暮らしをやっていきたい
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2015年の年末のこと。
ネットで知り合った外国人女性2名が家に泊まりに来ることになった。
一人はリトアニア人、もう一人はブルガリア人。
どちらも20代で僕とほぼ同い年。
二人は世界放浪中にどこかでたまたま出会ったようで、一緒に日本を旅していた。
僕は「カウチサーフィン」というコミュニティネットワークに登録している。
これは、世界中の人同士が「泊めてください」「泊まってもいいですよ」を相互に繰り返すSNSである。
大学時代にスペイン・マドリードを訪れた際にこれを使い、現地の夫婦の家に泊まらせてもらった。
自家製のスペイン料理をご馳走になったり、ヨーロッパ最古級の大学に潜入させてもらったりした。
そこで生きる人々の”暮らし”にグッと近づくことができるのが、カウチサーフィンの良いところだ。
「カウチサーフィンで外国人を家に招く」は、
一人暮らしを始めたらやりたいことリストのトップ項目だった。
社会人になり駅前で一人暮らしを始めた僕は、
時折チャンスを伺いカウチサーフィン上で家を開放していたが、
そのタイミングがついに年末にやってきた。
夜、木曽福島から電車でやってきた二人と長野駅前で出会った。
暗くなった善光寺門前を一緒に歩き、裾花峡温泉うるおい館に入った後、
自宅に戻って、コタツにあたりながら話をした。
翌日は僕の友人2人が合流し、5人で地獄谷へスノーモンキーを観に出かけた。
その日の夕方、ニューイヤーを東京で過ごすという彼女たちを見送って別れた。
とても楽しかった。
まともに会話はできなかったけれど、少しでも気持ちが伝わった瞬間が嬉しかった。
同じことで笑ったときに、言葉にできない人間の結びつきのようなものを感じた。
一方で、自分への大きな問いが重くのしかかった。
僕は、異国の地からはるばる訪れてくれた彼女らに、いったい何を提供できたのだろうか。
長野の良いところを案内し、いい思い出を作ってもらったと思う。
でもそれは、僕じゃなくてもできたことでは無いか。
例えば美味しい手料理を作ってあげられたら。
例えば何か一曲披露してあげられたら。
例えばもっと英語ができて独自の面白い話ができたら。
そういうオリジナル性が、自分にはない。
それからというもの、悶々とする日々が続いた。
自分は自分だからこその与えられるものを持っていない。
目の前の人間に与えられなくては、豊かであるとは到底言えない。
職業や肩書、究極的には国や言語を失くした時、僕には何が残るのだろう。
いったい僕はどんな人間に向かって生きているのだろう。
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数ヶ月後の、2016年2月。
僕は友人とベトナム旅行に出かけた。
再びカウチサーフィンを使い、ハナさんという女性の家に泊めてもらうことになった。
ハナさんは結婚しており、自分の新居の寝室を丸ごと貸してくれた。
夫のフクさんや、その従兄弟、従兄弟の学校の先生、親っぽい人、お爺さんっぽい人など、いつも一緒にいるのであろう人たちの中に混ざって、
ご飯を食べたり、散歩したり、ゲームをしたりして遊んだ。
バイクの後ろに乗せてもらい、旧正月の親戚周りにまで同行させてもらった。
特別なことはしていない。
その人の”暮らし”にお邪魔させてもらっただけである。
しかし、僕らは他にもメコン川クルーズや高級ホテルを体験したにも関わらず、
ハナさんたちと過ごした時間が一番心に焼き付いている。
ハナさんたちと過ごす中で、大切なことを気付かされた気がした。
それは、「暮らし」をやっていくことである。
自分のこと、周りの人との関係、自分の住む街や社会、そうしたすぐそこにあるものに思いを巡らせて生活すること。
言葉にするとごく当たり前のことであるが、単純に今の自分は「暮らし」をしっかりできているかと問われると、自信を持ってハイとは言えなかった。
ご飯を食べた後の「ごちそうさま」だったり、
道にある小さな植物に気付くことだったり、
そうした、日々の暮らしの中で無意識に過ぎ去っていくようなものへの感性や解像度が、人の輪郭を作っているのだと思う。
人々から感じる様々な「暮らし」の要素。
そういうところから僕は、生きる力を与えられているような気さえするのであった。
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