きみの名を呼ぶとき

住人

また来月、と言ってかなりおやすみをいただいてしまいました。

こんにちは、こんばんは。はろです。

ようやく少し身も心も落ち着いたようです。世間的にも、漠然とした不安感や閉塞感が解れてきたような気がします。気がするだけかもしれません。

自分が呼吸をできるようになったから、社会や世界も息を吹き返して進んでいるように見える。単純なものです。本当はそんなことなくて、日々脈々と連綿と続いているのにね。

都合の良いように見るのだけど、それでいいのかもしれない。どんなに目を凝らしても見えないものもあるし、見たくないものも目に入る。どんなにわかり合おうとしたって、わかり合えないこともある。

投げやりでも諦めでもなく、認めること、受け入れること。
そしてやさしくそこに置くこと。

なんの話でしょうね?

なんの話でも良いです。都合のいいように解釈していただければ。

わたしはと言えば、とてもフラットなきもちです。凪。

 

 

 

おどりばに出会ったばかりの2月3月頃は、今となっては何故だろう。なんだかくるしかった。
自分なりにやりたいこともやれることも模索して試して、いまいちどれも上手くいかずに、でも一人でなんとか立っていかなきゃと、何年もずっとずっと気を張って走っていたのかもしれないし、それがもう溜まりに溜まったツケなのかもしれない。

もやもやした気持ちのまま、少し休んでそれをゆっくり紐解いていきたいと思っておどりばに入居したけれど、性分でしょうか、なんだかんだ結局あまり休まずに今日まで来てしまった。それによって逆におどりばは休み続けてしまった。ごめんなさい。
(待って)居てくれてありがとうおどりば。

一息ついてようやくおどりばできる心持ちになったのはワクチン接種のために連休を取ったおかげです。なんてことだ。
でもこのタイミングで戻って来られてちょうどよかった気がします。
考えても浮かばないときもある。進むから振り返れる。
立ち止まりたいとき止まるように、走れるときは走る。

 

 

 

どうやら自分は、考えていないようでなかなかのスピードでいろいろなことを考えているみたい。
ただきっと、頭と心と体の時間がずれていたのでしょうね。

もやもやしていようが、その潜伏期間がどれだけ長かろうが、心が決まったらもう静かにスタートを切るのだ。表情や態度にあまり出ないぶん、周りの人にとってはあまりに突然で迷惑をかけているかもしれない。

仕事がなくなり、新しい仕事に就き、会社を辞め、新しい仕事を探し、就き、恋人に別れを告げ、引越し、昔の恋人と寄りを戻し、通常業務をこなしつつ別の仕事を2、3やり、、など。
ここ半年ほどのあいだのお話。自分としては忙しない半年間でした。
休みたい〜〜〜と思いつついつも結局休まずに進んでしまう。良くも悪くも丈夫すぎる。

そしてふと足を止めれば、10月ももう後半に差し掛かって、今年もあと2ヶ月になろうとしている。早い。汗だくで走り回っていたのに、気がつけば凍えている。寒い。

 

 

 

心を決めて、舵をきった。

実感としては、決断だなんてたいそうなものではなくて、ぷつんと切れたような、すとんと落ちたような、あれよあれよと流れたような感じ。
妙な執着がなくなると転がっていくのが早いですね。

環境を変えるに当たってずっと考えていたのは、自分の人生の限られた時間や今まで培ってきた経験・スキルを、これから先、何に・誰に費やしていくのか、ということでした。

今まで5年後、10年後のことなんて全く想像出来なかったけれど、急に先が見えてきて、誰と居たいかとかどう在りたいかが色濃くなった。幸せでいたいし、自分が喜ぶことをしてあげたい。

軸足がどこにあるのかわからなかったのかもしれない。自分の人生を他人に渡そうとしていたのかもしれない。手綱を握りなおして、今は自分の軸はちゃんと、自分の今、ここにあるように感じる。うれしい。

地に足が着いたら、ちゃんと歩ける気がする。
合う靴を履いたら、もっと歩ける気がする。
心地よい唄や景色に出会えたら、遠くまで歩ける気がする。

この先がとても楽しみです。

はろ

何者でもない わたし と あなた に寄せて。

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