「天才」だなんて安易に言うな

住人

スマホやテレビの画面越しに「この人、天才だなあ」ってつぶやいていないだろうか。それは≪天才≫のひと言で片づけていいものなのか? 陰で努力はしていないかもしれない、天才だから。才能を妬まれてネットで誹謗中傷されているかもね、天才だから。

わたしは≪天才≫に遭遇したことがない。でも才気溢れる人にはたくさん出逢っている。歌うだけでにじみ出る人だったり、仕事ではポンコツなのに筆を持たすと本領発揮する人だったり。彼ら/彼女らに共通するのは≪悲しみ≫で、愛おしく思う。いくら楽しそうに芸術していても、その裏で苦しんでいる姿が見える。それはわたしの偏見なのかもね。でも、だからこそ、≪天才≫のひと言では彼ら/彼女らを評せない。

才能なんてものはない、と以前、おどりばにて書きましたが、そんなことも都合よく忘れて書くなら、≪才能≫とは≪悲しみ≫=≪愛くるしさ≫だ、それは人間味。だから応援したくなる。応援されるから、表現者は苦難をなんとか乗り越えていける。努力の人というのとはちょっと違うのかも。苦労の人? 一生懸命な人? 生きづらい人? とにかく適した言葉は見つからない。負の感情や負の環境にいる彼ら/彼女らだから、たった一言の≪天才≫で括ってしまうのは安直すぎる。失礼ですらあると思う。わたしは、そんな言葉が嫌い、大嫌い。才能があるがゆえに生きづらさを感じている人に敬意を払っていたい。

≪天才≫と同じくらい嫌いな言葉はまだある。たとえば「令和の名曲『マリーゴールド』をあいみょん本人が熱唱!」などと音楽番組のCMで流れるのは好かない。『マリーゴールド』が名曲なのかは置いておいて、簡単に≪名曲≫って言っちゃうのが気に食わないんですよ。誰基準で言ってんの? 大御所のミュージシャンとか、ヒット曲を連発させてるプロデューサーとかが使うのなら、まだいいけれど、誰がそう言っているのかわからない≪名曲≫という言葉には、不信感しかない。そう容易に言い切ってしまうことに愚かさを感じられずにはいられない。昭和生まれのわたしは、令和の名曲をよく知らないから、そうでもない曲を≪名曲≫と偽って紹介されることに、どうしても拒否反応を持ってしまう。まあ、おじさんだから許してよね。それを言ったら≪全米が泣いた!≫くらいの全米って誰やねん的な疑念を持ってしまうわたしは素直じゃないな。そのくせ、≪名盤≫って言葉には弱くて、何度も騙された。矛盾するわたしだな。でも、人間だもんなあ。

今、この原稿を書きながらカマシ・ワシントンっていうジャズ/フュージョンの人のアルバムを聴いているのだけど、それはジャケ買いした3枚組。今時、CDなんて誰も買わないよね。≪ジャケ買い≫という言葉はいずれ、近いうちになくなる。ってかもうないのか?! 死語となった≪ジャケ買い≫をして、このアルバムに出逢ったんですよ。面出しされていたそのアートワークにヤラレて、痺れて買ったその作品は2022年のわたしが最もヘビロテしたアルバムとなりました、まだ1ヶ月ちょっとあるけどね、今年は。すげー聴き込んだから、「名盤です」って自信を持って言える。カマシ・ワシントンのほかのアルバムにも手を出したし。レビューするのは野暮だけど、ジャズなのに敷居が高くなくて、フュージョンだってのに、暮らしの延長線上にあるポップな作品だとも思うんだよねえ。演奏に≪一見さんお断り≫的な雰囲気もない。誰でもウェルカムなムード。加えて、演奏者全員が自分自分自分!にならずに、それぞれの引き立て役になっているところが素敵。かといって出るところでは出るし、≪才能≫の出し惜しみはない。だから≪ジャズが苦手≫だったわたしでもハマれたんだと思うヨ。

だからって「カマシ、最高!」って雑な言い方でおすすめはしない。≪天才≫とか≪鬼才≫とか≪名曲≫とか≪決定盤≫とかの言葉に踊らされないでいたい。便利だからってそんな単語を多投しない。自分の感受性でオススメ/判断したい。自分を信じて、安易な言葉の魔術に惑わされないような頑固さを持ち続けたい。「よしのさんの感性は古いよ」とか「お前のごときがレビューするな」って言われても揺るがない自分でありたい。

決して、おどりばのあなたを≪天才≫とは呼ばない。≪すごい人たち≫ばかりだとも思わない。あなたたちはそれ以上の存在だからって、おべっかでも言わない。苦しんで、辛いながらも書いているのを知っている。だから、全員、自信を持って書けよ。だなんて、胡散臭い。何様? わたしが一番信用ならねえな。

なかがわ よしの

生涯作家投身自殺希望。中の人はおじさん。早くおじいさんになりたい。

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