だれかへ
最近、具合の悪い日が多い
頭が痛かったり、お腹が痛かったりする。
雨も降ってないし、牛乳も飲んでいないのに。
それに対してどうおもうのかというと、
いつか聞いた、大好きなアーティストが言っていた
『一年365日のうち360日くらいは具合悪いんです』
という言葉に
じぶんには絶対に起こり得ないことだな、
とおもいながら
(なにか天に選ばれたような、すごい才能のあるひとはこういうところがあるんだろうな)
というねじまがった憧れの気持ちを思い出して
もしかして今のじぶんは前よりそこに近いのかと、
ねじりとまがりをさらに増やしたような思考にたどりついたのだった。
実際そんなわけはなくて、
具合が悪ければ頭も働かないし、唯一動き回ることが得意なのにそれもできなくて、
なんともいつもよりずっとずっと何もできないじぶんを認識してまた落ちていく。
そもそも近づけるとおもっていたのかと、
じぶんにあきあきするし
心底軽蔑する。
記事を何ヶ月もさぼってしまった。
そうするとどうなるのかというと、アウトプットの仕方がわからなくなる。
おどりばは元々、
かくのにとてもとても時間がかかるのだけど、
これだけかかないとアウトプットの仕方がわからなくなって、
そしてどうなるのかというと、
かけなくなる。
簡単にかける文章ではないから、
時間がないと、余裕がないと、
なにより心の、
かけない。
いまのおどりばの住人のみなさんの記事更新率を見ていると、
ああみんな余裕がなくなっているのだな
とおもう。
というかここ一年、ずっと考えている
世界に余裕がない。
余裕とはなんだろう?
そりゃあ心配ごとが少なくて、
これを考えなければなにか困ったようなことが起こるなんてことも少なくて、
なんだか多くのひとたちがめちゃめちゃになりながら必死で働いているような日に、ゆったりした椅子に座りながらコーヒーを飲んでいるような、
仕事に限ったことではなく
頭や心を必死になって動かす必要のないようなそんな状態なのかなと予想した。
じぶんはというと、相変わらず、
通っていた小中学校の通学路を車で通って
大量の木が切られてなくなってしまっていることに気づいて、
切なくなったりしています。
それが余裕があるのかないのかはわからないけど。
そもそも関係ないかもしれません。
なんだかわからないけど今回は、
おどりばの住人のみなさんに向けてかいている気がしてきました。
だから突然敬語になったのでしょうね。
誰かに向けて文章をかくことは少なくないけれど、
住人のみなさんに向けて、とおもっていたことも少なくない気がします。
まるまる1記事というよりはそれぞれのどこかの部分に潜んでいる気がします。
別に潜ませる必要はないのだけど。
みなさん元気ですか?
おどりばの記事をかくときには大体普段から思いついたことや感じたことをメモしている、
スマホのメモ機能を見ながらかくのですが、
今日はそのメモとメモの間に文脈が見つけられなかったので(基本的に注意力は散漫としています)、特に読みづらかったりわかりづらかったりするとおもうのですが
みなさんに向けた文章ならいいか。(適当ってことじゃないですよ)
何かを買ったときのおつりの中に、
ピカピカの新しいコインがあったとして、
それに気づかないような、
もしくは気づいてもなんともおもわないような大人になりたくないなっておもうんです。
(いきなり意味が分からなくてごめんなさい)
そんな余裕がなくなったら生きている意味ないなあと最近おもいました。
めちゃめちゃ極端ですけれど。
あ、たぶんじぶんが言う「おどりばの住人のみなさん」の中には、元住人の方たちも入っているとおもうのでそのつもりで。
ふと元住人の方の顔が浮かんだので、
みんな何を基準に生きるのでしょうね。
やっぱりじぶんが体験してきたことや感じてきたことが基準になるのだろうなっておもいます。
そこが柔軟な人ってなかなかいないので、生きるのってほんとうに大変だな、向いてないな、ってよくおもいます。
初めて聞いたことや初めて見たものを否定する人って多いじゃないですか
じぶんが体験したものや見てきた聞いてきたものにすごく自信があるんだな。すごいな。とおもうことも多いのですが、行きすぎると
じぶんの感じたもの以外のことは起こらないとおもっているのかな?ちょっと傲慢すぎるな?
とおもうことも少なくないです。
こういうことをじぶんで言うとじぶんはそうでない自信があるみたいで嫌ですが自信はないです。
かきながら「自分はできてると思ってるのか?」と言っているじぶんに殴られています。
痛い。
だけどやっぱりはっきりは言えません。
きのう必死で見つけた四葉のクローバーを、
今日は踏んづけてしまっているかもしれないし。
それはしたくないな。
じぶんの大事なもの、大事にしたいこと
ちゃんと大事にして生きていきたいです。
みなさんにとっておどりばはどんな存在ですか?
どんな捉え方をしておどりばにいるのかな、と
時々気になります。
会えたときにはぜひ教えてくださいね。
おどりばの記事をかけなくても全く悪いことではないです。
自分を絶対に責めないでくださいね。
おどりばはなくてはならないものでもないです。
ここにいなくてはならない場所でもなければ、
ゴールでもスタートでも輝いている場所でも
暗いところでも早く抜けなければならない場所でも
ずっといたほうがいいところでもないです。
矛盾しているようですが、そうおもいます。
大きくしすぎないでくださいね。
それでみなさんが苦しくあっては元も子もないです。
おどりばでなくてはいけない理由も
実はないのではないかな。
そんな場所です。
3年半たっても、はっきりとはしません。
じぶんはおどりばが好きです。
奥の奥のアウトプットを唯一じぶんが許せる場所でもあります。
そうしさんとはたこしさんが好きです。ふたりとも優しいです。
もしみなさんが好きとおもってくれるなら
どんな形であっても一緒にいます。
その形は一つではありません。
一緒に考えよう。
いつもありがとうございます。
ちいさん
いつもありがとうございます
今さらですが!
ぼくにとっておどりばは「月に一度の自分自身の気づきの場」です。
正直、他の方々のようにしっかり考え抜いて書いてないです
「そろそろ書かなきゃ」って感じで、半分「やること」になってます。
でも、そのときこうして他の住人の方のおどりばを読むと、温かい気持ちになったり、気づきがあるんですよね。
不思議
たぶん、皆さんの文章がとっても繊細で、温かいからだろうなと思います。
そして、そうやって半分無理やりそういう場を作って記事を書くから「気づき」が得られるなと思います。
自分の基準、よくわからないです。
でも、だからこそ、こうやって書いているのかもしれないです、ぼく自身。