできないくせに、非常にプライベートな様相を呈する。

自分で自分の痛みを「わかる」ことはあっても、「痛みよ止まれ!」といって止まることはない。
痛みの性質を「孤独が好き」と表現した文章を見つけたとき、なるほどと思った。

わたしにしかわからないのに、わかってほしい、わかられてたまるか。

そんな矛盾が常に、孤独にループし、濃くどんよりと内へ内へとうずまく。

前提として、痛みはしんどいものだ。

急性的な痛みは特に。
できることなら付き合っていたくない。
だけど襲ってくる。事前の対応はほぼ不可能。

覚悟するだけ。
選択するコマンドは「耐える」の一点の時もある。

やるべきことをやったあとでも「耐える」だけが、自分に許された痛みへの対処だ。
耐えて時間が去るのをただただ待つ。

一方で、面白いなと思うこともある。ネガティブなはずの自分の「痛み」をもっと知りたいと思う。
どうすればどう痛むのか、この痛みの時はなるほどこういうことか、ということを知りたくなる。
もっとも、それはある程度正常な思考能力が戻ってきたときの話だけど。

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痛みについて調べていくうちに、興味深い記述を2つ見つけた。

一つは、精神分析を創立し、無意識の概念を発見した心理学者・精神科医師のフロイトの研究だ。

彼は当初、人は一般的に不快を避け、快楽を求めると考えていた。

戦争帰りの軍人から話を聞いた際、夢見をしたり、フラッシュバックをしたり、戦場の不快な経験を執拗に追いかけていることが分かった。(彼はこの現象を『死への欲動』というなんとも生々しい言葉で表した)

「痛み」の原因には、意味づけできないものも多く含まれている。

何故自分がこんなにも苦しまないといけないのか

震災の被害にあったり、大きな事件に巻き込まれたり、突如余命宣言を受けたりしたとき、納得のいく説明を内外に求めるのは珍しいことではない。

むしろ当然の感情だと思う。だけど、この「何故」には残酷なようだけどそこに意味はない。

意味のないものに意味を求めてしまう無限ループに陥りやすいのだという。
どこまで考えてもネガティブになる。知りたいという目的がある分、ゾンビの徘徊の方がまだ救いがあるのかもしれない。

もう一つは、当事者本人が自分で自分のことを知る、ということだ。

一般的に「当事者研究」と言われている。
自身の「痛み」や困難のメカニズムを同じような経験をしている仲間や専門家の知見を参照しながら探っていく作業だ。
ここで気を付けなければいけないことがいくつかある。

本人による「自分のことは自分がよく知っている」という姿勢をとらないこと。
仲間による「わかる」という言葉や「わたしのときもこうだった」と共感もどきのリアクションをとらないこと。
専門家が専門性をかざしすぎず、アプローチをかけすぎないこと。

当事者が他者からの言葉や気づき、知見を知ることで、新たな気づき、知れたことを共有していく。
察するに「これこれこういうことだからこうだ」という答えもどきの断定した言葉でなく、「もしかしたらこっちの可能性もあるかもしれない」と自身を探求していくような感覚があるのかもしれない。

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自分の痛みの困難さに意味づけができると、安心する。

因果関係を理解しやすいし、周りにも説明しやすい。
意味づけによって痛みが和らぐこともある。
痛みにはプライベート性が含まれているので、周りが何と言おうと本人が心底納得していて、痛みが和らげばそれでいい。
だけど、どんなに考えても意味づけできないものを、無理やり意味づけて無理やり自分を納得させようとしても、夢見を起こしたり、フラッシュバックを起こしたりするのであればやはり傷は癒えない。
「運命」なんていうのはまさにそれだろうと思う。

痛みは変化も起こす。

せっかく自分の痛みを自分で知ったとしても、それが持続するとは限らない。
ある日突然、わけのわからない「痛み」に襲われるかもしれない。

例えばわたしは、2,3か月の入院期間を終えて1年間東京で一人暮らしをする。
病院から通えるところで体調の安定を見るためだ。

もうすでに自分の体は手術を受ける前に比べると、変化している。
他人の臓器が入っていたり、ストマという新しい複雑さも付随している。
臓器移植には拒絶反応というものがついて回る。
(拒絶反応:自分の免疫細胞が新しい臓器を異物として認識し、排除しようと攻撃する免疫反応のこと。)
自身の免疫反応を抑えるために、免疫抑制剤というものを生涯飲み続けなければいけない。

調整が常に必要になるし、外からの病気にも注意しなければいけない。
1,2年は生もの(くだものや野菜も含め)が食べられないし、いろいろと制限がつく。
今まで意識もしなかった体の変化が、実は拒絶反応の症状だった、なんてこともあるそうだ。

自分に求められていること、考えなければいけないことは

新しい体のスタンダードを早急に見つけだし、変化に早く気づくこと。

変化は「違和感」としてでるかもしれないし、倦怠感、むくみ、排せつ物の変化、微熱、腹部の張り、腹痛、食欲減退、下痢という症状で出るかもしれない。
自分の体に、より敏感になる必要がある。

問題は、めんどくさがりなわたしがどこまでできるか、だ。

いくら健康体になるため、とは言っても続かなければ意味がない。

”最低限”を決め、”できれば”を理解しておく必要がある。
このぐらいは良いかな?を続けていく作業だ。

ただ、それはとても孤独なことだと思う。

だけど、過去の経験や学んだことを踏まえながら進んでいけばきっと良くなる。
自分を知ることと、自分を信じること。

ところで、拒絶反応は体の変化に現れず、数値や体内の検査で現れることもある。
実際、先日検査で異常が見つかり、強めの免疫抑制剤治療を行い、大きな副作用に晒された。

その時良かったことがあった。自分の体の異常に気付けたことだ。

・異常な空腹感(一週間以上固形物を食べられなかったが、それが薬で助長された)
・不眠(睡眠時間4時間)
・覚醒、(寝なくても疲れなかった)
・抑うつ状態。

少し前なら、一日中横になってただただ時間が過ぎるのを待っていた。
だけど、「これは副作用だ」と原因がはっきりしていたから、その時にできることをしていた。

簡単な本を読んだり、文章を書いたり、ゲームをしたり。
不眠と覚醒があったから、起きている間、ひたすらできること、やりたいことをしていた。

「痛み」について考えてきた過程が結実した瞬間だった。

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今まで「痛み」について漠然と考えながら、アウトプットをほとんどしてこなかった。

当初、この文章を書いていくとき、「痛みは自分だけのものだ」という主旨で書こうとしていたが、調べたり、改めて言語化していくうちに、自分や周りの現象に輪郭ができ、気づくことができた。

「痛み」への思索の経験やトレーニングマニュアルはないし、自分自身かなり遠回りしてきた。
まだまだ落とし込めていない問いはある(例えば、「痛み」を知る人は人の「痛み」に優しくできるのか、「痛み」は解消するべきものなのかなど)
常に変化する「痛み」は、新しい傷をつくりだしたり、減らしたりもする。
いつかまた、形は変わるかもしれないけど、「痛み」について書いてみたい。

sarami

生き意地の汚い人生を 送っています。

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